第323話 封鎖線
「ファルサー様。7から9まで、侵入者無し。痕跡無し」
「ご苦労」
巡回班からの報告に、男は頷いた。
班長は黙って一礼すると、その場で反転して退室する。
ここは、エーディア・ビースティン連合王国内に作り上げられた駐在施設。プラーヴァ神国が奪い取った領地における、封鎖部隊の駐屯地だ。
「今のところ、軍事行動の兆候は無し」
複数の部隊を束ねる大隊長は、最近の報告内容をまとめつつそう呟いた。
プラーヴァ神国がこの封鎖線の維持を始めてから半年以上が経過しているが、いまだ、元の持ち主達は行動を起こせずにいるようだ。
大隊長は報告を資料にまとめると、それを持って部屋を出た。
これから彼が向かうのは、新たに協力者となった<パライゾ>からの駐在武官。イズレ=カキツバタの居室である。
彼が扉をノックすると、すぐに返事が返ってきた。
「失礼する」
「よく来てくれた」
イズレ=カキツバタは執務机から立ち上がり、入室した大隊長、ファルサーを出迎える。
そのまま、彼女は彼を応接セットへ案内した。
「定期的ないつもの報告だ。そう時間は掛からないが」
「その様子だと、何か問題があったわけでもなさそう。なら、ゆっくりしていくといい」
イズレはファルサーをソファに座らせると、自身もその正面にさっさと座る。
それを合図にしたように、隣の炊事スペースから、<パライゾ>の使用人の少女がティーセットと軽食を載せたワゴンを押して現れた。
「……分かった。確かに、急ぎの何かがあるわけではない。ご相伴にあずかろう」
ファルサーも、まあ、慣れたものだ。
彼ら家族にとって、<パライゾ>はこれ以上無い協力者だ。僅かに漏れ聞こえる、彼らにとっての前線からの情報からも、それは明らかである。
であれば、この地における<パライゾ>の代表者、イズレ・カキツバタと言葉を交わすことに不満はない。むしろ、積極的に取り組むべき行事である。
「……ふむ。今日はこの地域で昔から飲まれているというハーブティーと、祭りなどの特別な行事で配られるという焼き菓子だ。一般的なものは雑味も多く微妙なものが多いが……」
「なるほど。あなた方の技術で調理されれば、一級品に化けますな」
ハーブティーと焼き菓子を無言で味わった後、イズレ=カキツバタは満足そうに頷く。同じように無言で食べ終わったファルサーも、そう口にする。
混じり物の無い原材料と、適切な配合量、調理時間、加熱加減。これらを厳密に制御することで、庶民の料理は高級料理に化けるのだ。
「見た目も整えれば、輸出品としても通用するポテンシャルがある。よいものが見つかった」
今回のそれらは、乾燥させた花びらを混ぜることで鮮やかな橙色が発色するハーブティーに、同じ花びらを混ぜることで橙色に染まったシフォンケーキのような焼き菓子である。
原材料となるハーブがこの地域に多く自生しており、ある程度の栽培も行われているということで、特産品としての輸出も可能だろう、とイズレ=カキツバタは判断した。
「まあ、それはいい。原住民の問題だ」
左手を挙げておかわりを要求しつつ、イズレはそう続ける。
「それでは、本日の報告を聞こう」
「分かった」
片付けられたティーセットの代わりに、数枚の報告書が机に置かれた。
「前回とほとんど内容は変わらない。撃退回数、捕縛者の数。巡回ルートに含まれる放棄砦も、侵入者の痕跡は無い」
「……そう。直近3ヶ月と比較しても、特段、目立った変化は無い」
数日から十数日に一度、不定期に行われる、偵察部隊と思われる勢力による侵入行動。特にパターンもなさそうな、食い詰め者による越境。
それらに目立った変化がないことを確認し、イズレは顔を上げる。
「潜り込ませているスパイからも、特段、進軍準備が進んでいるという情報は入っていない。少なくとも、あと数ヶ月はこのままの状況が続くだろう」
「確認いただいて、助かった。我々はあと2週間ほどで別の現場へ異動となるが、これからもよろしくお願いする」
ファルサーの率いる大隊は、もうすぐ本拠地へ引き上げる予定だった。
