第10話 哨戒機の離陸
『モーター、オン。回転数上昇中』
滑走路に固定された光発電式偵察機の電気モーター10基が、静かに回転を始める。スイフトは上空20kmほどの高高度を、カタログスペックでは2,000時間以上、連続飛行可能な哨戒機だ。主翼の長さはおよそ40m。ブーメラン型の機体で、胴体や尾翼はなく、いわゆる全翼機に分類される。
高高度は空気が薄いため、機体重量に比べて大きく長い主翼が必要になる。さらに、プロペラを翼全体に配置することで、揚力を稼ぎやすくしている。主翼全面は高効率のソーラーパネルで構成されており、充電しつつモーター動力も確保可能な電力を発生させる。
『モーター推力全開。外部電源パージ、完了。カタパルトオン。離陸』
接続されていた電源ケーブルが勢いよく外れると同時に、長大な機体がカタパルトに押し出され、空に舞った。規定高度に達するまではバッテリーとソーラーパネルを併用して推力を稼ぎ、滞空時は出力を落としてバッテリーの蓄電を行う。そして夜間はバッテリーで飛行を続ける、というのがこの光発電式偵察機の飛行サイクルだ。バッテリー寿命により飛行時間が制限されるものの、補給無しで長時間飛び続けられるこの偵察機は、数を揃えれば監視衛星や通信衛星、GPS衛星の代わりとして使用することも可能だ。しかし、低速・軽量な機体ゆえに簡単に撃墜される、という致命的な問題を抱えていた。
『2番機、続けて外部電源パージ、完了。カタパルトオン。離陸』
1番機を追い掛け、2番機も<ザ・ツリー>から飛び出した。天気もよく、風も弱い。うまく上昇気流を捉えられれば、一気に高度を稼げるだろう。
『1番機、2番機共に機体安定。発生電力に異常なし。高度は順調に上昇中』
2機のスイフトは、要塞<ザ・ツリー>から見て北の海上を、螺旋状に飛行している。
「問題無さそうね」
『はい、司令。気象上の問題もありません。…上昇気流を確認できました。スイフトの飛行制御を行います』
今の所、スイフトを撃墜できる勢力は確認されていない。あぶり出しも兼ねて、スイフトは常に複数機を展開し、哨戒網を構築する。スイフトは4番機以降を製造中で、順次哨戒範囲を広げていく予定だ。
「綺麗ね…」
スイフトの機首カメラの映像を、ぼんやりと眺める。真っ青な空とエメラルドグリーンの海面が、視界いっぱいに広がっている。
「見れば見るほど…何も無いわね…」
海は綺麗だが、しかし資源のなさには閉口させられる。<ザ・ツリー>の周囲は小規模な岩礁と浅瀬が広がっており、サンゴ礁(未確認)が群生する、まさに楽園のような光景が広がっている。しかし、逆に言うとそれだけで、<ザ・ツリー>の活動に必要な何もかもが足りていなかった。
「バカンスにはぴったりなのかもしれないけどね」
映像の中で、キラキラと輝く海面が、やがて深い青色に変わっていく。
「この辺りから、深くなっているのかしら?」
『はい、司令。推定ですが、ここから崖のように深くなっています。いずれは探査が必要ですが、現在の機材ではここまでたどり着けていません』
ふうん、と彼女は頷いた。深海探査ドローンが完成すれば、海底鉱山の探査を行う予定だ。数千mも潜れば、大規模なマンガン団塊の探索が可能だろう。採掘方法はさておき、まずは場所を特定することが重要だ。
「ま、その辺はぼちぼちお願いするとして…」
スイフトは上昇気流を掴み、旋回を繰り返しつつ高度を稼いでいる。
「<ザ・ツリー>も、こう見ると小さいわね」
時折視界に入る<ザ・ツリー>は、漏斗をひっくり返したような形状をしている。真ん中から突き出すのは、通信アンテナだ。高さは500mを超えている。地下(水面下)構造物は半球状で、現在は岩礁海域をくり抜いたような状態で存在している。地下モジュールから地面を掘り抜き試掘する案もあったのだが、海底下なのか海中に接しているかが不明なため、調査待ちとなっている。海中であることに気づかないまま地下モジュールを掘った場合、海水が流入して水没する危険があった。それもあり、まずは周囲の詳細な海底地図を作成中である。
