第222話 旅は道連れ
「あの……。はい、私がサーリャです、けど」
宿の受付前で、その少女はサーリャを待っていたらしい。
「詳しくはまたあと。先に受付を済ませる方がいい」
「わか、りました」
戸惑いつつ、しかし彼女の言うことも尤もであったため、サーリャは受付に向かった。
受付で、出身地と名前を書く。
宿帳は、宿泊者の素性を記録し、行政へ提出するためのものだ。主に、治安維持に使われる。そんな話を、サーリャは父親から聞いていた。
「サーリャ様ですね。確認いたしました。それでは、宿料をお支払いいただきます。イタリ銀貨であれば1枚、グラム払いも可能ですが、その場合は100グラム紙幣をお受けできます」
「グラムでお願い、します」
宿料は、事前に聞いていた通り。かなり高級な部類だろう。ただ、サーリャは曲がりなりにも村長の娘である。
しかも、あのシルバーヘッド公爵の直轄領だ。
最近流通を始めたグラム紙幣も、サーリャは十分に持たされていた。
「はい。……間違いございません。すぐにお部屋にご案内しても?」
「あ、えっと……」
サーリャは困惑したまま、後ろを振り返る。
そこには、イクシアと名乗った少女が、待合スペースの椅子に腰掛けて待っていた。
「荷物を置いてから、またこちらに来てもらえると助かる」
「わ、わかりました」
受付の女性も、特に困惑している様子はない。であれば、少なくとも、不審者ではないのだろう。
「部屋にお願いします」
「承知いたしました。ではこちらへ。お荷物をお持ちしましょう」
従業員の女性に部屋まで通され、サーリャはチップ用に持っていた1グラム紙幣を渡し、代わりに鍵を受け取った。グラム紙幣は喜ばれる、と聞いていたが、たしかに女性は満面の笑みを浮かべていた。
女性が出ていった後、サーリャは大きくため息を吐く。村からほぼ出たことのなかった彼女にとって、酷く緊張を強いられる出来事ばかりである。
このままベッドに身を投げ出したい誘惑を振り切り、彼女はポーチだけを身に着け、部屋に鍵をかけてから受付ロビーにとんぼ返りする。
「お待たせ……しました、イクシア、さん?」
少女は頷き、ソファから立ち上がった。
見た目通り、小柄な少女だ。サーリャは、女性の中では体格に恵まれている方だろう。イクシアという少女の頭頂部は、サーリャの肩までしかない。
「かしこまらなくていい。カフェテリアがあるから、そっちに」
「う、ん……?」
笑えばさぞ可愛らしいのだろうが、少女は驚くほど無表情だった。ただ、動きに迷いがなく、全体的にキビキビしている印象だ。サーリャの村でたまに見る、アマジオの付き人達を思い出させる。軍人の動き、というやつだ。
「ホットティー、ストレートで。このベーグルとハーブクリームのセットを。どちらも2人前」
カウンターで店員にそう伝え、イクシアは振り返った。
「サーリャ。紅茶にミルクは必要?」
「え、いや、ストレートでも大丈夫、だが……」
「ではそれで。グラムでいい?」
「はい、お受けいたします。……確かに。ありがとうございます。お席にお持ちいたします」
少女はさっさと会計を済まし、ちらりとサーリャに視線を飛ばしてから、窓際の席に向かった。サーリャは困惑したまま、少女に付いていく。
「支払いは心配しなくて良い。アマジオ・シルバーヘッドから十分に支給されている」
「え、あ、か、閣下と知り合い……?」
サーリャも席に着いたのを確認し、少女はすっと手紙を差し出す。
それは、今朝もやりとりされていたものと同じ。シルバーヘッド公爵の蝋印が押された、出処の間違いない書状だった。
「あなた宛。まずは読んでほしい」
「……」
封印を壊し、手紙を確認する。そこには、アマジオ・シルバーヘッドの直筆で経緯が書かれていた。
目の前の少女、イクシアの素性は保証すること。
研修生として、リナネル、イクシアと共に生活してほしいこと。
とりあえず、鉄道で一緒に首都モーアまで来てほしいこと。
最後に大事なこととして、モーア到着予定日の翌日は、シルバーヘッド公爵邸で歓迎パーティーを開くから来てほしい、と。
「そ、そうなのか……」
