第127話 チャーム
◇◇◇◇
その男は、ずっとそうやって世を渡ってきた。
少年時代に身に着けた、特殊な技術。
それは、目視した相手に自身の魔力をぶつけ、僅かばかり好感を抱かせるというものだ。
通常、そういった外部からの魔法的干渉に対しては、体内魔力が抵抗を行う。魔力操作による事実改変に対し、正常化抵抗が発生するのだ。
そのため、掛かり方は人によって異なる。
全く効果を発揮しないこともあるし、あるいは逆に効きすぎることもある。
魔力抵抗の効果で気分を害する人もいるし、攻撃的になることもある。
とはいえ、普通は男に対して好感を抱き、ほんの少しだけ態度が和らぐ。そんな効果のある、魔法とも言えない特殊な技術。
彼は、いつものように、ターゲットの護衛兵に近付いた。
そしていつものように、その護衛兵に対して"魅了の魔眼"を発動し――
魔法による干渉を受けた人形機械だったが、"相手に好感を抱く"程度の効果では、全く影響を受けなかった。
そもそも、自我と呼べるほどの思考を行っていない、クリーンな頭脳装置である。
"好感を抱く"という感情動作はその思索領域には欠片すら存在せず、魔力は何の効果も発揮せずに無駄に通り抜ける、筈であった。
<リンゴ>が、直接接続していなければ。
魔力抵抗ゼロという、この世界には存在しない筈の物質構成を持った人形機械を、魔力は無損失で通過した。そして、接続ハブとなる通信ドローンも同様だ。もし、転移後に採掘した物質のみで製造されていれば、それが保有していた魔力抵抗によって通過魔力は減衰し、<リンゴ>には到達しなかっただろう。
転移時に保有していた資源が一部利用された人形機械、および通信ドローンを経由し、"魅了の魔眼"の効果を持った魔力が、<リンゴ>に到達。
給仕と<リンゴ>の構成頭脳装置の一部が、魔力パスで直結した。
そして、魔力抵抗ゼロの物質を経由して"魅了の魔眼"が発動。対象となった頭脳装置の思索領域に作用し、"好感を抱く"思考に組み替えられる。更に、接続された他の頭脳装置に対し、同様の効果を伝播させていく。
数十の頭脳装置に効果を及ぼしたところで、男の体内魔力が底をついた。
通常、魔力抵抗によって伝達可能魔力は制限される。
しかし今回、対象が魔力抵抗ゼロの物質によって構成されていたため、あたかも正負極を直結されたバッテリーのように、魔力が瞬間的に流出したのだ。
結果、給仕は生命活動に対する魔力支援を失い、一時的に血圧が低下。酸素不足に陥った脳の活動レベルが低下し、意識を失った。
一方、頭脳装置の思索領域が書き換えられた<リンゴ>だが、その異常を監視機能が瞬時に検知。規定に従い、頭脳装置群の凍結処理を実行する。
<リンゴ>の全ての思索活動が、停止した。
◇◇◇◇
「状況報告!」
『報告。構成頭脳装置の一部が不正に書き換えられたため、凍結処理を実行。処理は正常に完了。クレンジング処理を実行中』
「お姉様、恐らく何らかの魔法干渉です。状況からすると、現地人形機械に直接接続していた<リンゴ>が対象になったと考えられます!」
<ザ・ツリー>統括AIの人格は<リンゴ>だが、言ってしまえばそれはただの表面、殻のようなものに過ぎない。その内部には膨大なプログラムを含有しており、頭脳装置だけではなく、量子コンピューターやノイマン型コンピューターも稼働している。
問題が発生したのは、主に意思決定・対外表現を行う頭脳装置群であり、統括AI自体としての能力が失われたわけではない。
各機能が滞りなく継続すれば、総体として統括AIという役割を果たすことは可能だ。
「被害は?」
『報告。現時点で障害は認められず。詳細調査中。不正を検知したユニット数は29、全体の約0.8%。対象29ユニットを切り離して凍結解除処理を実行した場合、予想される障害率は0.000001%以下』
「イチゴ、現地の状況は?」
「はい。現地戦略AIが対処中です。敵性対象は攻撃検知と同時に意識を失った模様。現地人形機械により拘束されています。ドライ、フィーアは海軍兵が護衛中。会場に混乱は見られません」
