第139話 バックボーン
燃石の輸出、という<パライゾ>の切札に、レプイタリ王国海軍首脳部に衝撃が走った。
とはいえ、その事実が伝えられたのは信頼できる極一部だけである。事が事だけに、万が一の情報流出を嫌ったのだ。
そして、3日後。
レプイタリ王国海軍は、燃石輸入を決断した。
国家の重大事を決めるには、あまりにも性急と言わざるを得ない。
しかし、他に選択肢が無いのも事実であった。
<パライゾ>から贈呈品として渡された、高品位燃石塊。
口が固い、信頼できる科学者に確認させたところ、間違いなく燃石の結晶であった。
燃石の性能は、その大きさに依存する。質量が大きければ大きいほど、より熱く、より長く発熱させられるのだ。
また、端面が整っているというのも重要な要素だ。均一に圧力をかけることで、発熱量、すなわち火力を容易に調整できる。
確認させた科学者曰く、より大きな燃石の塊から切り出されたように見える、とのこと。
そして、それほど大きな燃石があるのなら国宝級であり、ぜひこの目で見てみたい、とも。
持ってきたのは<パライゾ>であり、その採掘元がどこなのかは開示されていない。
しかし、これまでレプイタリ王国が輸入していたそれとは、決定的に異なるのは確かであった。
「確かにこいつは魅力的だ。蒸気機関の性能も飛躍的に向上するだろう。
だが、同時に悪魔の誘いでもある。
俺達の産業が、軍事がこれに依存すると、<パライゾ>の連中に命脈を握られることになるぜ」
アマジオ・シルバーヘッド公爵は、この問題についての危険性を提言した。
そしてそれは、海軍首脳部の誰もが認識している事だった。
規格化された、高品位燃石。専用の機関を設計すれば、その性能を劇的に向上させることが可能だろう。
船に載せれば、最高速、航続距離の向上、そして燃料貯蔵スペースを削減できる。
控えめに言っても、その性能は倍になるだろう。
その魅力に抗うことは、難しかった。
「<パライゾ>は、貴国の決定を歓迎する。これで、より具体的な交渉が可能になる。双方、誠実な対応を期待しよう」
「我々としても、これがあれば国内に対する説得材料となる。蜜月の時を長く、お互いの繁栄を」
レプイタリ王国側としては、採掘場所であったり加工法であったり、気になることは多いはずだ。しかし、流石にそれを、直接聞き出すことは出来ない。
まずは黙って恩恵に預かり、国力の強化を行う、という方針だろう。
「とはいえ、貿易品がこれだけというのも味気ない。より深い関係を築くためにも、その他の品目についても決めたいと思うが、いかがか」
「我々としても、それには賛成する。我が国にも、多くの特産品がある。当面は国家間での貿易継続であり、民間開放は行わない予定だが、そこに異論はあるかね?」
「無い。複数の商品を用意するのは当然。燃石はそれほど場所は取らない。積載空間の有効活用のためにも、交易品目を増やすことに賛成する」
ここから更に、レプイタリ王国が欲する資源についての議論が始まった。
こうなっては、どこまで<パライゾ>側から引き出せるのか、ということが海軍側の関心事項となる。自分たちより進んだ技術を持つ彼女らから、いかに技術を引き出すか。
ただ、生活必需品を他国に依存する危険性は、全員が十分に理解していた。
国家の命脈をこれ以上握らせては、さすがに無能の誹りは免れないだろう。
「…水?」
「水である。腐りにくいよう密閉し、長期保存を可能にしたものだ。貴国は水資源に乏しいという訳ではないが、どこでも湧いてくるほど豊富ではない、と認識している」
嵩張り、重量もそれなりで、消費が激しく、単価が安い。
そのような括りで<パライゾ>から提示されたのが、長期保存用の水コンテナであった。
「どのように流通させるかは、あなた方の政治手段による。我々が提供可能な量であれば、既存の水資源を圧迫するということも無い。大陸の水と違い、無味無臭で飲みやすいものである。この場でも、度々提供はしているが」
その説明に、アマジオ・シルバーヘッドは大きく頷いた。