リナネルといい、目の前のイクシアという少女といい、見目麗しい彼女らと一緒に暮らすということに、サーリャはやや引け目を感じる。何より、あんな美女にどうやら信頼されているらしいアマジオ閣下に、何とも言えない感情を抱いてしまった。
「そういうわけで。暫くの間、よろしくお願いする。サーリャ」
「う、うん……こちらこそ、よろしく……」
少女2人による静かな自己紹介が終わったタイミングで、先程注文したお茶と軽食が届けられた。
「こちら、ディアラトライン王国産のシロアニア・ディバでございます。ごゆっくりどうぞ」
「ありがとう」
店員が静かに去っていき。
イクシアは、優雅な所作でティーカップを持ち上げた。
「いい香り」
最近流通量が増えてきた、東側の国から輸入される質の良い紅茶だ。サーリャの村でも飲むことはできるようになったのだが。
「……おいしい」
あまり紅茶を飲んだことのないサーリャだが、使われている茶葉の品質が非常に良いものだ、ということはすぐに分かった。香りもよく、雑味もない。わずかに感じられる甘みに、やや抑えめの苦味。
「ディバの中では最も標準的な味わいとされる、シロアニアの茶葉。その中でも上位の品質。保存方法が良いのは当然、鉄道を使った高速輸送による輸送期間の短縮で、この辺境の街でもこのクラスの紅茶が飲めるようになった。とてもいいこと」
「まあ……そう、だな」
イクシアは静かにカップを置くと、今度はベーグルを手に取った。一口大にちぎり、添えられたクリームチーズを付け、口に運ぶ。
「……遠慮せずどうぞ」
「あ、ああ……ありがとう」
サーリャも少女に習い、ベーグルを手に取った。クリームチーズには何かのハーブが混ぜられており、添えられたハーブの緑も映え、なんだかとてもお洒落だった。
「クリームチーズは、ここからおよそ130tf離れた村にある酪農家から取り寄せた新鮮な生乳を使って、今朝作られた一品。生乳もクリームチーズも、従来は酪農家周辺でしか味わえない珍味扱いだったけれど、少なくとも今ならここでも手に入るようになった」
「よく知ってるな……」
「店長が教えてくれた。彼はいい人」
楚々とした動作で、しかし全く淀みなくベーグルを口に運んでいく少女は、控えめに言っても食い意地が張っていた。完璧な配分でベーグルとクリームチーズを食べ尽くし、ナプキンで口元を拭いている。
「この宿は、食事も絶品。楽しむといい」
「ありがと」
なんだか無表情で近寄り難い、そう感じていたが、どうやら愉快な人種のようだった。それに、美味しいものをしっかりサーリャにも勧めているらしい。恐らく、いい人なのだろう。
少し緊張が緩み、サーリャはクスリと笑った。
「改めて、よろしく、だ。イクシアちゃん」
「よろしく、サーリャ。明日からは基本的に同室になる。首都モーアまでは夜行列車で向かうから、車内で一泊する。何か心配はある?」
「いやー……。分からない、な。村から出たのも初めてだし……」
「そう。私はここまで列車で来ているから、問題ない。頼ってほしい。ああ、朝は出発の2時間前に従業員が起こしてくれるから心配しなくていい。列車はこの街が始発だから、時間が遅れることもあまりない」
「そうなのか。列車って見たこと無いけど、すごいのか?」
「まあ、馬車よりはよほど。馬車4台分の大きさの客車が10両。貨車が10両。全てが連結して、先頭の機関車が牽引する。最高時速は36tf。鉄の軌道の上を走るから、馬車とは比べ物にならないほど速い。サスペンションもしっかりしているから、馬車よりも揺れない。きっと驚く」
「へえー……ちょっと楽しみになってきたな」
正直な所、列車という見たことも聞いたこともないものに乗って首都を目指せと言われて、心配で一杯だったのだ。イクシアという同行者が居ることに、彼女は心底安堵していた。
思えば、リナネルはこのことを知っていたのだろう。そこまで気が回らなかったが、列車の乗り方も禄に説明を受けていないことに思い当たった。たぶん、これがサプライズというものなのだろう。
1/1,1/2,1/3も更新予定です。(詳細は活動報告にも)
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