第150話 閑話(アフラーシア連合王国)
フラタラ都市の住民達は、空を見上げて呆然としていた。
それは、南の空から現れた。
確かに、あの<パライゾ>から何度も通達があったのだ。
この日、王都制圧に向けての戦力が上空を通過するから、驚かないように、と。
郊外に建設された<パライゾ>の巨大な要塞から、連日のように空を飛ぶ船が往復しているのは知っている。
それも最初は驚いたものだが、さすがに慣れた。
だから、それらの空の船が大挙して飛んでくるのだろうと、住民達は考えていたのだ。
仕事を休める者たちは休暇を取り、朝から酒盃を片手に、王都侵攻という大イベントの始まりを観戦してやろうと、広場に集まり。
それを目当てに、一儲けしようと屋台が設けられ。
やがて、それがやってきた。
最初は、南の空に現れたシミのようなもの。
それに気付いた一部の人間が騒ぎ出し、来たぞ来たぞと広場は盛り上がる。
そして、その騒ぎ声はだんだんと小さくなっていった。
皆が、見慣れた空の船とは違うと、気付いてしまったのだ。
「なあ……。なんか、でかくねえか……?」
誰かが、そう呟いた。
それは、いつも行き来している貨物機の姿とは、かけ離れていた。
たまに見る、尖った三角形のような形をした小さな船とも違う。
彼らの概念にはない言葉だが、まるでブーメランのような形をしたそのシルエット。
全翼機、と呼ばれるカテゴリーの飛行機械が、南の空から迫ってきていた。
「前を飛んでるのが、いつもの小さい船なのか……?」
巨大な飛行機械の前方を、案内人のように飛ぶ小さな飛行機。
それは、貨物機の護衛としてよく見られる、制空戦闘機だ。全長は20m程度で、間近で見ればかなり大きな機体ながら、上空で見ればそれほど大きなものではない。
まして、通常は70m級の貨物機と並んで飛んでいるものである。
だが、それでも。
その後ろの飛行機械は、あまりにも、巨大であった。
大人と子供どころではなく、大人とネズミ、という表現が正しいか。
「なんだありゃ……」
それが、空を見上げる住民達全員の感想だっただろう。
あまりにも、巨大。
あまりにも、異質。
そしてそんなものが自分たちの頭上を通過するということに、本能的な恐怖が沸き起こる。
「あんなものが……<パライゾ>は、あんなものを使っているのか……?」
その言葉は、領主館のテラスからそれを見ていたラダエリ・フラタラが漏らしたものだった。
自分たちを支配する勢力の底知れなさに、改めて恐怖を覚え、畏敬の念を抱く。
幸い、その巨大な船は、フラタラ都市の真上を通るわけではなかった。
そうなっていたら、住民達はパニックになっていたかもしれない。
空を飛ぶ巨大な船が、小さな船を従えて通り過ぎていく。
皆、無言でそれを見つめていたのだが。
「……おい、あっちを見ろ!」
誰かが気付き、そして全員が改めて思い知る。
<パライゾ>には、決して逆らってはならない。彼女らこそが支配者であり、絶対の君主であると。
巨大な船、それよりさらに巨大な、何倍もの大きさの船が、ゆっくりと通り過ぎていった。
最初の船、あれすらも、この巨大な船を守る騎士でしかなかったのだ。
後日、彼らはその編成について、<パライゾ>から教えられた。
空を飛ぶ巨大な要塞。
その名を<ギガンティア>。そして、それを守る3隻の<タイタン>。
どちらも、異国の"巨人の神"の名を冠する、<パライゾ>の擁する強大な軍隊であった。
◇◇◇◇
「何だこれは……。何だこれは……!」
アフラーシア王都の公爵邸で、王国三大公爵の1人、アキライ・ユバーデン・アフラーシアは叫んでいた。
南の空から迫る、巨大な何か。
よくよく見ると、その空の何かから、パラパラと小さな粒が撒かれているようだ。
「こ、公爵さま……! いかがいたしますか……!」
緊急事態だ、と公爵をテラスに連れ出した従者が、動揺したままそう聞いてくる。
「ま、魔物の襲撃か……?」
しかし、こんな事態など、いかな公爵とはいえ想像もしたことがない。
呆然としているうちに、状況は更に進行する。
巨大な何かから分離した小さな粒は、火を吹きながら王都に近付いてきた。
その様子は、公爵だけでなく、それを見ていた人々全てが気付いたのだろう。
王都に、緊急事態を知らせる鐘が鳴り響く。
「こ、公爵さま! 急ぎ、避難を……!」
「あ、ああ……」
何が起こっているかは分からない。分からないが、とんでもないことになるのは、理解できた。従者に先導されつつ、公爵は走る。
ひとまず、目指すは騎士団の駐屯地。戦力の集中するそこが、いま時点では最も安全な場所になるだろう。
