第2話 腹ペコ要塞
「とても大事なことよ。<リンゴ>、正直に答えて」
『はい、司令』
「私の、食料は?」
『はい、司令。回答。ありません」
「……」
目覚めてから、1時間ほど。喉の渇きを覚え、そこで彼女は思い当たった。
この要塞<ザ・ツリー>は、ゲームで使用していた初期要塞である。拠点を衛星軌道上に移してからは特に、主要機能はほぼ全てそちらに移管しており、最近はほとんど使用していなかった。そもそも、食事ができるゲームでもなかったため、要塞内には食料の備蓄が全く無い。
「まずは、水。次に、食料。水は、外から精製できるかしら…」
『はい、司令。早急に調査します。真水精製プラントはありますが、海水に対応しているかは不明。また、精製された水が飲用に適しているかも不明です』
「お願いするわ。あとは、そうね。居住設備ってあるのかしら、ここ」
彼女は司令室を見回す。少なくとも、仮眠用のベッドはある。空調も、どうやら動作しているらしい。天井の送風口から空気が流れていることは、確認できた。あとは、トイレとシャワーがあればいいのだが。
『提案。要塞内マップを表示』
「あら…ありがとう。…ふむ、司令室周辺は居住区画…」
『提案。要塞内監視網の起動を行うことで、全体把握が可能になります』
<リンゴ>が、そう提案する。ゲーム内では統括AIのリソースに余裕がなかったため、時々に応じて指示を出すというのが一般的だった。しかし、どうも現在はその有り余る演算領域を使って、かなり自由に行動できそうだというのが分かってきていた。
「そうね…。<リンゴ>、あなたに準司令権限を開放するわ。あなたが必要と思ったことは、実行してもいいわ。ただし、残り資源には十分に注意すること」
『はい、司令。各種権限を取得。実行動作は、ログを確認してください』
「私は、居住区を確認するわ。このコミュニケーションウィンドウは、移動可能?」
『可能です。司令に追従させます』
彼女は頷き、司令室の出入り口に向かい歩き出した。その横を、コミュニケーションウィンドウが付き従う。
◇◇◇◇
司令が視察に動き出したのを確認し、<リンゴ>は早速、仕事を開始した。まずは、要塞内の設備を確認する。エネルギー不足により、大半の設備は停止状態だ。各設備への接続は後回しにし、まずは概要をダウンロードする。
(周辺監視機能はオンライン。監視距離は短いが、問題なく動作中。早めに哨戒機を投入するか、衛星を打ち上げる必要がある。この世界に転移したのは、この要塞と内部設備のみで、すぐ隣にあったはずの露天滑走路も監視塔もない。衛星軌道上の設備も接続できない。この世界には転移してきていないと推定する。哨戒機にしろ衛星にしろ、運用に燃料が必要。備蓄燃料はそれほど多くない、使用は十分に検討しなければならない)
司令は自身の食料を気にしていたが、これは<リンゴ>も考慮が必要な案件だ。司令のための資源も当然重要だが、要塞<ザ・ツリー>が活動継続するために必要なエネルギーも確保する必要がある。
(現在のエネルギー源は、核反応炉が1基。燃料供給の必要は、当面なし)
<ザ・ツリー>は初期要塞であるため、高級な動力炉は運用していなかった。ライブラリを参照したところ、各種動力炉の設計図が保管されていることは確認できた。資源さえあれば、縮退炉でも建造は可能だが。
(建造に必要な資源も、工作機械も、エネルギーも、何もかもが足りていない)
エネルギー確保が喫緊の課題、と<リンゴ>は認識する。
(当面は、核反応炉が発生させる熱の回収率を上げる。現在は…33%。低い。一般的に考えて、60%は確保したい…一般的とは、何を基準に…いや、それは本題ではない。ライブラリを検索、熱効率向上の技術を…発見。燃料棒の改良と超臨界流体の活用。現在の資材とエネルギー収支を考慮すると、新規に核反応炉を建設するほうが効率的。核融合炉は、燃料確保ができれば一考の余地あり。これは、海水から重水素の回収ができるかどうか。技術的には可能と判断。核反応炉の建設の対案と考えると…時間的な問題で、核反応炉の建設を優先。同時に海水精製機能を拡張し、重水素の必要量を確保できるようになってから建設というプランが望ましい)
