第242話 神の子の物語
「いや、少なくとも今は知らんぞ。もしかしたら圧縮記憶になにか残ってるかもしれねえけどよ」
「そう。こっちの資料が、教義に関するもの。こっちは文化様式。国力推定はこっち」
「……なんでそんなもんがポンポン出てくるんだ」
アマジオ・シルバーヘッドは、イクシア=アヤメ・ゼロと対面に座り、ティー・タイムを楽しんでいた。表向きは、だが。
楽しんでいるのは、おそらくイクシアだけだろう。
アマジオは、イクシアから差し出された紙の資料をパラパラとめくり、大きく溜息を吐いた。
「スパイボットを侵入させている。ようやく既定の浸透率を超えた。情報密度が上がったから、帰納推定処理の精度も向上している」
「あー、そうかそうか……」
これについては、もう言うだけ無駄だろう。そういうもの、として扱ったほうが精神衛生上好ましい。
「プラーヴァ神国の基本教義は、魔法。全ての魔法を司る魔神を頂点とし、神の御業を分け与えられた聖職者が国を治める。国民は大なり小なり魔法を扱うことができ、特に腕のいい者は僧兵として取り立てられる」
「ウチをやたら見下してくるのはそれか……。ウチは魔法はからっきしだからな……」
既に国外退去処分とされたプラーヴァ神国の駐在宣教師(外交官)を思い出したのか、アマジオは顔をしかめる。
彼らにとっては、魔法を使えない人間は人間に非ず。魔神に誠心誠意奉仕することで、ようやく生を認められる、その程度の認識ということだ。
尤も、<パライゾ>のお陰で最前線では凄惨な戦闘が続いているわけだが。
プラーヴァ神国が見下す他国民により、多くの僧兵が犠牲になっているはずである。
「彼らが経典と呼ぶ文書もコピーした。改変の痕跡はあるが、出処はあなたの勢力に所属したAIによるものと判断できる」
そうして、渡された経典のコピーもパラパラとめくる。
流し見ではあるが、アマジオの筐体の性能であれば、一字一句見逃すことなく記憶はできているはずだ。
「魔の森の奥にある聖地に、魔神は眠る。その地まで道を通すというのが、最終目標。道を通す労力はすべての国民が負担する。おいおい、こいつは……」
「そう。おそらく、あなたの本拠地、<トラウトナーセリー>を目指し、プラーヴァ神国は今も魔の森の開拓を続けている」
「…………」
プラーヴァ神国の始まりは、帰るべき場所を見失った神の子だった。
当時、辺境で滅びかけていた小さな小さな村が、その中心となった。
神の子は怪我で動けなくなっていたが、村人を助けつつ、時間を掛けて自身が帰るべき場所を見つけ出したのだ。
だが、自力でそこに向かうことはできない体となってしまっていた。
そこで、村人に無茶を承知で頼み込んだ。
いつか、その場所に道を通して欲しい。自分はやがて死ぬが、できればそこに連れて行って欲しい。
神の子に多く助けられ、既に国となっていたその村で、村人達は神の子の願いを聞き遂げると誓った。
それが、プラーヴァ神国始まりの神話だった。
「いろいろと思うところはあるが、彼らの目的は判明した。他国から富を収奪し、労働力を確保し、聖地への道を作り上げる」
「……すまん、ちょっと言葉にできねえ」
イクシアの説明に、アマジオは難しい顔で目を閉じる。
「あなたが感傷に浸るのは、後で」
「お前に人の心はないのか」
「ない。問題は、魔の森を開拓する、チミヤーと呼ばれる部隊。前線の戦況が悪くなれば、彼らが出てくる可能性がある」
家族は、魔の森に分け入り、魔物を倒し、木々を切り拓き道を作り上げる部隊である。教義上、彼らは最高の力を有し、莫大な予算を割り当てられ、日々開拓を続けている精鋭中の精鋭だ。
だが、彼らを支える物資が限界に達している。
そのため、プラーヴァ神国は他国への遠征を開始したのだ。
「……、そうだな。魔の森で戦い続ける聖騎士が出てくる、か」
だが、その遠征が頓挫しかけている。
前線の押し上げは滞り、派遣部隊の被害も広がっている。
