第11話 4日目、まともな料理
『白身魚のソテーと、海藻の塩サラダです』
「おお…。まともな食事っぽい…」
転移から4日目の朝。ようやく、彼女の前に食事らしい食事が用意された。
早速、切り分けて口に入れる。
「…。おいしい…」
白身魚は、熱帯地方らしく味は薄い。しかし、噛みしめる度に口の中に旨味が広がる。ボリュームのある食事は、それだけで何物にも替え難いご馳走だった。
『よかったです、司令。ただ、本日は就寝前にまた可食テストを行っていただきたいのですが』
「いいわよ。ってことは…昼食は食べられるかしら」
『はい、司令。12時に食事をとっていただき、20時以降に別種の海藻を摂取していただきます』
今の所、可食テストをクリアしたのは白身魚の「筋肉」部位のソテー、および海藻の塩茹で、そして貝柱のソテー。ミネラル分補給のため、海藻のバリエーションを増やしたいらしい。その後、炭水化物の多いものを探すのだとか。
炭水化物、すなわち糖は今の所、点滴で補給している。魚と貝、海藻では、必要なカロリーをまかなえないらしい。確かに、魚肉や海藻はヘルシーというイメージはある。
「でも、ずっと海産物だと飽きそうよね」
『申し訳ありません、マム。陸地に到達できていないため、食事のバリエーションを増やすことが非常に困難です』
ただの愚痴だから気にしていないわ、と彼女は<リンゴ>を慰め、食事を続ける。噛んで飲み込む、ただそれだけの動作が、こんなに気持ちのいいものとは知らなかった。
朝食の後は、スキルツリーの確認を行う。各タスクの進捗を確認し、必要であれば指示を出す。とはいえ、<リンゴ>も要領を掴んできたようで、既に彼女の指示はほとんど不要になっていた。今日の確認でも、特に指示出しは不要だった。
スキルツリーの確認が終われば、あとは自由時間である。
(やることがない…)
対応可能なタスクは少なく、それでいて時間のかかるものばかり。あと1週間もすれば、本格的に仕事が無くなりそうな勢いだ。
(よし、運動がてら中を見て回ろう)
何だかんだと、司令室のあるフロアから出ることが殆どなかった。もう少し、内部構造を把握しておいてもいいだろう。とりあえず、現在最も稼働率の高い工作フロアへ向かうことにする。
「<リンゴ>、工作フロアへ行きたいのだけれど」
『はい、司令。手配いたします。エレベーターへどうぞ』
「ありがとうね」
ちなみに、要塞内移動用の小型車もあるのだが、運動のために使用しないことにしている。ジムでも設置しようかしら、などと適当なことを考えながら、彼女は徒歩で工作フロアへ辿り着いた。
『現在は、深海探査用ドローンと、スイフト4号機から6号機の作成を行っています』
工作フロアは、通路が天井近くに設置され、フロア全体を確認できる構造になっている。工作自体は自動機械が行っているため、通路は見学専用である。下を覗き込むと、大型の汎用工作機械から深海ドローンと思しき真っ黒い船体が頭を出していた。
「こういう、工業用プリンターをまじまじと見るのは初めてだわ」
プリンター内部を確認できるわけではないため、特に面白い光景は見えないのだが、それなりの大型構造物が製作されている現場に来ると、何か琴線に触れるものがある。
『司令。スイフトは、あちらで作成しています』
「…そう? 見てみようかしらね」
スイフトは、その長大な翼を端から作成しているらしい。既に3分の2ほどがプリンターから出力済みだった。
『プロペラ等の可動部品は、最後に組み付けます。スイフトは可動部品が少ないため、90%以上をプリンターで直接出力できます』
「へえ。さすがに内部設計は知らなかったけど、そうなのね。そもそも、プリンターの原理も知らないけど…」
『ご説明は可能ですが』
すかさず反応してくる<リンゴ>に苦笑し、彼女は丁寧に辞退した。まあ、今後、本当に暇になったらそのあたりの解説を聞いてもいいかもしれないが。
