第239話 アヤメ・ゼロだけずるい
「お姉さま。碑文の解析が終了した。見る?」
「あ、そうなの? 見る見る~」
アカネの報告に、お姉さまは頷き、手招きする。そのまま寄ってきたアカネを捕まえると、足の間に座らせた。最近のスキンシップ体勢のお気に入りである。
「で、なんて?」
「ん。石碑の所属と来歴が記録されていた」
お姉さまに後ろから抱き締められてご満悦のアカネは、思考制御でいくつかのウィンドウを空中に表示させた。
「所属は<トラウトナーセリー>。本拠地から出発した探索機が通信経路ロストにより孤立化。その後、脚部破損により移動が困難となった後、現地住人と交流、交渉により石碑を建造。探索機の稼働期間は、石碑完成時に796日。残りの稼働可能予想日数は、900~1500日程度」
石碑に刻まれていた圧縮データを展開したところ、読み取れたのがそういった情報だったらしい。所属証明書は公開キー付きで、それがデータ量の1/3を占めていたようだが。
「……サケ目サケ科、養魚場……?」
「ん。たぶん、アマジオ・サーモンの要塞名」
「やっぱりか!!」
こんなところに、アマジオの足跡が残っているとは。
しかしそうすると――どういうことになるのだろうか。
「ええっと……この石碑が見つかったのは、プラーヴァ神国の中心部。聖室、と呼ばれる場所で、厳重に保管されていた。ってことは、プラーヴァ神国ってアマジオさんと関係あるってこと?」
「可能性はある。けど、それはとても低い。この石碑を作った探索機がある程度の知識を有した自立知性体で、独自の判断で現地住人に知識を教えた、あるいは指導したという可能性が最も高い」
アカネの説明に、イブは眉間を押さえた。あんまり皺を寄せ過ぎると、癖になってしまうからだ。
「……つまり、アマジオさんところから迷子になった子が、なんやかやで神様かそれに近い何かに祭り上げられた、ってことかしら?」
「たぶん、そう。でも、推測が5割を超えるから、話半分に聞いて」
アカネの言葉に、それはそうか、とイブは頷いた。
分かっている事実は、石碑を作ったのがアマジオ・サーモンの率いた勢力に所属していたらしいということだけだ。
まあ、それはすぐに確認できるだろう。アマジオから入手済みの所属証明書の公開キーで復号すればいいのだ。
アカネがウィンドウを操作し、復号を実行。
「アマジオ・シルバーヘッドから入手した公開キーを使って、データの復号ができた。これで、石碑の出どころは確定した」
「はー……。とりあえずアマジオさんには連絡するとして」
意図的なのか、全く預かり知らぬかはさておき、共有は必要だろう。
ただ、探索機が動作していた時期は、アマジオが転移してきてから数年と推測される。そうすると、100年以上前の話になるはずだ。
「アマジオさん、過去の記憶はアーカイブしてるから思い出せない、とか言ってたわね。当時の記録が残ってれば、何か分かるけど……」
「司令」
アマジオ・サーモンに言及した時点で、<リンゴ>が声を上げた。
「アマジオ・サーモンへの外部拡張ユニットの提供は、承服できません。少なくとも、正当な対価が提示されるまでは」
「……心配性ねぇ。最悪、第1艦隊をぶつければ潰せるって試算したのは<リンゴ>じゃない」
食い気味に拒否する<リンゴ>に、イブは困ったように笑ってそう返した。
「大丈夫よ。<リンゴ>の意志を無視することはないわ。無償の施しも、度を過ぎれば害悪になる。理解はしているつもりよ」
「……」
無言で立ち尽くす<リンゴ>。
イブは、そんな<リンゴ>の手を掴み、自分の隣に座らせる。
「アマジオさんは私と同じ、元の世界からこの世界に転移してきた。だから、私は親近感を覚えている。これは間違いないわ」
俯く<リンゴ>の背中を撫でつつ、イブは言葉を続けた。
「でも、<リンゴ>の懸念も分かるわ。アマジオさんはたぶん同郷だけど、言ってしまえばそれだけよ。そうね、同じゲームをやっていたというだけの他人。すこし同じ話題で盛り上がっただけで、友達とも言えない関係」
<リンゴ>はイブを常にモニターしている。だが、だからと言って、その内心まで読み解けるわけではない。
元の世界の補助分身と違って、生まれてからずっと見守り続けているわけではないのだ。イブの考えを言って聞かせないと、<リンゴ>には伝わらない。
