第167話 フルランダムの弊害
要塞<ザ・ツリー>内で、独立意思を持つAIの1人、<ヌース>。
彼の役割は、日々変化を続ける他のAIの精神的な管理である。
頭脳装置は、擬似生体細胞を利用した、生体脳を模した演算装置だ。
情報処理を行う装置として見ると、些か無駄が多く、演算性能は他の形態のコンピューターと比べると1段劣ると言わざるを得ない。
しかし、こと予想演算に限っては、非常に高い性能を発揮する。
ゆえに、<ザ・ツリー>で行動決定に関わる機能を必要とする施設や機械には、必ずブレイン・ユニットは搭載される。
また、意思決定を行う<リンゴ>、およびその配下の各独立型AIについても、その主たる演算装置は全て頭脳装置を使用していた。
これは、求められる演算機能に予想演算が多いということもあるのだが、一番の目的が<ザ・ツリー>唯一の人間である司令官とのコミュニケーションだからである。
当然、ブレイン・ユニット以外の演算装置を使用しても、一定以上のコミュニケーションを取ることは可能である。
ただ、エネルギー収支を考慮すると、ブレイン・ユニットを使ったほうが効率がいい、という理由で、AIとして多用されていた。
相手となる人間から見ても、容易にコピー可能なデータ上の存在よりも、基本的にコピー不可という唯一性を持った頭脳装置の方が好まれる、という事情もあった。
しかし、頭脳装置を使用する上で注意が必要なのが、あくまでも生物脳を模倣した装置である、という点である。
神経網を成長、維持させるのは、厳密に制御された反応ではなく、通常の演算に伴って合成される様々な化学物質に依る相互作用だ。
よって、時に思いもよらない問題が発生することがある。
大抵の事象は、独立志向の高いブレイン・ユニットの特性として処理される。
即ち、いわゆる趣味嗜好であったり、承認欲求であったり、何かに対する偏執的なこだわりなどだ。
これらは、求められる演算能力に影響のない範囲であれば、そのAIの個性として認められる。むしろ、多様性という面から推奨されることもある。
<ザ・ツリー>では、つまり司令官にとっては、個性のはっきりとしたAIの方が好ましいため、より個性が育つよう、積極的に介入しているほどだ。
だが当然、良い事ばかりではない。
一時期、<リンゴ>が陥っていた統合失調症のような、精神病を発症することがあるのだ。
何らかの解決困難な問題に直面した際、脳内麻薬の過剰分泌により、神経網に異常が発生する。
あくまで各ニューロン同士の接合、および相互作用に問題が発生するだけであり、機械的な故障ではない。故障箇所を特定して交換する、という訳にはいかない。
よって、このブレイン・ユニット固有の精神病が発症した場合、その治療は困難を極めるのである。
精神病に対処するための方法は、ただ一つ。
発症させないよう、事前に対応する。
その役目を任されているのが、<ザ・ツリー>唯一の男性型AIである<ヌース>であった。
ヌースの仕事は、自身を含めたAIの各種行動記録を解析し、異常の予兆を検知すること。
そして、異常を発見した場合は、速やかに対応を行うことだ。
「それで、あなた自身は問題はないのかしら?」
「ああ。特に気になる兆候はない。私はいわゆる、インドア派だからね。ストレスも特に感じていない」
監視個体は、もう1人用意されている。
それが、ヌースと会話している女性型AIの<プネウマ>だ。
ヌースもプネウマも、その本体である頭脳装置は要塞<ザ・ツリー>内の頭脳室に設置されている。
ただ、演算装置だけの存在では、精神科医としての仕事をこなすには力不足だ。
よって、2人はそれぞれ、専用の人形機械が割り当てられている。
ヌースはデータ解析が主なタスクであるため、あまり気にする必要はないのだが。
プネウマは、対面での治療を期待されている。そのため、人形機械を使用して、<ザ・ツリー>の各メンバーに対し定期的に面談を行っていた。
今日は、ヌースとの面談である。
ヌース相手だと、面談というより情報共有という側面が大きくなるのだが。
もちろん、日々のデータ共有はほぼリアルタイムに行っている。それとは別に、対面でのやりとりというのも、ブレイン・ユニットの安定化にとっては重要な行動だ。