しかし、突然始まった非常事態に、誰もが混乱していた。
有事の備えをしていない訳ではないのだが、あまりにも突然過ぎた。
通常、何らかの勢力が襲来するなら、完全な奇襲になることは考え辛い。
周囲は荒野であり、大軍を動かせば数日前から視認可能だろう。騎馬などで急襲するにしても、晴れていれば砂埃が舞い、雨であれば泥濘に足を取られる。
そもそも、周囲にいくつかある街を経由せずに直接軍を動かすことは、水や食料の問題で現実的ではない。
しかし、敵と思しき集団は、空から降ってくるという非常識な方法でその問題をクリアしたのだ。
「ユバーデン公爵閣下! このような場所で申し訳ありませんが、こちらに!」
「うむ……」
騎士団の建屋の中の、応接室。そこに、アキライ公爵は案内された。
建屋の中は騎士たちの走り回る音と装備の奏でる金属音、そして指揮階級が叫ぶ声が混じり合い、耳を塞ぎたくなるような喧騒に包まれていた。
「公爵さま、状況を確認してきましょうか?」
「ああ……いや、まだよい。今呼び出しては邪魔になろう、もう少し落ち着いてからでよい。しばらく私の出番はなかろう……」
浮足立っている従者をなだめ、公爵はどっしりとソファに腰を落ち着けた。
今は、情報収集の段階だ。
公爵から報告を求めれば、それなりの地位の人間が対応せねばならなくなる。
公爵が避難してきたことは伝わっているだろうから、そのうち誰かが報告に来るはずだ。
そして、それが来ないほどの混乱であれば、大人しくしていたほうがいい。
「はっ……。失礼いたしました。厨房が使えそうであれば、なにか飲み物を準備しましょう。しばし失礼します」
「頼む」
従者が出ていったのを確認し、公爵は大きく息を吐いた。
王都の騎士団は、現在2つの部隊が存在している。
1つは、アキライ・ユバーデン公爵の擁する近衛騎士団。
もう1つは、グロガリア・メルカティア公爵がトップに立つ、王都防衛軍である。
2つの騎士団は、名前の通りの役割分担――とはいかず、それぞれ独立して活動していた。
それも、半ば敵対状態として。
これは、現在アフラーシア連合王国で巻き起こっている主導権争いの所為だ。
三公爵は互いに敵対し、隙あらば喉元に食いつかんと日々しのぎを削っているのである。
このうち、表向きに武力を持っていないのはリアーナ・カルバーク公爵だが、こちらは経済を抑えているため、現在奇妙な三角関係となっている。
とはいえ、アキライ公爵も、リアーナ公爵が武力を持っていないとは信じていないのだが。
「こっ……公爵さま!! り、リアーナ勢と思われる武装集団が!!」
と、そこに泡を食った従者と、きらびやかな甲冑をまとった大男が飛び込んできた。
「閣下、護衛いたします!! 申し訳ございません、副騎士団長は外の化け物の相手をするために出撃しておりますので、私がお側に!」
「ッ……! 騎士団長か、すまない。そうか……」
それは、あるいは予想できたことだったかも知れない。
外敵により混乱した騎士団。これは、防衛軍も同じだろう。
ここから、三竦みの状態を打破するため、誰かが動く。この状況だけ見れば、まあ、悪い手ではないだろう。
だが、果たして内で争って戦力を減らした状態で、外敵に相対できるのだろうか?
「城壁の外は、蜘蛛のような巨大な魔物が包囲しているようです。そして頭上には、竜種の何倍も大きい何かが居座って、蜘蛛の魔物を降らして来ています。
正直、何が起こっているかさっぱり分かりません。
更に、我らが騎士団が出撃した隙を突いて、正体不明の武装勢力が襲撃をかけてきました。
装備から察するに、リアーナが集めていた傭兵共でしょう。人数は少ないので、恐らく彼女にとっても今回の事態は不測のことなのでしょうが……」
「くっ……。状況も読めぬバカめが……」
アキライ公爵は毒づき、壁を背に騎士団長の後ろに隠れる。従者もそれに続き、公爵の盾になる位置へ付いた。
そして。
「ここかァッ!!」
「居たぞ、騎士団長だッ!!」
両開きの扉を蹴破り、武装した男達が部屋に入り込んでくる。
「殺せェッ!!」
男達が手にしているのは、ボウガンと呼ばれる新式の弓だ。その威力は、誰よりもよく知っている。なにせ、最初に導入したのは近衛騎士団なのだ。
打ち出された矢が、騎士団長と盾になった従者に襲いかかった。
騎士団長は驚異的な反射速度で切り払ったが、戦闘要員ではない従者にはどうすることもできない。胴体に3本の矢を受け、倒れ伏す。
「クソッ!」
「ガアアァァァッ!!」
「オラァッ!」
突っ込んできた男達と、騎士団長がぶつかり合い。
そして。
大音響とともに、全てが砂埃に包まれた。