第238話 不穏な影
「機能に問題はないのですが、アサヒの診断結果に一部不明瞭な点がありました。そのご報告です」
司令官と<リンゴ>は、司令室を秘匿モードに切り替え向かい合った。
秘匿モードでは、少なくとも6姉妹の持つ権限では入室も情報閲覧もできない状態になる。
「聞きましょう。<リンゴ>が何も対処していないってことは、そう悪い状態というわけではないのよね?」
「はい、司令。少なくとも、診断内容に不審な点はありません。各種検査反応も基準値の範囲内ですし、精神的な問題は確認されませんでした。バックアップも正常に取得されていることをログで確認できました」
<リンゴ>の答えに、イブは首を傾げる。
少なくとも、診断機械はアサヒに問題なしと判断している、ということだ。
診断機械が集めたデータ以外の情報を<リンゴ>が持っている、ということだろうか。しかし、例え持っていたとしても、その情報は速やかに診断機械にリンクされるはずである。
「検査記録の一環として、頭脳装置に対しX線による内部スキャンを実施しました。この検査によって取得できる情報は少なく、また不明瞭ですので、診断機械は判断結果に使用しません」
そう説明しつつ、<リンゴ>はX線による立体構造図を投影する。
「アサヒが戻ってくるたびに記録していました。成長記録のようなものです」
そして、時系列に表示を変化させた。すると、アサヒを構成する3つの頭脳装置の内部にもやが発生し、それがだんだんと大きくなっていっているのが確認できた。
「この白い影ですが、発生原因は不明。頭脳装置の機能そのものには影響はありません。センサー値は異常なし。内部の化学物質濃度も異常なし。性格はアレですが、演算性能にも問題なし」
「それ性格に言及する必要あった?」
「ただ、バックアップデータを検証しましたが、この白い影に関する情報が記録されていないように見受けられます。完全再現すると人格複製になるため十全に解析できたわけではありませんが、部分的にシミュレートした結果、この状態は再現されないと結論付けました」
<リンゴ>の報告に、彼女は考え込んだ。
アサヒの脳内に、解析不能領域が発生している。通常、擬似生体細胞が機能停止すれば速やかに分解除去され、周囲の細胞が分裂増殖して回復する。頭脳装置であっても、それは同様だ。
であれば、故障などではない、と判断できる。
再生機能に異常が発生していることも考えられるが、各種センサー値に問題がないため、その可能性は非常に低い。
はっきり見て分かるほどに変質していても、正常に機能しているなら、異常とは診断されないのだ。
「流石に、頭脳装置を分解するわけにもいきません。この白い影については、要経過観察となります」
「うーん……。この世界でなければ、専門設備に回す重要案件なんだろうけどねぇ……」
お姉様はため息を吐いた。この相手は、あのアサヒなのだ。なんだか、理不尽のニオイがぷんぷんするのである。
「他の頭脳装置に同様の問題はないのかしら?」
「<ザ・ツリー>内の個体には問題は発生していませんが、その他は未調査です。すぐに調査を行いましょう」
頭脳装置用の精密検査設備は、これまで必要性が無かったため、北大陸側には設置していない。今後、アサヒの経過観察の対応も考えると、どこかの拠点に作り付けたほうが良さそうだ。
「そうね。ひとまず、第2要塞に設備を作りましょう。あそこが一番守りが堅いしね」
「はい、司令」
<リンゴ>はイブの指示通り、第2要塞に設備建造の指示を飛ばす。3日後には完成するだろう。ひとまず、アサヒの謎の症状についてはこれで問題ない。
「それと、これは正常な反応ですので問題はないのですが、アサヒの脊椎神経系の癒着が進行しています」
「癒着?」
「はい、司令。頭脳装置と人形機械を接続する脊椎神経系の擬似生体細胞が、一部で癒着しています。これは、同じ筐体を使用し続けることで発生する反応ですので、通常使用では問題ありません」
