第189話 森の国の交渉
「セルロース糸布の取引量を増やしたいと?」
「そうだ。まずは、現在の倍。できれば10倍まで増やしたい」
東門都市の森の国大使館で、30番=フラガリアは大使筆頭、ティアリアーダ・エレメスと面会を行っていた。
レブレスタにしては随分と殊勝な態度で、面会の申し込みがあったのである。
まあ、とはいえ、結局大使館に呼びつけているのだから、微妙ではあるのだが。
「10倍か。これはまた、大きく出たものだ」
「急な話で申し訳ないが。本国の方で、非常に人気でな。して、どうだろうか」
この態度に、疎な結合で稼働しているドライツィヒは疑問を感じた。
即座に、拠点AI<フラガリア・ゼロ>に照会を行う。
「……。ふむ」
一呼吸。
傍目には、急な要望に少し困ったように見えただろう、数秒間の思考演算。
その短時間で、ドライツィヒは必要な情報をすべて受信し、己の行動方向を決定した。
「承知した。貴国の正式な要請として受理する。輸出量の増大は可能だ。もともと、流通量を制限するために量を制限していたものである。これは貴国との協定によるものだが、取引量、取引対価は付帯条項として双方の代表による協議によって即日変更可能なものである。本日中の改定を希望するか?」
「む……。そうだな。この件に関しては、私が全ての決定権を持つ。協議可能であれば、すぐにでも」
「では、書記官を呼ぶ。しばしお待ちを」
ちなみに、最近は<パライゾ>として、あまり極端な秘密主義とはしておらず、むしろ積極的に技術力を誇示している。
これは、アフラーシア連合王国全土を掌握し、かつ十分な陸上戦力、航空戦力を投入可能になったためだ。
既に、レブレスタと敵対しても問題ないと判断できる戦力が整ったため、本格的に交渉を開始しているという段階である。
「私だ。すぐにレブレスタ大使館まで来るように。一式を持て」
とはいえ、無条件に全てを開示している訳ではない。
現在は、手の平サイズの板状の端末を使って、書記官である20番=フラガリアを呼び出したのである。
体内内蔵の通信装置がある、というのはさすがに開示するつもりはない。
「相変わらず便利だな、その魔道具は」
「時間は宝石のようなものだ。我々は、その価値を十分に理解している」
当然、情報伝達速度の重要さについては、ティアリアーダ側も承知している。
ただ、いかに魔法技術に優れるという森の国であっても、遠距離の情報伝達はいまだ発展途上のようだ。<リンゴ>の予想では、周辺情勢が落ち着いているため、技術開発が停滞しているのではないか、ということだが。
「そのような魔道具の取引は――いや、すまない。忘れてくれ」
思わず、といった体で、ティアリアーダは言葉を漏らした。
それは、駆け引きか、それとも本心か。
サンプルが少ないため判断は難しかったが、既にレブレスタに関する最新の情報をダウンロード済みのドライツィヒは、それが本心ではないかと感じた。
「……よい機会だ。我々の用意する、新たな交易品についても、後ほど紹介しよう。別の人員がサンプルを持参するので、通していただきたい」
「そうか。分かった。おい、聞いていたな。守衛へ連絡しておいてくれないか」
「はっ。承知いたしました」
文官が部屋を出ていくのと入れ違いに、メイドが入室する。
「ティアリアーダ様。<パライゾ>のツヴァンツィヒ・リンゴ様がご来訪です」
「ああ、すぐに通してくれないか。しばらくここで協議を行う」
「承知いたしました。すぐに準備いたします」
メイドは一礼し、すぐに退室。入れ違いに、文官に案内されたツヴァンツィヒが現れた。
「失礼いたします。ツヴァンツィヒ様をお連れしました」
◇◇◇◇
<ザ・ツリー>の偵察衛星が捉えた映像には、森の中に開いたたくさんのフェアリー・サークルが映し出されていた。
表示されているのは、森の国の北側、北壁山脈から続く魔の森の一部だ。
