第224話 首都モーア
「サーリャ、列車の旅はどうだった?」
「すごかったぞ! 寝てる間も走ってるし、食堂車も揺れながら食べないとだし!」
普通の(と言いつつ上流階級向けの)馬車に揺られながら、3人はおしゃべりをしていた。
「大変だった。まず、サーリャは屋根に登ろうとするのをやめた方がいい」
「だって、高いところのほうがよく見えるぞ!」
「え、屋根って、列車の屋根……?」
彼女たちが向かっているのは、これから3人が生活することになるアパートメントだ。
最低限の家具は据え付けられているということで、手荷物は最小限。
生活費は、シルバーヘッド公爵が支給する。当面は首都の暮らしに慣れることと、シルバーヘッド公爵邸での実地研修が求められている。
駅舎から1時間ほど馬車に揺られ、3人は目的の住宅街に到着した。
いわゆる、高級住宅街。治安もよく、公舎で働く役人たちが多く暮らす区画だ。一応、シルバーヘッド公爵邸での奉公という形であるため、彼女らもこの住宅街から通うことになる。
「さあ、ここが私達の家よ」
「すごい、高いな!」
玄関を開け、サーリャは窓に走っていく。
場所は、3階建ての最上階。階段を上る必要があるため不人気な部屋ではあるが、その代わりに間取りが最も広くなっている。
個室が3部屋、リビング、水場が備えられており、水道も準備されていた。
水道はここ1年ほどで普及した新技術で、1階までポンプを下ろし上階へ汲み上げる仕組みだ。通常は、水場に手押しポンプが設置されている。
1階の水槽には水道管によって水が導入されており、常に新鮮な水が流れ込むようになっている。
このあたりの施設については、アマジオ・サーモン率いる頭脳集団が大いに力を発揮し、都市計画時点でかなり手が入っていたようだ。技術更新はゆっくりと進んでいたのだが、それがここに来て、パライゾの製品流入により爆発的に変革しているという状況である。
「おお、これは焜炉だな! 燃石を使う最新式か!」
水場に設置されたキッチンスペースを覗き、サーリャが歓声を上げる。
「最新を色々揃えたって言われたけど……。あっ! もしかして、パライゾ製の保冷庫かしら!?」
リナネルが目を付けたのは、隅に設置された保冷庫だ。
パライゾから輸入された機械で、仕組みは不明なものの、スイッチを入れると中を冷やしてくれる便利なものだ。これがあると食材の保存期限が飛躍的に延びるため、上流階級の間で爆発的に普及している。
アマジオ・シルバーヘッド曰く、とんでもないものを入れやがった、だが、彼が真実を語ることはなかったため、便利な道具として市民権を得ているのだ。
尤も、これを分解して仕組みを盗もうとする者達もいるのだが、残念ながら複製に成功したという話は聞かない。
「保冷庫?」
「この中を冷やしてくれる機械よ。いつでも冷たい飲み物が飲めるわ!」
「へえー」
冷たいもの、という意味では、サーリャの村では井戸水を使った保冷室のようなものはあったため、いまいちピンときていないようだった。この保冷庫のありがたみを知るのは、この街での生活をしばらく続けてからの話になるだろう。
首都モーアでは、新鮮な水は供給されているものの、外気でぬるくなったものしか手に入らないのである。
「……普通の部屋。特に怪しいところはないが、防犯面に不安がある」
部屋を回っていたイクシアの感想は、それであった。
「えっ。ちゃんと鍵はついてるわよ?」
「あの鍵では、少し手を入れればすぐに解錠される。しっかりしたものに付け替えるべき」
イクシアは、扉の鍵が気に入らないらしい。
とはいえ、現在付いているそれは、最新型のシリンダー錠である。これ以上を求めるなら、高額の依頼費を払ってオンリーワンの鍵を作ってもらうか、あるいは話題のパライゾ製のものを導入するか、だ。
「女性3人暮らし、という情報はすぐに知れ渡るはず。そうすると、不埒な輩が近付いてこないとも限らない。気を付ける必要がある」
「イクシアちゃんはしっかりしてるなぁ」
「常識」
「常識、ではないわね……。イクシア、あなたどこで育ったのかしら……」
レプイタリ王国、首都モーアの常識については、この面子の中ではリナネルが最も詳しいだろう。
彼女は、首都モーアの有名な孤児院の出身なのだ。
孤児院はいくつかあるが、彼女の出身のそれは、アマジオ・シルバーヘッド公爵が運営している。さらに、同じくシルバーヘッド公爵の出資する訓練校の出身のため、身元は保証されているうえ知識も一定基準を超えている。
孤児院ではあるものの、エリート養成校と言っても過言ではない。
「まあ、あなたが心配するのも尤もだけど。そうねえ、防犯については世話役に相談しましょう。もしかすると、アマジオ様の伝で、パライゾ製の何かを融通してもらえるかもしれないわ」
「そう。了解した」
イクシアは頷き、焜炉を点けたり消したりしているサーリャに視線を向けた。
「サーリャ。あまり無駄遣いしない。それに使う燃石はカテゴリー3。売値は平均して300グラム。1年程度は使えるはずだけど、無意味に使っていいものではない」
「うぇっ…! そ、そんなに高いのか、これ」
「あはは。まあ、一応それ、部屋の備品扱いだから、あんまり変な使い方をしなければちゃんと交換はしてくれるはずだけどね」
とりあえず、これで一通り部屋の設備は確認できただろう。
「よし。じゃあリビングにいきましょ。あ、折角だからお茶を淹れましょうか。少し待ってね」
サーリャはさすがにお茶を淹れることはできないし、彼女をひとり待たせるのも忍びない。イクシアはサーリャと一緒にリビングで待つことにする。
一応、予定では日常生活のあれこれを取り仕切るのがリナネルの役目だ。サーリャは、共同生活者とは言え、どちらかというとお客様。将来村長を継ぐということは、貴族の仲間入りをするということだ。
一方、リナネルはどこまで行っても平民扱いとなる。
もちろん、公舎で働き、そこで役職を得ることができれば、貴族と同じ権力を手にすることも可能だが。今のところ、公舎への伝は無く、どこかの商会へ入るというのが順当な進路である。
ただ、今回のこのアマジオ・シルバーヘッドからの依頼をこなせば、官僚への推薦も夢ではなくなる。
そのため、リナネルは非常に張り切っていた。
ちなみに、サーリャはシルバーヘッド公爵直轄領の村長の娘という立派な肩書があるのだが、イクシアの方は知らされていない。
ただ、身元は保証する、という連絡だけがあったのである。
そして、うまく関係を結ぶことができれば、要は仲良くなれれば、今後も同僚としての仕事を紹介できる、とも知らされていた。
そうなれば、リナネルはもしかすると、官僚への切符を手にすることができるかもしれない。他ならぬ、シルバーヘッド公爵の言葉なのだ。
「お湯を焜炉にかけてきたから、すぐ沸くはずよ。茶葉は一種類しかないから申し訳ないけど。お茶菓子は、今は日持ちするものしか無いから、勘弁してね」
「かまわないぞ、リナネル殿。そういえば、買い物などは……?」
床に置かれたティーセット一式の箱から中身を取り出しながら、リナネルが答える。
「普段は、業者が届けてくれるわ。注文しておけば、だけど。このあたりだと、一般的なやり方みたいよ。庶民は、自分で朝市とかに行かないといけないけどね」
そして、今後の予定について3人で確認し、その後は夕食を作ったりベッドを整えたりと時間は過ぎていき、首都モーアでの生活一日目は終わったのだった。