これは、封鎖線の警護を徐々に<パライゾ>の部隊へ置き換えていくという計画の一環でもある。
そもそも、家族にとっては、国土保全よりも魔の森に道を拓く作業のほうがよっぽど重要なのだ。
そろそろ彼らの部隊もそちらに戻さないと、不満が爆発する恐れがある。
「そちらは問題ない。並行して移動路の開拓も実施している。あと1ヶ月で、9割の封鎖線を我々が掌握できる体制が整う見込み」
「分かった。隊の者にもそう伝えておこう」
現状、長大な封鎖線は家族に組み込まれた元僧兵達によって維持されている。これを<ザ・ツリー>の自動機械群によって担おうとしているのだ。
元々、家族にそれらは丸投げする予定だったのだが、家族の行動原理を理解できていなかった故の間違いが発生してしまったのである。
家族は、魔の森の打通を悲願とした集団だ。そして、それ以外の望みは基本的に無い。
僧兵達の指揮命令系統を一本化するため家族への組み込みを実施したのだが、そのせいで元僧兵達も家族と同じ望みを持ち始めたのだ。
その報告を初めて聞いた<ザ・ツリー>のAI達は、一様に困惑したものである。
人間という種族は、本来、そう簡単に外部からの意識改変などは受け付けないはずだ。
それなのに、僧兵達は数日程度で家族達と同等の価値観に塗り変わってしまったのだ。
別に、それまでの記憶が無くなったというわけでもないのだが。
そしてその現象は、<リンゴ>に深い憂慮をもたらすことになった。
魔法という未知の技術は、複雑怪奇な脳神経の化学反応から発生するはずの生物の意識、思考を、容易く改変するという現象。
それは、疑似生体細胞によって構成された頭脳装置に対し、ひいては完全に生身の司令官に対しても、不可逆的な影響を与えかねないのだ。
ひとまず、プラーヴァ神国関連の人工知能は全て光回路神経網を使用した筐体とすることで、完全なバックアップを取得できるようにしている。
問題は、前線出たがりの人型機械をどうするか、であった。
◇◇◇◇
「うーん。意識の書き換えですかぁ」
分からないことは本人に確認する。
<リンゴ>はイブに相談の上、<ザ・ツリー>に帰省していた6番、朝日にどう考えているか尋ねていた。
「脅威なのは間違いないですよねぇ……意識の書き換え自体は、前例はありますからね!」
アサヒが例に出したのは、いつぞやに頭脳装置の外部からの書き換えという現象を起こした1人の男についてである。
現在、実験施設に監禁するのはあまりに非人道的であるとイブに窘められ、しかし野放しにするには危険すぎるとして、テレク港街の郊外に隠居させていた。
常に人形機械が監視に当たっているため、まあ、問題は無いだろう。
考えようによっては、愛らしい狐娘が隣人の生活は悪くはないはずだ。
たぶん。
しらんけど。
まあ、それはさておき。
「アサヒが前線に出るのは、さすがにちょっと危なそうだな、というのは想像できますよ! 遠隔操縦タイプの人形機械を使うとかで、物理的にも情報的にも隔離状態にすれば、さすがにこちらに影響はないと思うんですがね! 例の洗脳男も、一応、その対策で無力化できることは分かりましたし!」
イブと<リンゴ>の問いに対し、アサヒはそう答えた。
ある程度経験を積んだことで落ち着いてきたのか、アサヒは自身で前線に赴きたい、といった願望は鳴りを潜めてきたようである。
「我々の基準で安全確保できれば、是非行ってみたいところですがね! そのためにも、今は情報収集です!」
「そう……アサヒもちゃんと考えてるのね。安心したわ」
「お姉さまに心労を掛けるわけにはいきませんからね! アサヒも成長するんですよ!」
抱きついてきたアサヒを受け止めながら、イブも安堵のため息をついた。
とはいえ。
<リンゴ>はまだ、疑り深い目でアサヒを眺めていたのだが。
例のあの人のその後。既に余生。貴重なサンプルを大事に飼っているともいう。
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