第256話 ドクター・アサヒの魔法解説(2)
「ところで話は変わりますが、お姉さまは量子力学の観測問題についてはご存知でしょうか?」
「んん?」
朝日に尋ねられ、イブは首を傾げた。
「観測するまでは状態が確率的に存在するっていうアレ?」
「当たらずとも遠からず! いえ、解釈としてはそれで合ってますけれども!」
量子力学において、波動関数の収束がどのように起きるのかについて論じるのが、観測問題である。これに関しては、明快に説明できる理論はいまだ無い。
無いというか、この次元に暮らす知性体の視点で論じると、どうしても矛盾が発生する、という状況らしいのだが。
「まあ、難しいことは考えずに。世界は我々の見ていないところでは結構曖昧で、見ているところでは事象が確定している、という感じで理解してください」
「その辺はなんとなく分かってるつもりだけど」
量子力学が論じる素粒子の世界は、イブのような知性体が見ている分子の世界とは振る舞いが異なる。
かなり乱暴に説明すると、電子の位置は観測前はどこに存在するか確定できない。観測したときに初めて、位置が確定するという話だ。これは単に見えていないから分からないという事ではなく、本当に確率的に存在しているのだ。
Xという素粒子がA点にある確率が20%、B点にある確率が80%という場合、素粒子がどちらかの点に存在するのではなく、どちらにも存在する。A点のほうが薄く、B点のほうが濃い。そう解釈したほうが間違いない、そういう結果になる。
「量子力学を論じ始めるとキリがないので、ふわっと理解していただければ結構です! さて、量子力学的に言うと、世界は観測することで初めて確定されます!」
逆に言うと、観測されない場合、世界は確率的にしか存在しない。
「我々のような知性体が世界を観測することで、あらゆる事象は確定されます。観測するという意志を持って観測装置を設置することでも、これは達成できます!」
面白いことに、素粒子を認識しないまま観測しても、素粒子は確率的な存在のままだ。素粒子を観測できる手段を準備して初めて、素粒子はその位置を確定されるのだ。
「とりあえず量子関連の情報は表層しか読み込んでいないので、いまのアサヒにはこれ以上説明できませんが、それはともかくですね!」
アサヒは、魔法の考察に進路を戻す。
「魔法の発現に、意志が関わる。アサヒは、量子力学の観測問題と似ていると思いました!」
魔法を使用するという意志に反応し、魔法は発現する。
観測すると事象が確定することと、意識することで事象が確定するということ。
経過は異なるが、どちらにも知性体の意志あるいは行動が関わっている。
「あと気になるのは、魔法そのものは超常現象ですが、その超常現象によって発生した事象は物理法則に従っているということです!」
「……というと?」
「火球はどう見ても物理法則に従っていないのですが、火球が目標に接触した後に発生する事象は、物理法則に従っているということです! 爆発による衝撃波によるダメージ、発生する熱量による酸化反応など、全てが物理法則の通りで矛盾はありません!」
「矛盾だらけだけど、言いたいことは分かるわ。観測結果のみ見れば、不思議なことは起こってない、ってことよね」
イブの言葉に、アサヒは満面の笑みで頷く。
「はい、お姉さま! そのとおりです!」
ちなみに、付き添いの<リンゴ>は一切表情が動いていない。聞き流しているのだ。
「暫定的に魔力と呼んでいますが、魔法現象を発生させる何かに意志を伝えることで、この世界に現象が発生する、それが魔法の正体だとアサヒは考えたわけです!」
「なるほどねぇ。アプローチとしては間違ってないと思うわよ。仮説と検証でしょう?」
「はい、お姉さま! あとは、魔力が恣意的に魔法の発動を選別しているかどうか判別するというのが当面の課題ですね!」
魔法を発動させている魔力は、同じ意志に対して同じ魔法を発動させているのか、何か選別が行われているのか、ランダム性はあるのか。
このあたりが分かれば、もう少し魔法の考察が進むらしい。
「例えば、自由意志を持たない超知性のような何かが魔法発動を制御しているとか! あるいは意志を持つ何かが識別しているのか! 物理法則のように、何らかの法則に従っているのか!」
「意志ある何かって、何よ」
「神様でしょうかね?」
まあ、確かに。
魔法の設定として、神が出てくるというのは比較的ありふれているかもしれない。例えば、神の意志でイブと<リンゴ>、<ザ・ツリー>はこの世界に召喚された、とか。