レブレスタは、その人口の大半が、魔の森の中で暮らしている。
魔の森について調査を行っている今だからこそ、この異常性というか、レブレスタ人の逞しさについて理解できるのだが。
そのレブレスタの領土である森の中、多数のフェアリーサークルと、そこで蠢く巨大な芋虫が確認できる。
一部は既に成虫となり、森の上空を羽ばたいていた。
観察する限り、ではあるが。
レブレスタ領土内では、今後、この蝶の魔物の数が爆発的に増えると予想される。
<リンゴ>としては、蝶の魔物そのものの強さ、その戦闘能力は観測できていないため、被害を予測することはできない。
ただ、それはレブレスタ軍の力も同じで、この勢力がぶつかった場合にどうなるか、全く分からなかった。
しかし、その状態でこの交渉である。
現地の<フラガリア・ゼロ>はよくやった。
ドライツィヒ=フラガリアを使い、大使筆頭ティアリアーダに"新商品"の売り込みを行った。
"新商品"は、<ザ・ツリー>謹製の化合弓である。合わせて、大量生産品の矢じりと軸、矢羽。
これを大量に用意できる、という情報に、ティアリアーダは食いついた。
ちなみに、なぜいまさら弓なのかというと、これが魔の森を探索する冒険者にウケたからである。
森の中では、通常の弓は使いづらい。障害物が多いため、小型の弓しか持ち込めないのだ。
小型の弓は相応に威力が弱く、魔物相手には心もとない。
それを、戯れに作成したコンパウンドボウが解決したのだ。
滑車を介することで、全長を抑えながらも強力な威力を発揮できる。
照準器も付けることができ、遠距離でも狙いやすい。
<ザ・ツリー>製ということもあり、故障しにくく、破損にも強い複合素材で、基本的に乱暴な冒険者の特質によく合った。
であれば、国土の多くが森に覆われている森の国でも需要はないか、ついでに売れるようならある程度技術レベルも推し量れる、ということで交易品目に加えたのである。
その場で試射もしたのだが、ティアリアーダ本人はともかく、使用人、特にレブレスタ人はその威力に驚いていた。あの小ささでこれほどの初速を出せるというのが、まるで魔法のように見えたらしい。
このコンパウンドボウの売れ行きにより、多くのことが類推できる。
大量に捌けるのであれば、このレベルの機械製造技術は持っていないということ。
売れ行きが最初だけであれば、国内でコピーされたと予想できる。
そもそも売れなければ、これらは必要とされていないということ。
しかし、大使達の反応を見る限り、コンパウンドボウか、それに類する武器は、少なくともレブレスタ国内には存在しないらしい。
また、弓の原料にも興味を持たれた。
レブレスタ人向けに、金属を使用しない素材で製造しているというのが興味を引いたようである。
炭素繊維や樹脂を使用し、一体成型を行うことで強度を確保。
製造誤差は0.001%以内。
弦に使用する繊維もガラス繊維や炭素繊維の複合素材で、耐久性も確保した。
恐らく、これからレブレスタは大きな変革の時を迎えることになるだろう。
向こうは、<パライゾ>、即ち<ザ・ツリー>との関係性について、かなり慎重に進めようとしているように見える。
しかし、<ザ・ツリー>はそうではない。
近いうちに、使節団を派遣するという計画もある。
ティアリアーダの態度から察するに、今の状況であれば、<パライゾ>の使者受け入れは、レブレスタにとって十分検討に値するはずだ。
平時であればともかく、恐らく、レブレスタはこれから試練の時を迎えることになる。
生き残りのため、他国の力を借りるというのは業腹であろうが、少なくとも司令官は法外な対価を要求することはない。
是非ともレブレスタには正しい選択をしてほしいものだ、と希望しながら、<リンゴ>は戦略目標を<フラガリア・ゼロ>に送信した。