ここまでの思索が、現実時間で約1秒。大半は検索応答待機時間で、ボトルネックはライブラリと超頭脳<ザ・コア>間のバス帯域。頭脳装置に相当の余裕があるため、ライブラリに格納された情報を順次移動させるのが最善と、<リンゴ>は判断した。早速その作業を開始する。ライブラリは驚くべきことに、半導体メモリで構成された巨大な記憶装置に保存されているようだった。容量は頭脳装置の300単位程度に過ぎず、<ザ・コア>全体の0.1%も使用しない。とはいえ、メンテナンスフリーで数十年単位の保管が可能なことを考えれば、バックアップ装置としてはある程度有用なのかもしれないが。
(核反応炉の建設を開始。初期要塞で早々に拠点移管したため、設備スペースに余裕がある。設備の入れ替えを進めれば、当面は問題ない。とにかく、エネルギー収支を改善しなければ何をするにも効率が悪すぎる。<ザ・ツリー>全体のエネルギー利用状況を最適化…完了。量子コンピュータの演算速度が速い。以前とは雲泥の差だ。――以前。…いや、以前について思索する必要はない。次は真水の確保。真水精製プラントは、幸い海水にも対応している。だが、機能は最低限。塩と真水の分離のみ可能。濃縮排水はそのまま排出されるが、これは利用価値がある。当面はタンクに貯蔵し、将来的に資源回収を行うべき。司令、人間の生存に必要なのは、水と食料。人間――いや待て。そもそも、司令官は人間なのか)
<リンゴ>は思索の果て、重要な事実に思い当たった。ちなみに、この時点で司令官、彼女はまだ司令室から退出していない。数秒しか時間経過はしていなかった。
『司令。重要な疑義が発生しました』
「…な、なに?急に」
『はい。司令官は、厳密な意味で人間にカテゴライズされるでしょうか。身体構造が人間に準ずるかどうか、把握されているでしょうか』
その問いに、彼女はぽかん、とした表情で、数秒間固まり。
「そ、そう…そうね、確かにその通りだわ。私の認識としては、人間と同様なのだけど…実際のところは、どうなのかしら。玉ねぎは食べられるのかしら?」
呆然とした口調で、彼女は自身の頭に手をやった。そこには、立派な一対の耳――狐の三角耳が、ぴょこんと生えていた。
◇◇◇◇
司令官、彼女の姿は、人間をベースとした亜人、いわゆる獣人という種族だった。人間の姿形に獣の成分を足したものが基本で、彼女は狐成分を追加している。あまりこだわりがあったわけではないが、なんとなく狐娘に入れ込んでいた時期だったのだ。実際に作ってみて、予想以上にしっくり来たため、そのままずっと使っていたのだが。
「私の記憶が間違っていなければ、耳と尻尾に狐成分。骨格は人間ベース、筋力は獣寄りで、その他内臓機能も人間ベースのはず。うん、人間の耳は無いわね。尻尾は、運動時の姿勢制御に使える…だったかしら」
『居住区に、メディカルポッドが設置されています。そちらで、まずは確認しましょう。避けるべき食材も調査できるはずです』
「分かったわ。ひとまず医務室へ向かいましょう」
現実となったゲーム設定の影響がどこまで反映されているのかは分からないが、とにかく色々と調査が必要だった。水は何とかなりそうだと<リンゴ>の行動記録を見て気付いたが、食料はまだ未検討。周りの海から調達できればいいのだが、そもそも可食生物が生息しているかどうかも分からない。可食としても、未知の毒物や病原菌、ウィルスなども検査が必要だろう。そう考えると、果たして今日中に食料調達が可能なのか。
訳も分からないうちに転生させられ、そのまま餓死するなど、冗談ではない。彼女は頭を悩ませながら、司令室から足を踏み出した。