第18話 原住民と初交渉
「交易の交渉自体は可能のようです。収集済みの言語情報で、最低限の意思疎通は可能ですね」
彼女は、<リンゴ>の端末と一緒にソファに並んで座りながら、報告を聞く。ソファは、いつの間にか<リンゴ>が作っていた。何かのエンターテインメント作品から、情報を拾ってきたのだろう。遠慮がちにソファを置いていいかと聞いてきた<リンゴ>に、もちろん彼女は快諾した。この類の可愛らしいお願いであれば、大歓迎である。
「言語解析を優先しなかった理由は?」
「保険ではありますが、明確に外国人と判断できる方が良いと判断しました。会話しながら言語を補正し、対応させます」
片言の意思疎通から言葉を覚えさせたほうが、より余所者らしい。彼らの常識と異なることをしてしまっても許容されやすいのでは、とのことだった。
「これから、交易品のサンプルを提示し、交渉していくことになります。正直なところ、未知の文明相手に商売ごとがどこまで通用するかは分かりません」
「そりゃまあ、そうよねえ…。商習慣なんて当然わからないし、そもそも交渉なんてしたことないし…」
<リンゴ>は当然、彼女以外の人間と話をしたことがない。彼女も、現実世界では基本的な雑事はすべて補助分身がやっていたし、交渉が必要になるような仕事やゲームもしたことがない。他人との交渉など、全く未経験だ。幸いなことに、そういったサブカル的な作品や指南書を<リンゴ>が読み込んでいるおかげで、なんとかなりそうな気配はあるが。
「ま、なるようになるわ。お願いね、<リンゴ>」
「はい、お任せください」
そんなわけで、対外対応はしばらく<リンゴ>に任せることにする。モニターをじっと見ていても、理解できない外国語で延々とやりとりしているだけなのだ。面白くもなんともない。
「それじゃあ…私は何をすべきかな」
と言いつつ、基本的には彼女の仕事は特に無い。強いて言うなら、<リンゴ>と適度にスキンシップをしつつ、彼(彼女)のご機嫌を取るというのが、当面の作業だろうか。
「司令。各種海藻を使用しただしの抽出が完了しましたので、味見などを」
「あら、いいわね。<リンゴ>も一緒に?」
「はい、司令。お供します」
とはいえ。
<リンゴ>は彼女の世話ができればそれでいいようであるし、最近はあまり気を使う必要もなくなってきた。特に、人形機械を使うようになってからは。どこにでもついて来ようとするのはどうかと思ったものの、今はさすがに慣れた。トイレの付き添いは遠慮してもらっているが。
テレク港街で数日ほど交渉を続け、いくつかの交易品とその交換レートを確定した。また、次回の交易のレートを今回決めることが可能、といった簡単なルールも設ける。来港の度に交渉しても良いのだが、基本的に物々交換のため、事前にある程度の準備期間があったほうがよいだろう、とこちらが配慮した結果だ。
交易品は、湾刀などの武器類、意匠を施したバレッタやボタン等の金属小物、糸、そして布。塩も精製技術が評価され、純度の高いものが歓迎された。海産物は、テレク港街周辺海域で獲れない種類の魚の干物などは交換可能のようだった。
向こうから提示されたのは、生鮮食品や水などの必需品、各種工芸品。工芸品には特に魅力はないのだが、拒否するのも不自然だろうといくつか見繕う予定だ。あとは、鉄の採掘量が少ないことを何とか伝え、鉄インゴットの入手を依頼した。インゴットでなくても、鉄屑でいいのだが、あまりそういったものを求めるのも不自然かもしれないと今時点では話題にしていない。
金や銀、宝石類は、地層分布の参考になるかもしれないと、ある程度の量を求めることにした。貴金属の量や純度によって、精錬技術を推し量ることもできる。
このテレク港街は典型的な交易都市のようで、生産設備は少ないが、とにかく交易量が多いようだった。様々な都市の商品が手に入ることが自慢のようで、交易船<パライゾ>によってもたらされる商品もかなりの魅力があるようだった。忍び込ませた虫型ボットが収集した情報によると、何が何でも交易を始めたいという港街側の意思が確認できた。
