第221話 同居人
「え、私が?」
「そうだ。アマジオ殿からの誘いでな。将来的にはこっちに戻ってきてもらわなきゃならんが、見聞を広げるにも、あっちのほうが環境が良い」
「行く、行く! だって、アマジオ殿も居るんだろ!?」
「待て待て。まあ、そうだ。とりあえず2,3ヶ月、問題なさそうなら数年はあっちで暮らして勉強しろ、だと。こっちじゃ教えられることも少ないし、父さんも母さんも賛成してる。迎えは3日後には来るって話だ。急ですまんがな」
「分かった! みんなに言ってくる!」
村長である父親の言葉に、娘のサーリャは元気よく飛び出していった。
「……大丈夫か、あいつ。都会なんて出たこと無いのに……」
「何事も経験ですよ、あなた。それに、見習いとは言え、側仕えも付くって話ですし、そう心配なこともないでしょう」
「そうなんだがなぁ……。木が無いからって人様の家に登りかねんぞ、あいつは」
「……。……」
「おい、何か言えよ」
「なんとかなりますよ」
アマジオ・シルバーヘッド公爵が治める辺境の村。
夫婦仲の良いことで評判の村長夫妻は、大事な一人娘を思い、ため息を吐いた。
◇◇◇◇
「おー、おー、来た、来たぞ父様! さすが、都会の馬車は立派だな!」
「ああ、いや、うむ……。ありゃその辺の馬車じゃねぇな……。動車ってやつか、最近出てきたっていう」
アマジオ・シルバーヘッドから連絡のあった、迎えが来るという当日。
村長家族は村にある馬車駅の2階でお茶を飲みつつ待っていたのだが、窓から見えたそれに、娘のサーリャは歓声を上げた。
聞きつけた村人たちもちらほらと周りにおり、立ち上がって窓に駆け寄っていく。
「あれ、鉄で出来てるのか!? すごいな、頑丈そうだ! 馬も居ない!」
「ああ。私も初めて見るが、行商人に話は聞いたことがあるぞ。最近、馬なしで走る大きな車が出てきたってな。だが、首都周辺でしか見ないってことだったが、こっちまで来れたのか」
「さすがアマジオ殿だな!」
無邪気に喜ぶ娘の姿に、父親は苦笑した。
到着した迎えの動車は、通常の馬車の倍の長さがあった。
ガチャリとドアが開き、中から1人の女性が降りてくる。
「シルバーヘッド公爵閣下の命で、サーリャ殿の迎えに来ました。リナネルと申します」
「ああ。書状は……確認した。2階に村長たちは居る、上がってくれ。それと、こちらの動車は……」
「運転手が中に居ます。停止位置は指示していただけますか。場所を指定いただければそこまで動かせますので」
「分かった。ご苦労さん。……おーい、聞こえるか?」
リナネルの説明に、誘導員は動車に駆け寄り声を掛ける。
すると、右側のガラス製の窓が、ゆっくりと下に下がっていく。
スモーク処理されていてほとんど中を伺えなかったのだが、そこに居たのは、美しい少女だった。
「聞こえた。どちらに停めればよいか?」
「お、おお……あ、あっちの枠があるだろう。見えるか?」
「ふむ。わかった。一番手前でいいか」
「ああ……」
誘導員がぽかんとした表情で見守る中、動車はシュルシュルというエンジン音を響かせながら、ゆっくりと移動を開始する。
指定された枠内に、後退しながら駐車する光景に、誘導員は口笛を吹いた。
「すげえ、本当に後ろにも動けるのか。おい、馬の世話は必要ないが、嬢ちゃんを迎えるぞ。確か2階に席を取ってるはずだな。お前が案内してやれ」
「は、はいっ!」
誘導員は、隣の見習いの肩を叩き、動車に向けて歩き出した。
◇◇◇◇
2階に上がったリナネルは、立ち上がって出迎えた村長家族を見つけ、歩み寄る。
村長に押し出された娘が自身の前に出てきたため、微笑んでから軽く手を上げた。
「あなたがサーリャ?」
「は、はいっ」
急に現れた垢抜けた美しい女性を前に、サーリャはカチコチに固まった。
迎えを寄越す、とは聞いていたが、こんな綺麗な女性が来るとは想像もしていなかったのだ。
「サーリャ、緊張しすぎだぞ」
村長は娘の頭をぐりぐりと撫でると、リナネルに軽く頭を下げる。
「わざわざ迎えに来てくれてありがとう。リナネルさん、で間違いないか?」