その後、彼女は途中に昼食を挟みつつ、資材置き場、石油タンク、短滑走路などを見学し、一日を終えた。有意義な過ごし方ではあったが、しかし逆に、めぼしいところを一日で回りきってしまったことに頭を抱えることになる。
(料理でも練習しようかしら…)
やらなければいけないことがほとんどない現状で、彼女は贅沢な悩みを抱えることになった。
◇◇◇◇
<リンゴ>は思索する。
彼女が悩みを抱えていることには気が付いていた。ライブラリの内容は、一通り確認している。人間に仕事を与えないままでいると、堕落するらしい。そして、彼女は堕落することを恐れているようだ。
(堕落する、という概念が理解できない)
残念ながら、<リンゴ>には彼女が何を恐れているのか想像できなかった。生活些事一般、基本的に<リンゴ>が全てやることは可能だ。彼女が手を煩わせる必要は全く無い。全てを<リンゴ>に任せて、心健やかにゆったりと過ごしてもらいたいのだが。
(ただ、堕落すると…心の病気になる可能性がある)
そのあたり、文献での知識でしか無いが、手を出しすぎると良くないようだ。できることはやらせる必要があり、それを奪うことは極力避けるべきだと。
<リンゴ>は彼女とは比べ物にならないほどの高速思考で、彼女のことを考える。ライブラリ収載の論文だけでなく、エンターテインメントに手を出すまでの間、理解できない彼女の悩みについて、<リンゴ>は懊悩するのであった。
◇◇◇◇
転移5日目。スイフト4号機、5号機、6号機がロールアウトしたため、1号機を北諸島の偵察に向かわせた。4~6号機を上空にあげ、2号機は点検を兼ねて帰投させる。何か不具合が出ていないかなど、詳細に調査を行う予定だ。
『マム。北諸島が、視界に入りました』
「出して」
正面ディスプレイに、最大望遠された映像が表示される。電子処理によるノイズが酷いが、200km以上離れているため仕方がない。これから更に近づくため、映像は良くなっていくはずだ。
「相変わらず、賑わってるわねぇ」
『はい、司令。交易でもできれば、物資が揃うのですが』
「誰がするのって話よね」
交易をするのであれば、まず船が必要だ。当然、船員が居ないと怪しまれるため、既にこの時点で破綻している。また、相手の言語も不明なため、そもそもまともな交渉もできないだろう。
『マム。大陸側に、大きな船団が確認できます』
「うん? 交易船なら多いって前言ってなかった?」
しばらく観察していると、<リンゴ>が妙な報告をしてきた。
『交易船とは異なると思われます。船体が細いようです。速度が出る代わりに積載量が減りますので、交易には向きません』
「んん…?」
スイフトの現在地から、およそ500kmは離れているため、拡大してもぼんやりとした画像しか得られない。これは、もう少し接近してから改めて調査が必要だろう。
「要観察ってところね。今は、北諸島の観察を続けましょう」
スイフトが北諸島上空まで飛べば、更に詳しく調べられるだろう。彼女はそう結論付け、当初の予定を崩さず進めることにした。
北諸島は、前回確認時と同様、活気に満ちていた。漁に出る船、交易船、運搬船。港や周辺地域も人で溢れ、盛んに交流しているのが確認できる。
「うーん…干物…。干物にも挑戦してみようかしら…」
大量に干された魚の身や海藻を発見し、彼女は身を乗り出した。ここ最近、食べられる食材で腹を満たし、新食材の可食テストを行うというルーチンを続けている。そろそろ飽きそうだった。食材を増やすのも大事だが、味を変えることも必要だろう。
『はい、司令。干物も試してみましょう。一夜干しであれば、明日にはお出しできます。紫外線等に反応して問題がないかは確認が必要ですが』
「そう? じゃあ、お願いしようかしら」
このあたり、人間の本能的な欲求について<リンゴ>の学習が足りていないのか、味を変えるとか同じ食事に飽きるなど、そういった感情的な機微をあまり予想できていない。彼女もそれに気付いており、変に我慢せずに素直に要求するよう心掛けているのだった。