「あまり心配しないで。あなたはあなたの懸念を、私に伝えて。あなたの言葉を無下にすることはないわ。私は、私の意志をちゃんとあなたに言う。そして、それに意見してもいい。わかった?」
「……はい」
「アカネもよ? ちゃんと、言いたいことがあれば言いなさいよ?」
そう告げられ、アカネはイブを見上げる。
「レプイタリ王国から書籍を輸入して欲しい。紙の本を読んでみたい」
「あら……」
言われてみれば、<ザ・ツリー>内ではわざわざ紙の本を準備することはない。原本は電子データで、わざわざ製本したところで、ありがたみは薄いだろう。
「ちょっと考えてみましょうか」
「アヤメ・ゼロだけずるい」
「あら……」
◇◇◇◇
『なんだ、改まって。ちょっと緊張するんだが?』
「戦況には変わりないんだけど、気になるものを見つけちゃってね」
石碑発見を受け、急遽セッティングされたアマジオ・シルバーヘッドとのトップ会談。
「これなんだけど。解析できるかしら?」
『んん……?』
石碑の凹凸をデジタル処理で強調させた画像を、アマジオに送信する。
『おいおい……こいつは……どこで?』
2次元コードで表現されるそのデータを読み込んだのか、アマジオは顔を曇らせる。
「まあ、何でも無いところで見つけたのならよかったんだけど……」
どういう反応をするのか、と苦笑しつつ、司令官は続ける。
「聞いて驚いて。これがあったのは、プラーヴァ神国、首都の中心にある大聖堂の中よ」
『はっ!?』
「御神体とか、聖遺物とか、たぶんそんな扱い。いやあ、調査中にこんなものを見つけるなんて、私もずいぶん驚いたけど」
『……』
アマジオが、黙る。彼が沈黙したため、イブも口を噤んだ。だいぶ慣れたとはいえ、彼女は引き籠もりである。こういう場面で、何を話せばいいかなんて分からないのだ。
その沈黙が、数分続き。
『……悪ぃな。ちっと考えてた』
「あ、いいのよ。とんでもない情報だってのは分かってるわ」
『あー……。これは、どうなんだ? プラーヴァ神国が、なんでウチの機械を……』
「いえ、それはさすがに分からないわね。成り立ちに関係あるのか、何かの勘違いで収納してるのか。そのあたりはこれからの調査だけど」
『まあ、そうか。すまん、焦ったな』
映像の中、アマジオは大きくため息を吐いた。
『すまん、残念ながら、今の俺の記憶の中には、こいつの情報は残ってねえ。昔の記憶は整理してアーカイブしちまってるからな』
そう言って、アマジオは背筋を正す。
『こいつがプラーヴァ神国の中枢から出てきたなら、流石に、忘れたままってわけにはいかねえ。なあ、嬢ちゃんには直接言ってなかったが、頼まれてくれねえか。外部演算装置が必要だ。じゃないと、俺のアーカイブを展開することができねえ』
「……。一部の展開でも、あなたには無理なの?」
『ああ。正直、時間が経ちすぎたんだ。俺は脳内記憶域まで手を入れている。だから、通常の生体脳よりもずっと多くの記憶を保持できるが、それでも限界があるんだ。容量確保が必要だから、古い記憶から順にアーカイブされる。だが、記憶域も無限じゃねえ。あと10年も経てば、アーカイブの整理も必要になる程度にはな』
彼女は、<ワールド・オブ・スペース>の設定を思い出す。
自身のアバターを機械化するメリットとデメリット。メリットはいいとして、そのデメリット。確か、生体脳と異なり、定期的なメンテナンスをしないとパフォーマンスが低下するというものがあったはずだ。
『アーカイブもある程度インデックスは作ってるが、目的の記憶だけ展開するには、情報が足りねえ。展開すれば今の記憶域を圧迫するから、展開と圧縮を繰り返す必要がある。しかも、作業領域は極小だ。目的の情報を見つけるのに3年かかってもおかしくねえ』
アマジオはメンテナンスフリーとは言っていたが、情報処理装置はほとんどの機能を停止していたらしい。単純に意味がないというのもあっただろうが、結局、メンテナンスできないから放置せざるを得なかった、というのが正解なのだろう。
『条件があるなら、可能な限り飲む。その対価を払うのが難しいのも理解している。だが、何とかならないか、イブの嬢ちゃん』
「……」
そして、その懇願に、今度はイブが沈黙したのだった。