「うちの国の水は、軟水だからな。大陸は硬水だ。個人の嗜好だが、やはり使いやすいのは軟水の方だな。そういう提供となると、高級指向として輸入はできるだろう。長期保存出来るとなると、話題性もある。…コンテナ、というと、容量は?」
「我々の単位で、2立方m。あなた方の単位では、約0.71立方Fとなる」
重量でいうと、2tの水だ。便利に持ち運び、というものではないが、硬質化させたセルロース製の密閉容器のため、見た目よりは軽いだろう。
開封せずに冷暗所に保管すれば、5年は保つはずだ。
原価は低いが、ブランド力は高い。
水源のない場所に、長期保管可能な水を置くことができるというのも、ある程度の価値がある。
「しばらくは、上流階級向けに流通させるのがいいだろう。高貴な方々は珍しいものに目がないのでな」
「アマジオ殿、あなたも公爵ですが」
「アルバン、お前もだよ」
はっはっは、と笑いが起こる。
まあ、笑ったのは海軍トップの2人だけだが。
「後は、販売量は抑えさせてもらうが、工業原料として鋼板ロールなども提供可能だ。これもあなた方に直接卸すことになる。使い方は自由だ」
「…貴女がたが製造した鋼板、と?」
「肯定する。性能は保証しよう。これは、どちらかというと鉄鉱石との交換という意味合いが強い」
「つまり、こちらの鉄鉱石の輸出量が増えれば、相応にそちらの鉄鋼輸出量が増える、という理解でいいか?」
「そのように捉えてもらって問題ない。これは単純に、原料となる鉄の量の問題である。輸入した鉄鉱石の一部を精錬し、還元するということである」
<パライゾ>としては、正直、資源輸入さえできればあとはどうでもいい。
オーバーテクノロジーな製品を輸出することで、"ある"と知ったが故のブレイクスルーが発生しても、知ったことではない。
なぜなら、それによって発生するブレイクスルーは、決して<パライゾ>の技術を超えるものではないからだ。
とはいえ、それらを無償で提供する必要も、無制限に販売する意味も特にない。可能であれば、健全な取引を未来永劫続けたいのだ。
そのため、<ザ・ツリー>の誇る超知性が厳密に計算した対等な取引を持ちかけるのだ。
「こちらは、今回はサンプル品は積んでいない。次回訪港時に提供しよう」
「ありがたい話だ。我々から早々に提供できそうなのは、ある程度の鉱石と、食料類か?」
「芸術品であれば、麦の国のものが良いだろう。我が国は実用性を重視する風潮がある」
「各艦に、大型の冷蔵設備が備えてある。野菜なども買取は可能だが?」
「そうか。冷やすことで、長時間の保管が可能であると」
「冷蔵器、か…。我が国でも導入できないものか」
◇◇◇◇
こうして、レプイタリ王国と未知の勢力<パライゾ>の交易条約が締結された。
その交易の屋台骨は、燃石と金属鉱石だ。
その他、いくつか交易品が設定されたが、全体からすると微々たる量である。
とはいえ、基本的に、<パライゾ>側から提供されるのは何らかの示唆を含んだ、有用なものがほとんどだ。
レプイタリ王国はここから、さらなる発展の階段を登っていくことになるだろう。
例え、その方向性が<パライゾ>に制御されたものだったとしても、だ。
「現地の戦略AIも、順調に育ってる感じねぇ」
「はい、司令。そこまで期待はしていませんでしたが、現地調略用のAI基盤として利用できそうです」
「いいわね。やっぱり距離があると、現地にAIを置いておかないと不安だものね」
シナリオを書いたのは<リンゴ>だが、それを実行したのは現地戦略AIである。
<ザ・ツリー>謹製の頭脳装置は、やはり基礎能力が高いのだろう。予想を超えて、順調にその能力を伸ばしていた。
「近々、戦略AIのバックアップを取得しましょう。<ザ・コア>の演算領域内で最適化し、テンプレート化します」
「ええ。次は貨物船を送り込むんでしょう? 機材も運び込むといいわ」
「はい、司令。では、そのように」
ここで「第4章 海洋国家」は終了です。お付き合いいただきありがとうございました。
ここから、レプイタリ王国内でのアマジオ無双が始まるんですが、物語の主軸は連合王国へ戻ります。




