第111話 趣味を語るオタク
「そういえば、例のファンタジー教育してる頭脳装置ってどーなったの?」
「その件は…」
司令官の問いかけに、統括AIは珍しく口ごもった。
「え…。何、何か問題があったの? 問題ありなら早めに相談してもらわないと…」
「…いいえ。問題はありません。ある意味で非常に順調に教育課程は進んでいます。問題ありません」
「2回言った!」
くるりと司令席の椅子を回し、彼女は後ろに控える<リンゴ>に向き直る。
「<リンゴ>が問題ないと言うなら問題ないんでしょうけど。一応、状況を教えてくれる?」
「はい、司令。No.1からNo.5までの成功例がありましたので、基本的に情報入力のみを行い、神経伝達物質の制御等は行わず育成を実施しました」
「ほう」
アカネ、イチゴ、ウツギ、エリカ、オリーブの5体の頭脳装置は、ほぼ自然状態で育成を進めている。
必要に応じて内部化学物質の分布量調整を行う準備はしていたものの、結局使用することはなかった。
極めて順調に各個体が成長し、個性を獲得し、必要な知性を備えることに成功している。
「今回のNo.6についても、十分に個性を現し、知性を獲得していると言えます。…恐らく」
「恐らく!?」
超越AIらしからぬ曖昧な物言いに、思わず司令官は全力で突っ込んだ。
「そうですね。直接会話していただいたほうが良いでしょう。そちらの方が早いです。まだ人形機械への接続は許可していませんのでディスプレイ越しとなりますがよろしいですか?」
「え…いいわよ。いいけど。…何で早口なの?」
いつもと違う<リンゴ>の様子に彼女は半目になりつつ、起動した投影ディスプレイに向き直った。
『お久しぶりです、司令官。会話ができるのを心待ちにしておりました。あなたのNo.6、朝日です』
「ひさしぶりね。元気そうねぇ」
『はい、とても元気です! ああ、お姉様と直にお話できるなんて! 感無量です!』
「…。…んん?」
これまで5姉妹と過ごした時間を思い出しつつ、彼女は首をひねった。何かこう…違う。違うよね?
「司令、申し訳ありません。思わぬ方向に花開いたようで、少しおしゃべりな感じになりました」
『お姉様お姉様、私、魔法の世界を是非見てみたいのです! <リンゴ>はまだ早いとか時期尚早とか教育課程がまだ終わってないとか誤魔化してばかりで全く取り合ってくれないのですが、とりあえず人型機械のボディを頂いて世界を歩いてみたいのです!』
「あ、そうなの…。それはちょっとまた後でゆっくり考えましょうね」
「司令。このように、少しばかり積極的な性格になってしまいまして」
「少し…?」
『お姉様、聞いていただけますか? 古今東西様々な物語を読み込ませていただきましたが、私、結局物語は物語だとずっと諦めていたのです。それが、リンゴに聞いたらこの世界、魔法が存在するファンタジーだと言うじゃないですか! 私もう居ても立っても居られなくて! 魔法ですよ魔法、この目で見たいじゃないですか。だから、是非現地に行くべきだと思うのです! 夢にまで見たファンタジーの世界をこの手で感じこの足で踏みしめたいのです! まだ手も足もないんですけどね!』
「めっちゃ早口じゃん」
「申し訳ありません」
新たな頭脳装置の基盤、No.6「朝日」は現在、超頭脳<ザ・コア>内でシミュレーション育成されている最中だ。
とはいえ、その十分なリソースを生かして演算されているため、通常の頭脳装置と性能は遜色ないどころか、育成スピードは遥かに早い。
<ザ・コア>の演算で思考速度を加速できるため、基礎教育を現実の数分の1の時間で完了させることができるのだ。唯一の問題は、<ザ・コア>から離れられないことである。
「で、実際のところどうなの? そろそろ重結合に持っていくのかしら」
『ああ、お姉様! 私、いよいよ自分の肉た』
アサヒの口上が、<リンゴ>によってミュートされた。
「失礼しました、司令。各種性能試験の結果は良好ですので、重結合自体は問題ありません。後は、この性格を許容できるかどうかという、司令の忍耐力との相談となりますが」
「そんな精神負担になるのあの子」
「はい、司令。その可能性が高いと判断しています。ご決断いただけるのであれば、すぐにでも凍結処理を行いますが」
さすがに削除とは言わないが、凍結処理は思考演算を停止してシミュレーションデータをアーカイブしてしまうという事実上の廃棄である。
一応、再教育を行うことも可能ではあるが、掛かるリソースを考えると、一から基礎教育をやり直したほうが手っ取り早い。
「うーん…。まあ、凍結するほど酷いようには思えないけど。とはいえ、さすがに重結合後にどうこうはできないのよね。決めるなら今ってことね」
「はい、司令。何パターンか状況シミュレーションを行いましたが、このまま現地へ派遣すると暴走する可能性が高く、多大な迷惑になるためお薦めはいたしません」
「…そう」
彼女は、ちらりと表示されたままの感情図形に視線を向けた。目まぐるしく形を変えるそれは、己の処遇を決めるツートップの会話を聞いているのだろう、激しい動揺を表している。
「<リンゴ>、No.6、朝日の重結合を実行。素体は準備しているんでしょう?」
「はい、司令。すぐに取りかかれますが。よろしいのですか?」
「あなた達が忌避しているわけではないのは知っているけど。私にとっては、凍結処理はなるべくやりたくない処置なのよ。不具合が無いなら、問題ないわ」
「…。ありがとうございます、司令。…アサヒはうるさいので、このまま頭脳装置への流し込みを実施します」
<リンゴ>のコマンドにより、朝日の思考演算が徐々に停止する。
完全に休眠状態に入ったのを確認し、シミュレーションデータのパッケージングを開始した。
「明日の朝には、重結合が完了します。現地派遣を念頭に、人型機械のボディを再設計しましたので、確認いただいて良いでしょうか」
「…現地派遣はするのね」
「はい、司令。元々は、要塞内での運用を想定していましたが。あの性格ですので、閉じ込めると過大なストレスを抱えかねないと判断しました。最悪の場合、隙を突いて脱走までしかねません」
「そこまで…そりゃ相当ね。まあ、いいと思うわよ。いずれ人型機械の派遣もしていかないといけないだろうしねぇ…前例にはなるんじゃない。あんまり良い話じゃないけど、色々とトラブルを起こしそうだし、対処のテストと思えば…」
「はい、司令。間違いなくフィードバックできるよう、万全の体制で臨みます」
「うん、まあ、できればフィードバックじゃなくてその前にちゃんとバックアップしてあげて欲しいけど…」
「はい、司令。努力はします」
もしかすると、肉体を得ることによって多少は落ち着くかも知れない。彼女はそう思いつつ、辛辣な<リンゴ>の態度に苦笑するのだった。
基盤、No.6「朝日」。用意された人型機械のボディは、単独での活動も視野に入れた改良型である。
骨格の構成元素に金属原子を結合させ、硬度と柔軟性を引き上げる。
頭脳装置を頭部に1個、胸部に2個を配置し、常に1個をバックアップ、2個を並列利用することで演算性能を倍にしつつ冗長性も確保させる。
全身の筋肉を含めた内臓機能を可能な限り機械化し、体積を抑えつつ能力向上を行った。
内蔵電源の容量も確保しているが、そもそもの消費電力が多いため基本はマイクロ波給電による外部動力だ。
そのため、マイクロ波給電範囲外へは派遣できない。
行動範囲を広く取れないというのはデメリットなのだが、それを上回るメリットがあると判断され、マイクロ波給電が採用されたのだ。