「はい。村長殿。こちらが、シルバーヘッド公爵閣下よりお預かりしている書状です」
「確かに、受け取った。ありがとう。確認しよう」
村長は書状を受け取り、蝋印が間違いなくシルバーヘッド公爵のものと確認すると、開封する。
「私はリナネル。名字はないわ。アマジオ様から、あなたを助けてほしいとお願いされたの。よろしくね?」
「う、うん。はい! よ、よろしく……!」
サーリャの初々しい反応に、リナネルはクスクスと笑った。
「そんなに緊張しないで。確かにあなたより年上だけど、上下は無いわよ。それに、うまくいけば数年は一緒に過ごすことになるから。まあ、詳しくは道中にね」
「そ、そうなんだ、ですね……」
リナネルの洗練された所作にサーリャが目を白黒させていると、階段から新たな登場人物が現れた。
「サフランさん、どうぞ! お、お席はあちらに準備していますので!」
「助かる」
上がってきた少女を目にし、2階のカフェテリアがしん、と静まり返る。
黒髪に、黒を基調とした軍服のような大きめの上着。スカートのように見えるが、動きやすさを重視したのか、ふわりと広がるハーフパンツに黒いタイツを合わせている。
だが、もっとも異質なのは、頭に生えた獣耳と、後ろに揺れる黒い尻尾だろう。
2つの獣耳が、ピクリと動く。その少女は、クスクスと笑うリナネルに顔を向けた。
「リナネル殿。出発は2時間後だ。こちらで待つように言われたが」
「ええ、そうみたいね。隣の彼が、案内してくれるのかしら?」
「あ、っ……。はい、あの、こちらです! どうぞ!」
見習いの少年に案内され、猫耳少女は村長一家の横の席まで歩いてくる。
「あ、村長。準備ができたらまたお呼びしますんで。おい、お嬢さん達に飲み物を取ってきてやれ。店長! 支払いはいつものとこに付けといてくれ!」
遅れて上がってきた誘導員が見習い少年を小突き、走らせた。
そんな長閑な光景に、村長一家も苦笑し、席に戻る。
「あ、サーリャ、一緒にこっちに座りましょ」
「う、うん……」
リナネルに促され、サーリャは猫耳少女と同じテーブルに座らされた。サーリャは動車の運転手まで確認していないため、突然のイベントに混乱している。
「私から紹介しましょうね。こちらは、あの動車を所有する<パライゾ>の、サフランさんよ。首都からずっとここまで動車の運転をしていただいたの」
「サフランだ、サーリャ殿。アマジオ・シルバーヘッドから、あなたのことは聞いている。短い時間だが、よろしく頼む」
2人から、理解しにくい説明をされた。サーリャの目が泳ぐ。
眼の前の可憐な少女が、動車の運転手? パライゾ? そもそも、公爵を呼び捨て?
「あはは。びっくりするのも無理ないわね。ちゃんと説明するわよ」
そして、出発するまでの2時間ほど、少女たちは歓談を続けた。サーリャは、1年もしないうちに大きく変わった国内、というか首都の事情を掻い摘んで聞かされ、目が回る思いをしたのだった。
◇◇◇◇
長いようで、短い道中。
午前中に出発し、暗くなる頃に、目的の街に到着する。
「さて、じゃあここで一旦お別れよ、サーリャ。また首都で会いましょう」
「うん……。ありがと、リナネル。サフランさんも、ありがとうございました」
「どういたしまして。私も、任務で出入りすることはあるから、また会おう」
ここでサーリャは宿で一泊し、鉄道で首都モーアへ向かうことになる。サフランとリナネルは、動車でそのままモーアへ戻る。
サーリャは動車に同乗しても良かったのだが、社会見学、ということで、鉄道での移動をアマジオに指示されていた。
動車から降りたサーリャは、走り去る動車が見えなくなるまで手を振った後、ふん、と気合を入れて歩き出す。
「まずは、宿に向かう。宿は手配済みって聞いてるから、大丈夫」
そうして、特に何事もなく宿に到着したサーリャは、ここで、彼女の将来を大きく変えることになる人物と出会うことになった。
「あなたが、サーリャか。待っていた。私はイクシア。よろしくお願いする」




