第235話 領土を削られる
レイディア王国の首都を含む、北部主要都市が壊滅して数日後。
生き残りの人々を追い散らしていたフェンリル親子は、その子供の足に合わせてゆっくりと魔の森方面へ移動を始めた。
その様子を、<ザ・ツリー>は衛星写真で定期的に確認している。できれば上空にドローンを張り付かせたいのだが、マイクロ波給電の範囲外のため、断念していた。
ちなみに光発電式偵察機の派遣自体は可能なのだが、搭載機器の性能の問題で、偵察衛星とあまり変わらない解像度の情報しか収集できないため、見送られている。
「これ移動してるみたいだけど、魔の森に帰るのかしら?」
「不明です、司令。移動経路は、首都に襲来したときとは異なっています。単に餌場を移動しているのかもしれません」
このフェンリルと命名した脅威生物の生態は、全くと言っていいほど分かっていない。そもそも、解像度に限界のある衛星軌道からの観察しか出来ていないのだ。
何を食料にしているのかということすら、映像からでは解明できない。
「幼体が人間を捕食しているように見える場面は確認できましたので、肉食であるのは間違いないでしょう。狼、ないし犬科の動物を元にする脅威生物であると想定できます。ある程度の雑食性はあるかもしれませんが、今のところ確認できていません」
「親の方は、観察する限りは、1週間以上何も食べていない、か」
脅威生物も、食事は行う。
それは、最初の<レイン・クロイン>でも確認できたし、例の<ワイバーン>もビッグ・モスを捕食しているらしい。
ただ、その生物の運動量と摂取カロリー、という面で計算すると、どう考えても収支が釣り合わないのだ。
「やはり、魔素を何らかの形で生命維持に使用していると考えるべきでしょう。少なくとも、フェンリルの成体は1週間食べなくても、運動性能に変化はないようです。獲物を探す素振りもありません」
確定した事象がほとんど無く、推論でしか話ができない。司令官も<リンゴ>もそんなことは分かっているため、これは単なる日常会話だ。
「観察を続けるしかないわねぇ。プラーヴァ神国も戦線整理を始めたみたいだし、しばらく大きな動きはなさそうね」
「はい、司令。状況に変化があり次第ご報告いたします」
◇◇◇◇
フェンリル一家が魔の森に帰って3日後、再びフェンリルが確認された。数は1頭。サイズ比較から、雄親の<フローズ>と思われる。
「<フローズ>は自身が破壊した村々を順番に回っているようです。考えられるのは、縄張りの巡回。おそらく、レイディア王国に進出した部分は自身の縄張りに組み込んだということでしょう」
<リンゴ>の予想は、その後の<フローズ>の動きから、ほぼその通りであると証明された。
<フローズ>は、村を回った後、比較的大きな都市跡、おそらくトラリクイン市と想定されるそこで一晩を過ごす。ついでに、ちらほらと戻ってきていた都市の住人を蹴散らして。
次の日はそのまま王都アルガスタまで足を伸ばし、やはり人間たちを蹴散らし、追い払い、そのまま魔の森へと帰っていった。
「レイディア王国北部は、完全にあの<フェンリル>の縄張りとされてしまったようですね」
ほうぼうに逃げ散った住人達がなんとか戻ってきたら、再び<フェンリル>が追い回す。<フェンリル>は、自身の縄張りに人間が住むことを許すつもりはないようだった。
「はぇー。今まで大丈夫だったのに、急にこれなのね。中々ハードねぇ、ファンタジー世界も」
「はい、司令。ただ、これまで集めた情報を分析しても、歴史記録上で魔の森からこういった脅威生物が南下して人類の居住域が削られた、という話は見つかりませんでした。せいぜい、真偽不明のおとぎ話程度です。明確な記録は残っていません。そうすると、かなりイレギュラーな事象が発生したものと考えられます」
<パライゾ>として情報収集を行っているが、なかなか脅威生物に関する情報が集まらないのだ。これは、現在の人類居住領域が、脅威生物の領域と隣接していないため、と予想されていた。
