第119話 学習サンプル
お茶とクッキーでもてなし、軽く旗艦パナスの上モノを説明し、手土産にとセルロース糸とセルロース布を持たせ、ドライ、フィーア、ゼヒツェンはレプイタリ王国の一行を見送った。
時刻はちょうどお昼に差し掛かったあたり。
おおよそ4時間程度、彼らをもてなしたことになる。
「敵意がないってことはちゃんと伝わったかしらね?」
「はい、司令。それについては問題なく示せたと考えます」
<リンゴ>は頷いた。
「今回渡した情報は、表面的な内容に留めました。当然、あちらも決定的な内容は特に話していませんが、それは問題になりません。流石に、まだ王国人の細かい文化や思想は解析しきれていませんので、言葉や文章になっていない裏の意図などは読みきれませんが。確認済みの範囲では、我々が不利になるような情報はありません」
現在もスパイボットがあらゆる情報を収集しているが、例えば慣習や不文律など、人々の知識や経験の中にしかない情報は集め難いのだ。一応<リンゴ>はそういった暗黙知を警戒しているが、結果、大筋には影響ないとも判断している。
「さて、次から会談は毎日することになったけど。あとはひたすら詰めていくだけかしら」
「はい、司令。どこかで砲撃演習など、示威行為は必要となるでしょうが、基本は条件面の折り合いをつけるだけですね」
最終的な目標は、燃石の供給と金属資源の取引だ。とはいえ、最初からそれを出してしまえば足元を見られることになるため、何らかの妥協案として提示できるのがベストである。
「燃石の供給という切り札も、うまく使う必要があります。会話の流れを予測しながら、出たとこ勝負になりますね」
そして、<パライゾ>最強の手札。いや、最強は武力だが、穏便な手札という意味で、テレク港街周辺で採掘を始めた燃石がある。
燃石の採掘は手作業だったが、試行錯誤した結果、水流を利用することで余計な衝撃、圧力を与えずに掘削できることを発見した。機械的な掘削だと、接触面でどうしても埋没している燃石が破砕、発熱燃焼してしまっていたのだが、これを解決した形だ。
魔道具を使用した手掘り以外の手段ができたことで、採掘速度は飛躍的に向上している。
ただ<リンゴ>は、それなりの水圧、圧力が加わっているにもかかわらず発熱が見られないという現象に疑問を呈したのだが。
魔法脳である朝日による「火属性が水属性によって抑制されているのでは」という意見に、考えるだけ無駄だと悟り、いよいよアサヒへ問題を投げるようになったのだった。
まあ、今時点でアサヒの意見が実証されているわけでもないのだが。
やはり、魔法について体系的に学べるものを見つける必要がある。<リンゴ>の予測が役に立たないのは元より、アサヒによる考察も、正しい知識がベースに無いため、結局推測を重ねることしか出来ないのだ。
「今日は、親交を深めるための会話という形で進めました。明日は、特に相手側からの要求がない限りは、燃石以外の交易品についての紹介になるでしょう」
「今、何があるんだったかしら?」
「はい、司令。セルロース糸、布が複数種類。森の国産の茶葉、菓子類。ドライフルーツ、干し肉などの保存食。<ザ・ツリー>で量産しているセルロース容器密封型の飲料水。第2要塞で生産を始めたガラス瓶入り炭酸水、そして工業的手法で生産した高純度アルコール。テレク港街で生産を始めた酒類。各種海産物、干物もありますが、レプイタリ王国は海洋国家ですのでこれは魅力はないでしょうね。酒類は受けが良ければ、蒸留酒も用意できます」
ぱっと聞くだけでは、これらの品でレプイタリ王国の経済に問題が起こる事は無いだろう。生活必需品もなく、レブレスタ産は高級嗜好品。飲料水は長期保管できるというだけで、既存の水資源を駆逐するものではない。炭酸水も、単なる嗜好品だ。酒類は言わずもがな。
量を規制する限り、だが。
「レプイタリ王国の実態は新興国家ですが、地域に根ざした歴史的知識が失われたわけではありませんし、官僚組織には古くから継承されている知識、経験則も残っています。我々との交易により、国内産業に壊滅的ダメージを与えるような短慮は起こさないでしょう」