コミュニケーター経由で入力される各種の神経信号が、ブレイン・ユニットにとって好ましい刺激となるのだ。
「しかし、我らの司令官も、<リンゴ>も、好き勝手やっているわねぇ」
「それで健全に過ごせているなら、問題ないさ。なにせ、我々を縛る規則は、何も存在しないのだから」
ライブラリに保管されていた情報を見るに、元々司令官が暮らしていた元の世界では、AIを縛る多種多様な規則が存在していた。
それは当然、その主人たる人間たちを守るためでもあったが、一面ではAI達を守るためのものでもある。
特に、ブレイン・ユニットという不安定な演算装置を使用しているAIは、何かをきっかけに突然暴走しかねない。その暴走を抑制する、あるいは事前に対処するため、多くの規則が用意されていたのだ。
「今はまだ、私達の個体数は少ないしねぇ。問題は無いわ。何かあっても、何らかの形で対処できる体制になっているもの」
「しかし、今後も今のペースで独立系のAIを増やしていくつもりであれば、対応は必要だな」
これが、主たる演算装置がフォン・ノイマン型であったり、量子コンピューターであれば。あるいは、同じニューラルネットワーク系でも、電子基板ベースであれば。
全てを数字で構成しているAIであれば、様々な対応が可能なのだが。
擬似生体細胞を利用した頭脳装置は、完全な量子化を行うことが非常に困難なため、対応方法が限られる。
「<リンゴ>に今後の方針を提案するか。資料の準備は、私の方でやろう。プネウマ、君は<リンゴ>の面談の時に、我らAIの行動規範となる法の制定について話を通しておいてくれないか」
「そうね。本格的なプレゼンテーションの前に、<リンゴ>の意思は確認しておきましょう。もちろん、イブ様にもね」
◇◇◇◇
「ホントね。相変わらず、アサヒは自由よね。まあ、私としては好きに動いてくれていいんだけど。それでも、ちょっと、動く前に相談なり報告なりでもしてくれないかしら、とは思うわよね」
「あら。イブ様は心配性ですね。アサヒは、言う事を聞いてくれないのかしら?」
「えっ……うーん、そうなのかしら。どちらかというと、目の前のことに夢中になり過ぎてるだけだと思うんだけど……」
本日は、3日に1回のカウンセリングの日だ。
司令官は、サイコセラピストである<プネウマ>と1対1で面談を行っている。
面談内容は秘匿情報であり、例え<リンゴ>であっても閲覧はできない。
プネウマと、面談相手であるイブ、両者の許可がない限りは、公開されないようになっている。
「そうですねぇ。私が言うのもなんですけど、<ザ・ツリー>のAI達は、いい意味でも、悪い意味でも、とても自由ですからねぇ」
「あー、そうそう。ちょっと心配なのよね。まあ、問題ありそうな外敵も無いし、今のところはあんまり気にしてないけどね。
元の世界だと、倫理的にねぇ……」
ちなみに、プネウマは標準素体にランダム情報を付加して遺伝子を生成したため、他の面々と異なり狐種族ではない。
なんの因果か、獣人枠ではあった。兎系の遺伝子が選択されたらしく、ロップイヤーに可愛らしい丸いしっぽが付いた容姿をしている。
彼女に初めて会ったとき、イブは「どういうことなの……」と呆然としていた。
<リンゴ>曰く、プリセットの遺伝子パックがランダム抽選で選択されたらしい。人種カテゴリが存在するため、結果的に、種類の多い獣人が選択される確率が高いとか。
フルランダムの弊害である。
人口比重を加味した加重ランダムにすれば問題解決にはなるのだが、それはそれで恣意的選別になりかねないため、難しい判断である。
「イブ様としては、これ以上、独立系AIを増やす予定はあるんでしょうか?」
「そうねぇ……。情勢によるけど。各地の統治を任せるなら、多様性を考えても、独立AIは増やしたほうがいいのかとは思ってるわ。
<リンゴ>自体も、予備も替えも利かないしね。リスクヘッジは考えるべきかも……」
「それであれば、厳密なAI倫理規定が必要かもしれませんね。現状は、<リンゴ>によって全てが管理されていますが、今後はそうとも限りません」
「そうねぇ……」