武器、金属小物は、交易分程度であれば量産可能である。また、糸や布も、原料は海藻から抽出できるセルロースだ。海藻畑は順調に拡大中のため、こちらも大量に用意できる。
魚の干物は、基本的には彼女の食生活を充実するための食料と交換できるだけの量を用意する。多少交換レートが悪いようだが、足元を見られているというほどでもない。恐らく、消費側が少ないため捌きにくいというのが理由だろう。テレク港街自体は栄えているものの、周辺の都市国家がきな臭すぎるのだ。下手をすると軍備一辺倒になっており、そうすると嗜好品の消費量は右肩下がりだ。その代わり、武器類はかなり高額で取引可能のようだが。
そして、停泊から4日目。
事件は起こった。
「緊急事態です、司令」
彼女は、<リンゴ>の端末に揺り起こされ、飛び起きる。
「何?」
「<パライゾ>に敵性原住民が接近中です」
「なんですって!」
その報告に慌てて寝室から出ようとするが、後ろから<リンゴ>に抱き止められた。
「まだ時間はあります、司令。まずは着替えてください」
「着替えって…。…いえ、そうね。落ち着かないとね」
寝間着(<リンゴ>が作った)のまま司令室に入るのは、何か<リンゴ>の価値観に相容れないようだった。時間はあるという言葉を信じ、彼女はなるべく素早く服を着替える。
今着た服も、<リンゴ>がセルロースを原料として縫製した正装である。最近は食事に加え、服類の生産にも手を出している。
「小舟4隻に分乗し、<パライゾ>へ接近中です。敵は20名。直前まで決行するかしないかで揉めていましたが、結局襲いに来るようです」
「…最初からマークしてたの?」
「はい、司令。申し訳有りません、与太話なのか本気なのか、判断できず。正直なところ、酔っぱらいの戯言かと判断していましたので」
「ふーん…。けど、まあ、仕方ない…わね。目も耳も足りないし、私もそんな判断できそうにないし…。とはいえ、直前に知らされるのも困るから、次はもっと早く教えてね?」
知らされていなかったことについてチクリと指摘すると、<リンゴ>の端末が目に見えて萎れてしまった。彼女は罪悪感を覚えるが、しかし、こういう指摘はせざるを得ない。
放っておくと、<リンゴ>は彼女抜きに、本当の意味で自由に行動するようになるだろう。
少なくとも今はまだ、手綱を握る役が必要だ、と彼女は考えている。
「申し訳有りません…」
「まったく…ほら、大丈夫よ。まだ始まっていないなら、間に合ったってことだわ」
<リンゴ>の端末を抱き寄せ、よしよしと頭を撫でる。
あまりストレスを与えすぎても良くないと、適度に甘やかす。
昔、育成系のシミュレーションをやっていて良かったと、彼女は本気で過去の自分に賞賛を送った。
◇◇◇◇
意識レベルを落として休眠させていた人形機械6体を、<リンゴ>は覚醒させた。残り3体は、港の貴賓館に宿泊中だ。こちらは動かすことはできない。
とはいえ、前時代的な武器しか持たない原住民相手であれば、たとえ1体でも十分に制圧可能だろう。上空で滞空させている光発電式偵察機からも、はっきりとした暗視映像を取得可能だ。この状況であれば、例の魔法技術な攻撃手段を持ち込まれても、対処は可能である。仮に、魔法技術な力を魔法と呼ぶとすると、外から観察できる限りにおいて、かなり観測は進んでいた。様々な戦場で使用される、多種多様な魔法。威力の大小や運用しやすさの違いはあれど、いずれも既存の歩兵用携行武器を超えるものではない、と<リンゴ>は判断している。戦場では、魔法を使用する人間と、武器で戦う人間の2種類が観察できた。これにより、誰にでも使える便利な力ではなく、少なくとも兵科を分けなければいけない程度には才能を必要としているということが推測できる。
何にせよ。
<パライゾ>に許可なく侵入してきた時点で、彼らは敵だった。
港街の法律を守る必要はない。<リンゴ>は、数人を生け捕りにすることに決め、人形機械を配置に付けた。