また、後方は突然現れた<フェンリル>に荒らされ、補給路が潰された。ついでに多くの攻略部隊も犠牲になった。こちらは幸い、それ以上の被害の拡大は発生していないものの、強大な魔物に資源と領土を押さえられたという形だ。
おそらく、当初予定していたよりも、物資の収奪は進んでいない。
「事態の打開のため、最高戦力を派遣してくる可能性がある。まだそこまで侵入できていないため全てが予測になるが、最前線の戦力は、桁違い」
「毎日毎日、魔の森の魔物たちと戦い続けている騎士か。どう考えても厄介じゃねえか」
「先に<フェンリル>討伐に動いてくれれば、戦力予想もしやすいが」
「他国攻略を優先する可能性が高い。フェンリルは避ければいいんだからな」
<アヤメ・ゼロ>、およびプラーヴァ神国担当戦略AI<アイリス>による予想では、攻略部隊に向けてさらなる戦力投入が行われる。
戦力評価で、戦術級あるいは戦略級の力を持った強力な騎士が派遣される可能性が高い。
「個人で軍を相手にできるレベル、か。まあ、あの<フェンリル>も余裕で国落としができそうだし、それと渡り合ってる奴らなら当然かもしれんが……」
「実際に観測しているわけではないから、あくまで予想。そこは履き違えないで。今までの情報からの推測にすぎない」
「つーか、フェンリルもだけどよ、ああいう理不尽の権化みたいな魔物の情報をあんたらが持ってるって時点で驚きなんだが」
「これまでの交戦経験から予測すると、フェンリルは我々相手に善戦できる戦闘能力がある」
「話を聞いてると、どうもあんたらの技術レベルがチグハグな気がするんだが……」
「黙秘権を行使する」
「どこの権利だよ」
そんなハートフルな会話を続けつつ、アマジオは手元の資料をめくった。
「…………」
プラーヴァ神国の増援。戦力予想。
今前線にばらまかれているアサルトライフルでは、牽制にもならない可能性。
大口径の重機関銃ですら、役に立つかどうか分からない。
大砲クラスの威力が求められる。
だが、それらを用意するのは簡単ではない。
大砲自体は、今のレプイタリ王国の技術力でも製造は可能。だが、それを前線で運用できるかというと、困難と言わざるをえない。なにせ、的は人間1人ということになる。
いわゆる固定式の重砲では、そんな的を狙うことは不可能だ。
必要なのは大きな威力と小回りを兼ね備えた大砲。即ち、戦車である。
「すぐには判断できないと思ってあまり突付かないようにはしてたが、時間がねえからな」
数日前に、アマジオはイブにお願いをしていた。外部演算装置を用立てて欲しい、と。
だが、それは数ヶ月後、あるいは数年後という先を見据えた相談だ。信頼関係のないアマジオとイブの間で、すんなりと事が進むとは考えていなかったのだが。
「というと?」
「事態は切羽詰まっている。その認識は間違いないか?」
「…………」
<アヤメ・ゼロ>は思案する。<リンゴ>であれば有り余る演算資源によって即時に回答できるのだろうが、海中要塞<アヤメ>にはそこまでの演算装置は用意されていない。
せいぜい人間の数十倍、という思考速度で、可能性を検討する。
「ある側面において、同意する。勘違いしないでほしいのは、我々<パライゾ>としては、どちらに転んでも問題ない」
「……ああ、まあ、そりゃそうか。すまん、それは俺の事情だからな。その通りだ。俺の国の問題だ。だが、あんたらが認識しての通り、おそらくこれが分水嶺」
レプイタリ王国を中心とした科学文明国家。
プラーヴァ神国を中心とした魔法宗教連合。
<ザ・ツリー>所属の超知性体達にとって、この地を支配する国家がどちらになろうと、長期的には大きな違いはない。文明の進歩度合いや、司令官の意向により、レプイタリ王国に肩入れしている、という程度だ。
「俺に所属する全てを、お前たちの所属に変更する。俺自身も含めて、だ。全ての価値を示すことはできないが、この条件を考えてくれないか」
「……検討する」