「下から見れば大きいんでしょうけどねぇ」
『はい、司令。スイフトの現在高度、1,500m。対地速度は280km/h』
「ありがとう。うーん、状況が落ち着いたら、のんびりしたいわね…」
『はい、司令。手配します』
「すぐじゃなくていいのよ?」
即座に何かしようとする<リンゴ>をやんわりと止めつつ、彼女は将来を考える。
(正直な所、私の仕事って何もないのよねぇ…ゲームと違って。ゲームが現実になったら…っていうのを考えると、妥当なところだけど。うーん、うちのお母さんと違って、経験不足っていうのは新鮮かな。ひとまず、現実世界と同じような生活を目指そう)
たまに入る<リンゴ>によるスイフトの状況報告を聞きながら、個人的なタスクリストを決めていく。脳内リストなので忘れそうだが、<リンゴ>に把握されるとおそらく面倒なことになるため、仕方がない。
(食料を安定的に供給できるようにする。適度な運動ができる設備を作る。安全を確認して、外で遊べるようにする。海水浴とかダイビングとか、クルージングとかかな?)
現実世界であれば、それらを実現するためにはお金を稼ぐ必要があったが、ここでは<リンゴ>にお願いするだけでやってくれるだろう。
(一気に言うと、翌日にはやってそうなのよね…。小出しにしないと、いろいろと保たないわ)
優秀なAIに全力を出させてはいけない。おそらく加減を知らないだろうから、すぐに駄目人間にされそうだ。そして、たぶん、彼女はその誘惑に逆らえない。
(私、わりと面倒くさがりだからなあ…)
それはさんざん彼女の補助分身に指摘されたことだ。意識しないと、あるいは他人が誘導しないと、彼女はすぐに自堕落になる。まあ、今世代はだいたいそんな感じだと言っていたので、彼女だけではないようだが。むしろ、そのあたりの経験を踏まえて矯正しようといろいろしていたのだと思われる。
(この環境だと、まずいわね。本当に気をつけないと、おはようからおやすみまで、100%<リンゴ>に世話されることになりかねないわ)
<リンゴ>は現実世界の補助分身と違い、人間との接し方に関する経験が圧倒的に足りていない。もちろん、その処理能力を十全に生かしてサポートしてくれるのだろうが、結果を確認してからの対応しかできないだろう。なにせ、前例がないのだ。前例がなければ、行動に対する結果を予測できない。
(私が言って聞かせてもいいけど…。何か、違う気がするのよねえ…)
あとは。
単純に、彼女にとっての暇つぶし、ということになるだろう。<リンゴ>とぶつかり合いながら、日々成長を促していく。彼女も人生経験が長いわけではない、というか若輩者ではあるが、おそらく<リンゴ>に比べれば人生経験は豊富と言えよう。
(<リンゴ>の性能があれば、思考に変な癖がついてもすぐに矯正できるだろうし)
超性能のプラットフォームを持つAIであれば、おかしな思考回路が形成されたとしても、矯正プログラムを実行すれば短時間で修正可能だ。人間であれば数年単位で指導が必要なことでも、数日で、しかも自律的に対応できる。
(私と<リンゴ>がこの世界に転移したっていうのが、意味がわからないけど…)
意図的に、彼女が考えないようにしていること。これは、そのうち<リンゴ>が勝手に解釈を始めるだろう。本来は気になって仕方がない内容のはずだが、幸いなことに彼女は潔い性格をしていた。考えても分かりそうにないから、考えない。
(悲観的になると、つまらないしね。楽しむ方向に、何とかやっていきましょう)
メディカルポッドに横たわったまま、彼女は決意を新たにした。