第135話 幸せ外交計画
その人物に気付けたのは、偶然だった。
いや、最終的には気付いただろうから、必然ではあったのだが。
今、このタイミングで気付いたのは、紛れもなく偶然である。
「所在不明だった建国の英雄が、首都に顔を出してる?」
「はい、司令。こちらの人物です」
スクリーンに映し出されたのは、まだ20代にも見える、精悍な顔つきをした男だった。
上等なコートを身に纏い、ぼんやりと何かを見上げているその男だが、見た目は良家の御曹司といったところである。
「…建国って30年以上前って話じゃなかったっけ?」
「はい、司令。38年前から、およそ5年を掛けて半島統一が行われました。ですので、当時20代だったとしても、現在は60歳を超えているものと思われます」
「とてもそんな風には見えないけど…」
当然、現地戦略AIのみならず<リンゴ>もそこに疑問を抱き、徹底的にデータを洗った。結果、判明したのは男が間違いなく英雄本人であること、そして現在は一線を退いており、今回首都へと呼び出されたことが判明したのだ。
年を取っていない理由は不明。だが、魔法が存在する世界であるため、何らかの技能を有していると考えられる。
「記録によると、統一戦争開始時は男爵だったようですが、武功や戦時昇進、クーデター成功による首脳部入りなどで、最終的に現在の永代公爵という地位に収まったようです。それより以前の記録は、今の所見つかっていません。恐らく、戦争時に記録が喪失したものと思われます」
「ふーん…。そんな長生きの人が居るのねぇ。そういう種族なのか、魔法的な作用なのか、気になるところではあるけど」
「さすがに、拉致すると大騒ぎになりそうです」
「そりゃね!!」
間違ってもしないでよ、と彼女は<リンゴ>に釘を差した。ファインプレーである。
「フルネームは、アマジオ・シルバーヘッド。現在は辺境に建てた屋敷に籠もり、一線から退いています。今回、首脳部より招集されて、というより懇願されて姿を表したようですね。<パライゾ>との交渉に出てくるのか、裏方を求められるのかまでは不明ですが、海軍トップはかなり信を置いているようです」
アマジオ・シルバーヘッドがレプイタリ王国に齎した恩恵は、非常に大きい。どうも、銃、大砲の開発に初期から関わっていた節がある。
その後、現在の海洋大国としての道筋を付け、海軍の勢力拡大に尽力しているようだ。
ただ、それもおよそ20年ほど前まで。
それ以降はほとんど表舞台に出ることはなく、辺境に引きこもってしまったらしい。
「いずれにせよ、レプイタリ王国にとっての重要人物です。王国の技術力の牽引を行っているのもこの人物のようですので、<パライゾ>としては技術流出に細心の注意が必要になりますね」
「そうねぇ…。まあ、流出してヤバそうな技術って、核融合あたりかしら? 核反応兵器なんかを作られると、流石に面倒だし」
「はい、司令。その他は基本的に、レプイタリ王国の技術体系の延長上といって良いでしょう。数十年ばかり技術が進行する可能性はありますが、それほど脅威ではありません。電気の基礎研究も進んでいるようですので、10年以内に電気式の外灯が出現するでしょう」
とはいえ、実際の所、技術レベルとその進行度の予想は非常に困難だ。何せ、参照できる歴史がない。
そもそも石炭や石油の利用も進んでおらず、代わりに燃石という、クリーンなエネルギー源が使われている。
「そういえば、石炭が使われてないって、結構問題な気がするんだけど。製鉄とかどうやってるのかしら?」
「今の所、木炭が主流のようですね。レプイタリ王国に限って言えば、伐採と植林を繰り返していますので、資源枯渇は喫緊の問題ではないようです」
製鉄は水素も利用できるが、炭素を使うほうがエネルギー効率が良い。というか、技術レベル的に水素は扱えないだろう。
しかし、石炭から作るコークスが存在しないとなると、製鉄量は木炭量、ひいては森林面積に依存することになる。
「資源生産国に仕立て上げるって計画だけど、大丈夫なのかしら?」