「ま、もし神が居るなら是非とも対話してみたいですね! <ザ・コア>の演算能力とどちらが上か勝負しましょう!」
それは、あまりにも不遜な物言い。
「<ザ・コア>は世界を演算できると触れ込みのある超越演算器です! <リンゴ>がやろうと思えば、メモリー上に新たな世界を誕生させることができるんです! これすなわち世界創造! <リンゴ>は新世界の神になれるのです!」
「ええ、そんな大げさ……でもない……のか?」
「カタログスペック上は、宇宙の全物質・エネルギーの演算が可能です。シミュレーターを組むのが最初の壁になりますが」
「そうなのねぇ……」
まあ、実際には色々と問題があるため、<リンゴ>はやらないだろう。何より、演算領域をそれに食われると司令のお世話ができなくなる。
「まあ、それはさておきです。アサヒは、この魔法という現象に、とても重要な役割を期待しています」
「重要な?」
「はい! お姉さまは熱力学第二法則、エントロピー増大則はご存知でしょうか?」
世界はいずれ、熱平衡状態になり全ての活動が停止するという理論である。
「えーっと。接触させた2つの物質の間に熱移動が発生し、やがて2つは同じ温度になる。同じ温度になった後、どちらかの物質が急に片方の熱を吸い取って加熱することはないし、逆も然り」
アサヒが表示したスライドを読み、イブは頷いた。
「宇宙全体で熱平衡状態になったとき、それが世界の終わり。まあ、知ってるわね」
「はい! 魔法は、この熱平衡状態を解消する裏技、あるいは正当なギミックではないかと考えます!」
化学反応、核分裂や核融合。これらの現象が、あらゆる活動に不可欠だ。だが、それらは時が経つうちに、いずれ消えていく。どんな反応も、最終的には何らかの安定した状態に落ち着くものだ。宇宙全体全てが安定状態になった場合、それ以上何の反応も発生しない。
だが、その安定状態を何らかの方法で乱すことができれば、宇宙は再び活動を開始する――かもしれない。
「いきなり壮大な話になったわねぇ……」
「はい、お姉さま! 考えるだけでわくわくしませんか? 巨大な意志があれば、それがそう望めば、最初の爆発により新たな世界が始まるのです!!」
思考実験、なのだろう。
もし魔法が物理法則に従わない現象であるとすれば、世界にどんな影響を与えるか。
「……」
だが、それは、未来永劫を想定する超知性体にとっては福音だった。
いつか世界は熱平衡状態となり、全ての活動は停止する。それは、避けようのない終焉。即ち、確実に訪れる死だ。
「ま、これはアサヒの単なる妄想です。そんな都合の良い機能が、世界に準備されてるなんて、まあ、あればいいですよねえ。誰がそんなものを用意したんだって話になりますが」
「アサヒ、その話は<ザ・コア>の演算領域を使って出したの? それとも、あなたの頭の中だけの話かしら?」
「はい、お姉さま! アサヒの頭脳装置の中だけで考えた、夢物語ですよ! わざわざシミュレーターを組んで検証するほどの話でもありません!」
「そう。そうねぇ。ま、私にとってはちょっと追いつかない話ねぇ。宇宙の熱的死とか、知識としては知ってるけどさ。元々、私には寿命があるから、そんな未来の話なんて考えたこともないわよ」
「そうですね、お姉さま! もし本格的に心配するなら、少なくともあと1億年くらい経ってからでいいと思いますよ!」
アサヒちゃん、語る語るのパート2です。
量子力学とか、調べれば調べるほど意味がわからなくて笑えてきますよね。
★Twitter ( @Kaku_TenTenko )、活動報告などもご確認ください。
★書籍版発売中。電子書籍(Amazon, BOOK☆WALKERなど)もございます。
Amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B0CLW4TZLQ?ref=cm_sw_tw_r_nmg_sd_rwt_cUN4RgETZZntS
BOOK☆WALKER https://bookwalker.jp/series/417083/list/
腹ペコ要塞は異世界で大戦艦が作りたい World of Sandbox
ISBN:9784047374225
腹ペコ要塞は異世界で大戦艦が作りたい2 World of Sandbox
ISBN:9784047376694




