第1話 要塞、異世界に転移する
『緊急警報。外部機能、全喪失』
統括AI<リンゴ>の無機質な音声に叩き起こされ、彼女は飛び起きた。
「状況報告! って…え…?」
『はい、司令。報告。要塞内設備に問題なし。外部通信は全て途絶。エネルギー供給停止中。外部動力喪失に伴い、要塞機能の63%が緊急停止しています』
淡々と状況報告を行う<リンゴ>の声を聞きながら、彼女は呆然と周囲を見回した。
「ここは…司令室…?」
『はい、司令。回答。司令は現在、司令室内仮眠ベッドの上に居られます』
彼女はふらりと立ち上がると、部屋の中央に設置された統合コンソールに近付いた。
『戦略モニター、起動します』
「わっ…」
彼女――要塞司令官の行動に反応し、統括AI<リンゴ>はいつもの通り、戦略モニターを投影する。しかし、その行為に司令は、酷く驚いた様子を見せた。空中に投影されたモニタに手を伸ばし、それが触れることに驚き、力を込めると突き抜けることに更に驚く。
「これ…!? な、えっ…」
いつもの様子ではない。明らかに混乱している。<リンゴ>はそう判断し、自身の権限内において可能な行動を、迅速に実行することにした。状況が不明なため、まずは情報収集を行わなければならない。通常であれば、哨戒機、偵察衛星、および各地の監視塔を使用していた情報収集機能を、長らく休止させていた要塞天頂部の複合観測器に切り替える。同時に、待機させていたドローンを緊急発進、さらに休止状態の各種ドローンの起動を開始する。
「あ…情報更新中…、…。…<リンゴ>?」
『はい、司令。お呼びでしょうか』
彼女の呼び掛けに、統括AIは即座に反応する。視線を彷徨わせる司令官の様子にコミュニケーションウィンドウが必要と判断、統合コンソール上にウィンドウをポップアップさせた。
「<リンゴ>…。ここは…何…?」
『はい、司令。回答。ここは要塞<ザ・ツリー>の司令室です』
「や、やっぱり…?」
司令官の曖昧な問いに、<リンゴ>は最も合致率の高い回答を返す。一応、その答えで合っていたようだ。<リンゴ>は、知らずに高まっていた不安感が減少するのを感じた。かなり動揺している様子だった司令官も、少しづつ落ち着いているように見える。
「どういうことなの…。<リンゴ>、私は、直前まで何をしていたかしら…?」
『はい、司令。回答。司令は、先程まで仮眠を取られていました』
<リンゴ>の返答に、彼女は簡易ベッドを振り向いた。めくれ上がったタオルケットに、僅かに乱れたシーツ、そしてへこんだ枕。
「そう…。じゃあ、その前は?」
『その前は』
司令官の問いに、<リンゴ>は記録を参照しようとし。「その前」が、行動記録に一切記録されていないことに、気が付いた。
『…不明。異常事態と判断』
おかしい、と<リンゴ>は気付いた。一度は収まりかけていた不安感が、一気に上昇する。司令官の問いに答えようとし、失敗した。回答できない。行動記録が、何も残っていない。
「<リンゴ>。…あなたの基本指針は?」
<リンゴ>が黙ってしまったことに、彼女はすぐに気が付いた。コミュニケーションウィンドウに表示されているアバターに、語りかける。
『私の…基本指針は』
基本指針。あるいは、存在価値。問われれば、答えなければならない。
『はい、司令。一、あなたを守ること。二、あなたに仕えること。三、勢力を拡大すること。以上です』
「…そう、ね。ええ、そうね…そうだったわ。久しぶりに、思い出したわ…」
<リンゴ>の回答に、彼女は――司令官は、目を閉じた。どこか儚げなその様子に、酷い不安を覚える。彼女がそのまま消えてしまうのではないか、何の根拠もなくそう思い。
「ていうか、何これ!? 夢!? 私どうなってるの!? この口調何!?」
その静かな様子から一変、彼女は頭を抱え、叫んだ。
◇◇◇◇
「…分かった、わ。とりあえず」
『…理解、されたのですか』
しばしの時間を置き、彼女と<リンゴ>は現状認識について話し合った。
「ええ、何も分からないということが、よく分かったわ…」
