第187話 閑話(とある森の中)
「最近、森が騒がしいな」
部下を連れ、木々の間を抜けながら、男は呟いた。
「はい。獣たちの数が増えています。昨日も豊猟とかで、村の男達が総出で解体していましたよ」
明らかに、何かある。
それは、警備隊の全員が感じていたことだった。
例年に比べ、鹿や猪、狸などの動物達が、見回り範囲に多く見受けられた。
それは気が立っている雄であったり、親子連れであったりと、普段あまり見ない姿が多いように感じられる。
「悪い知らせでなければいいが……」
「報告は上げていますので、何らかの調査は入るでしょうが……」
ただ、狂乱というほどの問題は感じられない。
少しずつ、森の奥から手前へと縄張りが移動している、そんなイメージだ。
「森の奥で、魔物の狂乱でも始まったか……?」
「スタンピードだと、もっと慌ただしい気もしますが」
緩やかに、だが確実に、森の生態系が変わっている。
今は、村の周辺も獲物が増えて猟師が喜んでいる、程度の影響だ。
これが一時的なものなら、なんの問題もない。
そのうち生息数も落ち着き、元の状態に戻っていくだろう。
しかし、例えばこのまま動物が増え続けるのであれば。
その動物達を狙って、大型の獣や魔物も、村に近付いてくるかもしれない。
少数であれば警備隊の戦力で対応可能だが。
「本当に、何もなければいいが」
任期はあと3週間ほど。これが過ぎれば、しばらく街で休暇を堪能した後、新たな配属先へ移動することになる。
つまり、少なくとも3週間は、何事も起こらないことが望ましいのだ。
「……隊長。あれを」
目の良い隊員が、何かを見つけ、隊長に呼びかける。
「む。……鹿、か? この辺だと滅多に出てくる魔物じゃあないが」
彼らの視線の先には、ゆったりと移動する大きな鹿。見た目は草食動物だが、魔物化したディアは雑食だ。もちろん、下手に手を出すと手痛い反撃を食らうことになる。
「やりましょう。村の猟場との距離が近すぎます。このままだと、遠からず遭遇することになる」
「そうだな。よし、弓を持て。この距離なら、私がやろう」
隊長は、背負った弓を外し、腰の矢筒から矢を引き抜いた。
部下達もそれに倣う。
隊長が一手目を外した場合、二手目、三手目と続けるためだ。
とはいえ、隊長の腕であれば、まず外すことはないのだが。
「撃つ」
矢をつがえ、キリキリと弓を引き絞る。大きく息を吸い込み、止める。
ピタリ、と動きが止まった。
狙いは完璧だ。
指を開き、矢を放つ。
僅かに込められた魔力が、軌道の振れを抑え、空気抵抗による減速を最低限にするよう、その力を変容させる。
解き放たれた矢は、狙い違わず目標、鹿の頭部へ突き刺さった。
「一発」
「お見事です、隊長」
どさりと、力を失ったディアの身体が倒れ込む。
「ディアは群れないから問題ないとは思うが……。しばらく周辺の巡回を強化する必要がありそうだな」
外縁部に魔物が出てくることは、殆どない。
なぜなら、彼ら警備隊が狩り尽くすからだ。
警備隊の巡回範囲、すなわち森の国の縄張りに迂闊に入り込むような魔物は既に絶滅しているし、そうでない魔物は近寄らない。
極稀に、奥部から押し出されるように魔物がやってくることはあるが、少なくともディアではない。ディアは縄張り意識が強いため、滅多なことでは自身の縄張りを変えることはない。
とはいえ、滅多にないというだけで、皆無ではないのだ。
その珍しいケースが、たまたま今回だった。
ただ、それだけであればいいのだが。
「ひとまず、獲物は持って帰るぞ。今日は巡回はこれで終了。続きは明日だ」
「了解です、隊長」
◇◇◇◇
「外縁警備隊の装備損耗数が増えているわね」
警備隊の物資を管理する部署の担当、ラ・アリュンターラは、上がってくる装備要求書を机に置き、溜息を吐いた。
「アリュンターラ、どうしたんだい?」
その溜息を見咎めた彼女の上司が、そう尋ねる。
「テアデラーダ様。ええと、外縁部隊の装備要求書が増えているのと、要求数も多くなっているんです。このまま続くと、今年の予算がすぐに無くなっちゃいますよ」