現地戦略AIは、<ザ・ツリー>からの連絡を受け、警戒レベルを引き上げている。
ただし、明確な敵対行動とは判定できず、緊急発進は見送られていた。
もし敵性対象が複数名であったり、あるいは何らかの武器を所持していた場合、対人ドローンによりパーティー会場は制圧されていただろう。
ギリギリのラインで、現地戦略AIは静観を選択したのだ。
「継続監視中。統括AIが防壁を構築。身代わりの頭脳装置が通信経路に設置された。今後、通信応答時間が0.3秒遅延する」
「汚染頭脳装置とバックアップの比較結果が出た。エミュレーターにより、<リンゴ>の管理する個体評価数値に有意な差が検出された。対象の個体の脅威度が減少して通知されている」
『クレンジング処理が完了。対象29ユニットに対し、確定を行いますか』
「防壁対応は完了したの?」
『肯定。現時点で考慮可能な事象はすべて対応済み』
「お姉様、今リスクを恐れると、<リンゴ>の再起動はいつまで経っても出来ませんよ!」
朝日の励ましに、彼女は深呼吸してから、頷いた。
「確定を承認する」
『受諾。確定を実行』
問題の発生した29個の頭脳装置のシナプス接合が、強制的に編集された。対象となったニューロン数は数億に上るが、その対象は<リンゴ>を構成するニューロン網全体の0.01%にも満たない。
実際、今回の汚染を放置したところで、<リンゴ>の意思決定に影響を及ぼした可能性はほぼゼロだった。監視機能が無かったとしても、通常機能としてのエラー訂正により握りつぶされていたと思われる。
とはいえ一番の問題は、外部からの働きかけにより既存防壁が突破された、という事実である。
今回は結果的に影響はなかったものの、侵食規模がもっと大きかった場合、一体どうなるのか。
あるいは、対象がリンゴではなく、それこそ現地戦略AIであった場合、どうなっていたのか。
『統括AI<リンゴ>の表層人格が正常に起動。第二人格を停止する』
「ご迷惑をお掛けしました、司令」
「…いいえ。戻ってこれたのね」
側に侍るアインが動き出したのを確認し、司令官は大きく息を吐き、椅子に沈み込んだ。
こういう事態は、本当に心臓に悪い。あとでメディカルポッドに掛かろう、そう彼女は思った。
胃が痛い。
「幸い、準備した策が全て正常に稼働しました。些か過剰反応にはなりましたが、初めての対応と見れば、及第点ではないかと」
「それは同意するわ、<リンゴ>。アサヒ、あなたもよくやったわね」
「んふふぅー!」
「あなたたちも。<リンゴ>の空白をうまく埋めてくれたわね。私だけだと、ここまでスムーズに対応できなかったわ」
司令官からのお褒めの言葉に、姉妹達も嬉しそうに頷いた。これは、後でしっかりと労ってあげなければならないだろう。
「…さて。今後は、どう対応したものかしらね」
「はい、司令。私への何らかの敵性行動がありましたが、現地から見ると何の問題も発生していません。制圧へシフトしても良いのですが、あちらから見ると非常に理不尽に映るでしょう」
そうなのである。
現場で発生したのは、給仕が1人、突然倒れたという、ただそれだけだ。
現地の人形機械に何らかの影響があったならば、それを理由に何かを仕掛けることも出来ただろう。
だが、結果的に、何の問題も発生しなかった。
「そうですね。何かされた、という事実だけを端的に伝え、上層部を麻痺させましょう。我々も、情報収集が必要です。対症療法では、常に後手に回ることになりますので」
「うーん、引っ掻き回すってことね。でも、直接人形機械を上陸させられるいい機会になったと思ってたけど、またしばらくお預けね…」
さすがに、上陸後、その日の内に仕掛けられるというのは予想外であった。
いや、海軍の手当がなければもっと大事になっていただろう。海軍上層部が、全力で周囲の掃除を行ってくれたからこそ、これだけで済んだといっても過言ではない。
まあ、今頃は全員が真っ青になっているだろうが…。