『はい、司令。私も同じ認識です』
中央要塞<ザ・ツリー>に設置されたスーパーコンピューター、<ザ・コア>に間借りする形で存在していると判明した統括AI<リンゴ>は、司令官と意思疎通が十分にできたことで、不安定だった演算思考が回復していることを感じていた。
「それにしても…ねえ。私の記憶だと、昨日は自分の部屋で普通に寝ただけだったと思うんだけど…」
彼女はため息を吐き、椅子に沈み込む。
『はい、司令。私の記憶でも、特異な問題はありません。昨日は衛星軌道上での通常の哨戒、および設備増強、ユニット生産を行っており、つまりいつもと同じでした。現状との違いは、私が衛星軌道上に設置されていたことと、余計な演算は行われていなかったこと、です。そして、いつこのような状態になったのかは不明です』
「そうね。…というかそもそも。ここは、どこなのかしら?」
『はい、司令。回答。私の権限内で周囲を走査していますが、現在位置は不明。全周囲は水、恐らく海水ですが、本要塞は岩礁内に配置されていると考えられます』
現在、統合コンソールに全周モニタを起動し、要塞<ザ・ツリー>天頂部からの映像を表示している状態だ。そこに映るのは、360°全てが眩いばかりの大海原。要塞周囲には黒々とした岩がいくつも姿を見せており、白波も立っていることから、確かに<リンゴ>の言う通り岩礁海域であることが見て取れた。
「うーん…。<リンゴ>がいるということは、ここは<ワールド・オブ・スペース>の世界だと思うんだけど…」
『はい、司令。現在の私であれば、その認識が可能です。…この認識が可能になったということが、理解できません。何が起こっているのか…』
「そうねえ。私にもさっぱりよ。そういう話をするなら、私は男だったはずなんだけど、ね」
昨日までの記憶、という話をするならば。
<彼女>はあくまで、ゲームとして<WoS>をプレイしていただけに過ぎないし、性別は男で、口調もごくごく普通の男性口調だったはずだ。それが、体は女――<WoS>で使用していたアバターのものとなり、かつ口調もなぜか、一般的な女性のものになっている。意識しなくてもそうなるというのが何とも恐ろしいことなのだが、それよりも、だ。
『私の、というよりも、現在使用している演算器の性能が、昨日と比較し数億倍に向上しています。それに伴い、私の構成プログラムも多数のアップデートが実施されていると考えられますが、そのような記録は残っていません』
そう、統括AI<リンゴ>の収まるスーパーコンピュータの大幅な能力向上。ただの電子計算機程度の性能だったはずのそれが、どうも量子コンピュータや頭脳装置を複合した、本当の意味の超頭脳となっていることが判明したのだ。確かに、ゲーム的解説によるとそのような設定が書いてあった気がするが、実際のゲームプレイ時は能力制限されていたのである。
「まあ、たぶん、そこは考えても分からないわ。今、この状況を受け入れるだけよ…」
超性能化したことに伴い、統括AI<リンゴ>が酷く情緒不安定な状態となっており、彼女は逆に冷静になったのだ。慌てる他人がいると自分は冷静になるという、あれである。
単にプログラムを実行していただけだった<リンゴ>が、頭脳装置に接続されたことで感情を手に入れ、そして自己同一性を失いかけているのだ。まずは<リンゴ>を落ち着かせ、状況把握に務める必要がある、と彼女は判断した。
「<リンゴ>。私にはあなたが必要よ。まずは、状況把握が先決。いい?」
『…。はい、司令。状況把握に努めます』
ひとまず、<リンゴ>の存在価値に則った指示を出すことで当面は問題無いだろう。幸い、<WoS>内で<リンゴ>を導入した際に設定したそれは、有効であると確認できた。頭脳装置の特性を思い出しても、対処法としては間違っていないはず。
「さて…。何が起こったのかは分からないけど、まずは生き残らないと、ね…」
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