逆に、隣接していた場合は何かの拍子に滅ぼされたのではないか、と考えられる。つまり、人類と脅威生物は、既に棲み分けされているということだ。
だが、その予想が、この<フェンリル>の行動によって揺らいでいる。
「<ザ・ツリー>の戦力は、北大陸南部の国家群と比較すると突出しています。一部の戦力だけで、一国を制圧するのは容易でしょう。ですが、この我々の戦力と真っ向から勝負できるのが、これまで遭遇した脅威生物です」
「いや、改めてそう言われるとマジで勘弁してほしいわね。こっちからちょっかい出さなくても襲ってくるし……」
とはいえ、その脅威生物に十分対抗できるだけの戦力を揃えている、というのも事実だ。例えば<レイン・クロイン>を相手にするのであれば、要塞<ザ・ツリー>の防衛戦力である第1艦隊が現場に急行、速やかに駆除できる態勢を取っている。
<ワイバーン>も同様に、多数の航空戦力を投入することで、一方的に撃ち落とすことが可能だろう。
しかし、そんな態勢を取っているにも関わらず、さらに<フェンリル>という不確定要素が出現するのが理不尽世界の恐ろしいところだ。
果たして、展開可能な陸上戦力であの脅威生物を駆除することができるのだろうか。
「しかし、縄張り巡回ということであれば、当面は我々とぶつかる心配はないでしょう。むしろ、プラーヴァ神国の侵攻路が狭まったことを喜びましょう。あの<フェンリル>の動き次第では、プラーヴァ神国は一部の戦力を張り付ける必要が出てきます。前線の圧力はかなり減ることになります」
<リンゴ>の分析の通りで、今片付けるべき課題はプラーヴァ神国の侵攻を食い止めることだ。
無視して良い要素ではないが、当面は影響はないどころか良い効果が発生することになる。
◇◇◇◇
<フェンリル>の縄張り巡回の3回目。襲来から10日目。
衛星写真に、顕著な変動が確認された。
比較的大きな村や都市が、顕著に緑化していたのである。
既に樹高数m程度の木々が生えており、都市の残骸は急速に緑の海に沈み始めていた。
この現象は、別の場所で観測済みである。
ビッグ・モスの幼虫が作り出した、魔の森の中に現れるフェアリーサークル。その内部で、植物が急成長するという現象である。
つまり、レイディア王国の都市跡が、フェアリーサークル化している、ということだ。
「お姉さま、実に興味深いですね! これは、都市がフェアリーサークル化したのか、もともとフェアリーサークルだった場所に都市が作られたのか、どちらだと思われますか!?」
「ええ……。サンプルが少なすぎて分かんないわよ……。事前に魔素濃度が計測できてれば、何かわかったと思うけど」
朝日がテンション高く語りかけ、お姉さまも真面目にそれに付き合っている。
「とはいえ、アフラーシア連合王国での調査で目星はついているんですけれどね! 都市は、魔素が湧いてくるフェアリーサークルに作られるもののようですから!」
「あら、そうなの? 後からフェアリーサークルになるのではなく?」
「はい! どうも、この世界の人類は、魔素濃度が高いほうが好きというか、魔素濃度が低い場所に嫌悪感を感じるようですので!」
その報告は初耳であった。<リンゴ>に目で確認すると、首を振る。どうやら、まだまだ検証中の内容らしい。
「あれですね、ここはなんだか嫌な感じがする……というやつですね! ある程度魔素濃度が高いと、特に何も感じないようです!! 興味深いですね!!」
その話の真偽はさておき、そうすると、フェアリーサークルというのは一つのキーワードになるのだろう。フェアリーサークルは、魔素が湧いてくる場所だ。これは、アフラーシア連合王国での調査で判明している事実だ。
そして、<フェンリル>は、的確にフェアリーサークルの場所を回っているということになる。
人間が先か、フェアリーサークルが先かはまだ分からないが、たまたま感知範囲に入った<フェンリル>が、フェアリーサークルに惹かれて魔の森から飛び出してきた。
安易に結論づけることは危険だが、そういった目線でこれまでの情報を分析してみてもいいかもしれない。
イブはそう判断し、アサヒに考察を押し付けるのだった。