「石炭が存在しないわけではありませんので、折を見て進言しましょう」
後は、ハーバー・ボッシュ法を伝えるかどうかという問題もあった。
「空気からパンを作るって相当な売り文句ねぇ…」
「化学肥料を<パライゾ>の輸出品目に加えれば、当面、ハーバー・ボッシュ法を伝える必要はありません」
レプイタリ王国の人口限界を飛躍的に高めることが可能な、夢の技術だ。
空気中の窒素と、石炭などから取り出せる水素を反応させることで、化学肥料の硫酸アンモニウムの原料となるアンモニアを生産できる。
これが実用化されれば、主食となる麦の生産量が一気に増えるだろう。
「国力が上がることは軍事力向上に直結しますので、我々からすると良し悪しがありますが」
「長いスパンで見ればね。でも、その頃には元アフラーシア連合王国も凄いことになってるんじゃない?」
レプイタリ王国がどんなに急速に発展しようとも、遙か未来の技術を全力で振るう<ザ・ツリー>には追いつけない。
それが、現在の<リンゴ>の試算であり、司令官の見解であった。
また、真っ当な国家成長をさせず、交易を通して歪な経済形態とすることで、その拡大方向を制御しようとしているのが現在の交易交渉だ。
司令官が、えぐい…、とだけ呟いた、<リンゴ>による悪魔のような計画である。
そうとは悟られず、実質的な属国にしてしまおうとしているのだ。
「今後どのように他国と関わっていくかにもよりますが、友好国があるのと無いのでは、難易度が大きく変わります。特に、その国が力を持っているかどうかは重要です」
「…まあ、いいようにやってちょうだい」
あまり難しいことは考えたくない、という態度の司令官に、<リンゴ>は任せてください、と頷いた。
少なくとも、司令官がその気にならない限り、<リンゴ>が世界征服に乗り出すことはないだろう。
◇◇◇◇
満を持して、男は港に足を運んだ。
「それで、問題の船はどれかなっと」
通常、首都モーアの港には、国威高揚という意味も込め、最新鋭の戦艦を停泊させていることが多い。ただ、現在は例の艦隊が駐留しており、波風を立てないため、別の港へ避難させているようだ。
「しかし、彼奴等が言う程技術格差があるものかねぇ…。そんな一足飛びに性能が上がるようなもんでも無いだろうに…」
男は技術者、恐らくレプイタリ王国でもトップの技術力を誇るエンジニアであった。
そのため技術の限界というのもよく知っていたし、それが気の遠くなるほどの基礎研究の積み重ねであることも理解している。
彼の感覚では、この40年余りの技術進歩でも驚異的なのだ。
それを上回るという相手がいることが、俄には信じられないというのが正直なところだ。
「おー。祭りじゃねぇか」
港付近は、例の艦隊を見ようと詰めかけた人々で溢れかえっていた。停泊期間が長いこともあり、どうやら観光スポットとして話題になっているようだ。
人が集まるところには商機もある。
目聡い商人は屋台を出したり、櫓を組んで即席の展望台を作っている者まで居た。
「ふーむ…」
男は唸り、傍に建つ港湾監視塔に目を向けた。
「それでは閣下、お帰りの際にお声をお掛け下さい!」
「うむ、ご苦労」
男は権力を存分に駆使し、監視塔の最上階に入り込んでいた。設置された望遠鏡を覗き込み、早速艦隊の姿を探す。
「…これか。比較対象が無いから大きさは分からんが…」
望遠鏡を操作し、ピントを合わせる。レンズの工作精度の問題でくっきりと写るわけではないが、肉眼で見るよりはマシだ。
「…。マジかよ…。おいおい、こりゃあ…」
観察しながら、男は呻く。
「砲塔…クソ、よく見えねえな…。しかしありゃ何だ、砲口が円じゃねぇな…。砲身つーより何かのカバーか…?
しかし長ぇな、ウチじゃあれはまだ作れねぇ…っと、銃…機関銃、か?
あの形、何だ?
銃と関係無さそうな装置だな…パイプか、あるいは、まさか電線か…?」
男は、その純白の船を、観察する。
「…船員か。獣人…?」
艦橋の水密扉を開けて、船員が顔を出し。
「……っ!」
男と、目が合った。