ですが、と<リンゴ>は続ける。
「10年、20年というスパンで考えた場合、例えば保存飲料水という観点で、レプイタリ王国の産業を壊滅させることは可能です」
瓶詰めの飲料水や酒類を、適正価格で供給し続けた場合。
10年もあれば、王国内の瓶詰め産業は壊滅するだろう。何せ、金と時間を掛けて開発しなくても、必要とするものが適正価格で手に入るのだ。
為政者による関税などで守られる可能性はあるが、そこの抑制は砲艦外交の得意とするところ。そして、安定供給が5年、10年と続けば誰もが危機感を薄れさせ、国内産業は価格差、何よりその品質差により衰退していくことになる。
「歴史上、地球の交易では互いに命脈を握り合うことでそういった問題を抑制してきたようですが、我々は一方的に仕掛けることが可能です」
とはいえ、現時点では敵対国家でもないレプイタリ王国に対し、そのような戦略を用いることは無いだろうが。
「そして、このような懸念を相手に抱かせることができれば、今回の交易は成功と言えます。我々の品々に対し、相応のものを差し出す必要がありますので。そして、この場合」
「私達が必要とするのは、金属資源ね」
「はい、司令。彼らは、対価として金属原料を差し出さざるを得なくなります。彼らの価値観からすれば、原料、材料は非常に重要な戦略物資です。それを相応の量、輸出するということは、ある程度相手の国家戦略に影響を及ぼすことになる。それが彼らの判断になります」
そして、その交換対象の目玉は、燃石。
レプイタリ王国のエネルギー政策に直結する、超重要資源だ。
「燃石は、レプイタリ王国の国土ではほとんど産出していません。輸入先は、<麦の国>、および南東小国家群。そして、どちらも国土内生産は限定的または皆無で、ほぼ全てがアフラーシア連合王国からの盗掘です。まあ、彼等にしてみれば管理できない土地を管理してやっている、ということになるでしょうが」
「私達もやってるから、お互い様だけどね」
「ということで、今の戦略を進めれば、最終的に燃石の供給はほぼ全てを我々、<ザ・ツリー>が行うことになります。我々が統治するからには、当然、盗掘などは絶対に許しません」
「そりゃね。まあ、産出量を見る限り微々たるものみたいだけど…」
アフラーシア連合王国の南部は、既に<ザ・ツリー>の高高度ドローンによって常時監視体制が敷かれている。小国家群、および<麦の国>による採掘は全て手作業であり、その産出量は限定的だ。あれでは、10年掛けても<ザ・ツリー>の採掘量の1週間分にもならないだろう。
逆に言うと、レプイタリ王国による年間消費量を1日で十分にまかなえるということになるのだが。
「採掘方法が確立すれば、あとは規模を拡大させるだけですので。とはいえ、この調子で、かつ予測通りにレプイタリ王国の工業化が進めば、燃石消費量は加速度的に上昇するでしょう」
機械化が行われることで、鉱山の産出量も多くなる。技術の輸出を行えば、他国の金属生産量も向上するだろう。鉄その他金属の生産量を増やし、<パライゾ>がそれを輸入する。その対価に燃石を供給し、偽りの経済的安全保障を錯覚させるのだ。
「とはいえ、我々の側から、この安全保障を破る必要もありません。まかり間違って敵対的関係になれば検討もしますが、普通に考えれば、そこまで関係が悪化することはありえませんので」
「良き隣人で居ましょう、ってことね。レプイタリ王国は周辺国家のリーダー役として優秀みたいだし、さすがに北大陸全土を掌握するのは面倒よね。こういうのは、現地住民に任せるのが一番よ」
大小様々な勢力が群雄割拠する北大陸の南部で、地域安定の役割をレプイタリ王国に押し付けるのだ。元々覇権を打ち立てようとしていたのだから、特に問題ないはずである。
願ったり叶ったりだろう。
「さて、彼等はどこまで粘ってくるかしらねぇ。やっぱり専門家だけあって、頭は良さそうだし。口もよく回るしね。とっても勉強になると思わない?」
「はい、司令。学習サンプルとしても、非常に優秀です。彼らの頑張りに期待しましょう」