アサヒの使用している筐体は、汎用の人形機械を専用に改造して用意したものだ。使用し続けると、頭脳装置との接続が強化され、やがて神経細胞の融合が進み、一体化する。
メリットは単純に反応速度が早くなるということ。ソフト的には、一部の処理を筐体側に任せることができるようになるため、頭脳装置の演算負荷が低くなる。
デメリットは、頭脳装置単体での切り離しができなくなること。そして、筐体破損のフィードバックが直接流し込まれるということだ。
万が一、アサヒの体が破損した場合、そのフィードバック信号で頭脳装置に多大な負荷が発生する可能性がある。最悪、機能停止もありうるのだ。
「まあ……仕方ないわね。それを防ぐために筐体を変えるのもちがうし、他の子達も時間の問題でしょう?」
「はい、司令。これは本人に通知し、より一層注意するよう警告しましょう」
「……うん、そうね。警告は大事ね」
◇◇◇◇
プラーヴァ神国首都の中心部には、巨大な聖堂が佇んでいる。
その中心部、大講堂の奥に、それは安置されていた。
一見すると、灰色の板。縦4m、横1.3mほどの大きさで、元はきれいな直方体だったのだろう。風化によって角はやや丸みを帯び、ところどころに欠けも発生している。
だが、その表面に刻まれた聖句はしっかりと残っていた。
「……」
手のひらほどの大きさの羽虫が、じっとそれを見つめていた。
石碑の表面に刻まれた聖句。まるでモザイク画のようなそれは、何も知らない者が見れば、ひどく抽象的で、神秘的な印象を受けるだろう。
だが、これは単なる絵ではない。
0と1で構成された、圧縮データが刻まれたデータストレージである。
保存性を最優先しているため、その情報量は非常に少ないが、石碑という性質上、数百年単位は原形を保てるだろう。
虫が集まる。
羽虫が、蜘蛛が、その石碑を取り囲むように、静かに聖堂へ集まっていた。
「……」
そして。
1羽のカラスが、聖堂の屋根にとまった。
その瞬間。
鐘の音が、響き渡る。
執拗に、何度も、何度も。
常駐の僧侶達が、慌てたように聖堂に走り込んでくる。
鐘の音は、侵入者発見の警報だ。意識あるものをその警戒範囲内に捉えると、鐘を鳴らすという単純な魔道具だが、警備道具としては非常に優秀だ。
僧侶達は魔道具の動作を止め(そのまま自分たちが入ると鳴り続けるため当然だ)、大講堂奥の聖室を取り囲む。
鐘の音は、その聖室を監視する魔道具のものだった。
僧侶達の中で、最も荒事になれた者が、ゆっくりと聖室の扉を開く。
さっと見渡すだけで、聖室の中は全て確認できる。そもそも、石碑を風雨から守り、余人の目に触れさせないようにするためだけのものだ。それほど広い部屋ではない。
誰もいない。
扉から、複数人が室内へ入る。
設置された石碑は聖なるものだが、絶対不可侵というわけでもない。部屋の中、天井には侵入者の影はない。
であれば、あとは入口の反対側、石碑の裏か。
1人が、警戒しつつゆっくりと石碑を回る。
「……蜘蛛?」
そして。
石碑の裏には、胴体が拳ほどの大きさがある1匹の蜘蛛が転がっていた。
◇◇◇◇
『……』
戦略AI<アイリス>は考察する。
手に入れた情報を情報洗浄設備に送信しつつ、分析する。
プラーヴァ神国の中枢に設置された石碑に刻まれた、バイナリデータ。
圧縮暗号化された電子データだが、圧縮方式は既存のものだ。即時展開可能である。
そのデータの内容自体は、大したものではない。
その扱いは、<リンゴ>が解析して決めるだろう。<アイリス>が考える必要はない。
問題は、警報機が作動したということだ。
一体、何に反応したのか。
ダミーで蜘蛛型ボットを残したが、それ以上の情報が集まらない。何が原因なのか、調査を継続する必要がある。
<アイリス>はさらなる情報収集のため、偵察ボットの追加放出を決定した。
 




