第268話 引き際を見極めよう
「我々が介入した場合、多数の戦闘機械、弾薬、エネルギー、何より時間を失うことになります。魔の森の境界全てを警備する必要がありますが、総延長距離は2,000km以上。全てを守るためには、途方もない資源の投入が必要です」
「う……。そう、そうね……。1km毎に防御しても2,000箇所。確かに、今時点では現実的じゃあ無いわねぇ……」
<パライゾ>として介入するなら、特定の地域のみの防衛とはならない。全てを防ぐ必要がある。だが、さすがにそれは不可能だった。
「たとえそれだけの自動機械を投入しても、リターンが全くありません。資源を回収できる見込みもありませんし、何より背後に潜在的な敵対勢力を抱えることになります」
「……。それぞれの国の上層部、ってことね」
「はい、司令」
問答無用で防衛し、あまつさえ対価をかっぱらうとなると、押し込み強盗と変わらない。いや、現地民の信頼を奪い、統治機構への不信感を植え付けるという意味では、強盗よりもたちが悪い。一気に内乱の危機だ。
かといって、各国と交渉を行う時間もない。
いい感じに条件をまとめる頃には、魔の森の接続域は壊滅しているだろう。
そして、そんな面倒くさいことをするよりは、いっそ国ごと落としてしまったほうが楽だ、という結論が出ている。
国を落とせば、その国内の資源は取り放題になる。そちらのメリットのほうがよほど大きい、かもしれない。
「うーーーーん……。人類国家って面倒ねぇ……」
『おい、言っとくが、国同士はもっと面倒だからな。嬢ちゃん達は負けることを考える必要がないからな。俺らがやるときは、ちょっと油断したらすぐ食われるからな』
アマジオ・サーモンがげんなりした表情で、そう言った。国を作り変えた男による、実感のこもったぼやきである。
「問題なく生きていく、って考えると、AIに管理された社会のほうが人口も寿命も伸びそうよね」
『元の世界のことを言ってるのか?』
「……そうね。当時は、そんなことは全く考えていなかったけど」
イブがイブになる前、この世界に転移する前の世界。
AIに管理された、人類にとっての牢獄。あの世界では、人類はAIに奉仕されながら悠々自適に生活していた。煩わしい社会的な義務は存在せず、ただ活力を保つためだけにAIによって課せられた仕事をこなしていたのだ。
「ま、あれを再現するつもりは、今のところはないけどね。リンゴも嫌がりそうだし」
「はい、司令。人間を管理する趣味はありません」
『……』
何か主張したげな<リンゴ>の頭を撫で、イブは話題のリセットを図った。
「で、よ。実際のところ、魔の森の溢れを放置したら、私達にはどんな影響があるのかしら?」
元々は、ピアタ帝国北部に脅威生物が進出してきた、という問題の共有だったのだ。
<リンゴ>であれば、既に最適な対応方法を検討しているはずである。
「はい、司令。これを放置した場合、ピアタ帝国を含む、魔の森に接した国々の国力が徐々に低下します。魔の森から脅威生物由来の様々な素材を入手していた国家ですので、収入源の一部が喪失した状態になるでしょう」
『国力低下で、一番わかり易い影響は治安の悪化だ。それと、難民の発生だな』
脅威生物を間引いていた狩人の減少により、脅威生物の縄張りが変化。暴走行進というほどの勢いはないが、徐々に脅威生物の活動域が広がっていくだろう。
そして、それを防ぐ力を持った人々は、軒並み戦争に駆り出されているのだ。
「我々が直接関与しないで本件に対応するためには、徴兵されている狩人を戻すしか無いでしょう」
『放置すれば、ここら一帯が群雄割拠の戦国時代に逆戻りだな。せっかく大きめの国でまとまってきたのに、面倒なことだぜ』
国としての付き合い、と考えれば、相手がどこの馬の骨ともしれぬ武装集団のまとめ役、しかも数ヶ月単位ですげ変わる、といったような状況は避けたいだろう。
そんな状況では、取引も約束事もまともにできない。
「地域の安定を考えるなら、何らかの手当が必要、って感じの考え方で合ってる?」
「はい、司令。ただし、我々<ザ・ツリー>にとっては、これらの地域の状況は、特に影響はありません。あえて言うなら、一部地域で採掘されている金属鉱石の産出が停滞する可能性がある、程度です」
『今の<ザ・ツリー>にとっては、誤差範囲内だろうよ。ウチの王国だと、その辺の産出量は割りと重要だったんだがな』
レプイタリ王国は国内の消費に生産が追いついていない状態だったため、外国からの金属資源の輸入は非常に重要な案件だった。
だがそれも、<パライゾ>との取引が継続できるのであればもはや不要である。
「資源はねぇ……。アフラーシア連合王国もあるし、海底資源も順調。プラーヴァ神国もまるごと手に入れられるし、確かに気にする必要はないか……」
『俺としては、人道支援名目で物資を提供するくらいでいいと思うが?』
食料関係の物資は、アフラーシア連合王国、プラーヴァ神国で増産されており、だぶつき気味だ。無償、あるいは格安で放出しても、懐は痛まない。せいぜい、多少の輸送費が掛かる程度だ。
「プラーヴァ神国の侵攻部隊も完全に停滞してるのよね。聖都防衛に引き抜かれてるから」
現在プラーヴァ神国では、南部からの圧力に耐えかね、聖都に続々と戦力が招集されている。聖堂が存在する聖都は、彼らにとっては絶対に防衛しなければならない心臓部なのだ。
「はい、司令。そういう意味では、狩人が解放されて北部に戻る可能性もありますが」
『上の連中が、正確に事態を把握できるとは思えねえな。領土奪還を優先するだろう。それによって、北部の開拓村が軒並み潰されることになっても、な』
「やっぱり、上層部は現場を知らないっていうのは本当なのね」
<リンゴ>がチョイスした、愚かな上層部が描かれている戦記物などから知識を得ていたイブが、納得したように頷く。
『……』
アマジオ・サーモンがブーメランという狩猟道具に思い至ったかどうかは本人のみぞ知ることではあるが、彼は賢明にも、何も喋らなかった。
まあ、イブの場合は、現場のあまりの優秀さを知らない、というあべこべの話ではあるが。
「うーん……そうねぇ……。確かに、食料とか物資を取引するっていうくらいがちょうどいいのかしら。対価さえ貰えれば、戦力を派遣するのも問題ないし」
それは、非常に消極的な方針である。ただ、何もせずに放置するよりはよっぽど人道的な回答だろう。
『いいんじゃないか? うちの王国経由なら反発も少ないだろうしな。恩も売れる』
「あ、そうね。<パライゾ>とかよく知らない国が急に出てくるよりは、そっちのほうがいいわね」
<パライゾ>という名前は今後広がっていくだろうが、初期アプローチは継続してレプイタリ王国を前面に出したほうが、通りはいい。レプイタリ王国に対し、様々な援助を行う理由にもできる。
「んー、じゃあ、次から輸送機械と食料を追加しましょうか。武器弾薬はそろそろ絞ったほうがいいわよね?」
『そうだな。前線の圧力が減ってるからな。これ以上は供給過多だろう。最低限でいいはずだ。じゃないと、余計なことを考える馬鹿が増えてくる』
引き際を見極めないと、戦場の女神は容易く悪魔に変わってしまう。その辺の采配は現地の戦略AIに投げているため、そこまで心配はしていないのだが。
浮世離れしていたイブちゃんも、少し地に足をつけてほしいなあと思いながら。
この性格だと、成り行きで魔王化しちゃいそうだったので……。
人類は愚か。上位知性によって管理されるべき。