「……今月に入って、急に、かい?」
リ・テアデラーダ・ジャルスは、彼女からのその報告に、眉をひそめた。
当然、予算はこれまでの経験から必要なものを要求しているのだ。それが、半年も経たぬうちに底が見えそう、というのは、流石に穏やかではない。
「急に、です。先月まではいつも通りでしたよ。見てください、これ。……同じ隊から、今月の初めと、今日。普通、半年に1回くらいですよね。多くても3ヶ月。この隊だけじゃないです。他にも、いくつか。当面は備蓄から出しますけど、来月もこれだと、底をつきますよ」
「ああ、そうか……。今日は定期便の日か。ってことは、月初めも要求は多かったのかい?」
「うーん……。言われてみれば、いつもより多かったかもしれませんけど。でも、さすがにあれくらいじゃ、こんなこと予想もできませんよ。いつもの1割増しくらいだったと思います」
「そうか……。まあ、それじゃあ流石に分からないね。いつものことと言えば、いつものことだし。よし、分かった。ラビアレーデ様には、私から報告しておこう。アリュンターラ、悪いけど、増加数と予測、数字を出せるかい? まあ、どちらにせよ、今回の要求数を出すだけでも今年の予算はスッカラカンだけどさ」
テアデラーダは部下にそう指示すると、すぐに席を立つ。こういう情報は、不確定でもすぐに相談しておいた方がいい。いきなり数字を見せられるより、まずは口頭で情報だけでも伝えるのだ。
「分かりました。夕方までにはまとめておきます」
「ありがとう。いつも助かるよ。じゃあ、私はラビアレーデ様のところに行ってくる」
「行ってらっしゃいませ」
◇◇◇◇
「魔物の狂乱の兆候か?」
「まだ分かりません。スタンピードよりも、大人しいという印象です。それに、アレは"狂乱"です。兆候なんて、確認されたことはありません」
部下から魔物増加の報告を受けたリ・プレディウーガ・エレメスは、腕を組んだ。
知っている限り、該当する事象は無い。
森の外縁部で、魔物の目撃事例が増加している。
それに伴い、魔物の討伐数が増え、警備隊の装備損耗率も増えている。
人的被害は出ていないというから、喫緊の問題ではないが。
しかし、装備の補充が間に合わなければ、それも時間の問題だろう。
「予備人員はすぐに動けるだろうが、装備、装備か……。ううむ、平和が長すぎたか? 装備の質は上がっているが、その分予算が削られているからな……」
「使わない装備を倉庫に積み上げるのは、真っ先にやり玉に上げられますからね。とはいえ、それでも十分に用意させていたつもりですが……」
警備隊は、森の国の領土保全に欠かせない部隊だ。
魔の森方面から現れる魔物を狩り、国土を国土として守り切る。
ここが、森の国の領土であるという宣言を魔物たちに叩き込むため、巡回を何百年も続けてきたのだ。
「仕方ないな。次の長老会議は3日後だ。緊急議題として取り上げていただこう。国防省案件か、あるいは臨時予算の執行になるかは分からんが、対応は取れるだろう。穴熊共に交渉することになるかもしれんが……」
「新しい酒が交易で手に入ったとも聞きますし、比較的やりやすいのでは?」
「ああ、まあな。我らにはキツい代物だが、奴らにはちょうどいいだろう。天の配剤かもしれん」
装備類の調達は、その大部分が森の国北東部のとある国家との交易によって行われている。
レブレスタ人は、その体質上、金属製の加工器を使うのが苦手だ。
そのため、金属のエキスパートが多く暮らす岩の国に生産を委託しているのである。
経済的には強力に結びついているが、国民同士はあまり仲が良くない。しかし、そんな状態で何百年も付き合い続けているのだから、ある種の信頼関係はあるのかもしれない。
「いずれにせよ、長老会の結果次第だ。幸い、今回はティアリアーダ様が帰還されている。なにやらそちらも重要報告があるということだが、こちらの問題より重いということもなかろう。何せ、我ら森の国の国土保持の問題だからな」




