第3話 自分で二つ名を口にすることほど恥ずかしいことはない
他人には姿が見えない相棒の言葉に、それが気疲れせずに、この酒場で遅い夕食をとるための唯一の方法だと悟った僕は、ヘルメットのゴーグルをはね上げ、素顔を露わにしながらその場に立ち上がると、人前で話すことに慣れない口を開くことにした。
「ま、まあ、みなさん、聞いてください。僕はたしかに……」
『なに口ごもってんのよ。さっさと言いなさいよ』
不本意な二つ名に、つい言い淀むと、ヘッドセットからソニアがすかさず突っ込みを入れてくる。
はぁ……。己の異名を自分の口から言うことほど、小っ恥ずかしいことはないものだが、致し方がない。ここは一つ、名乗るしかないか。
「――たしかに、『独言のノエル』と呼ばれている者です。無敵の魔戦士で、誰も太刀打ちできない、非常に恐ろしい人物だという噂が流れていることも知っています。しかしですね、恐ろしいというところだけは、あくまでも噂なんです」
『あらら、無敵で最強だってことは否定しないんだ。たいそう自信過剰で鼻持ちならない言い回しをするもんだわね。俺は無敵の戦士様ってか』
「襲ってくる暴漢を返り討ちにあわせたり、盗賊団をいくつか退治したことは事実です。でも、僕の方から意味なく人を襲うなんてことは、絶対しません。絶対しませんから、安心してください」
『いくらでもかかってきな! 俺のマテルが火を噴くぜ!!』
僕の言葉を受けて、静まりかえっていた店内に、低いざわめきが小さく広がっていく。
「ですから、みなさん。そんなに緊張しないで、気楽にしてください。食事が済んだら、すぐに出て行きますから」
むしろ、緊張しているのはこっちなんですけど、と思いながら、まわりを見回す。
怪訝そうな表情を浮かべながらも、互いの顔を見合わせ、野次を飛ばすことも無く、僕の言葉に耳を傾けてくれる聴衆に、意外にもなんだか気持ちよくなってきた。
「でもね、正直なところ今夜は嬉しいんです。だって、初めての店に入ると、いつもだったらすぐに絡まれるんです。気が弱そうに見えるからかもしれないけれど、毎回毎回絡まれるなんて、もうやってられませんよ……」
『おーい、いつの間にかボヤきになってるぞー』
「そのたびに、絡んでくる相手をねじ伏せて、やっと食事にありつくと、新たに現れたゴロツキに、オイコラニイチャンと絡まれて、ぶちのめしての繰り返し。拳は痛いわ、飯はすっかり冷え切るわ、店主に怒鳴られるわで散々ですよ」
『ハロー、ハロー。聞いてますかぁ? ボヤきはもういいから、いいかげん話を締めればどうなのよ? 無敵の戦士さん!』
ソニアのあきれ声に我に返った僕は、「それじゃあ、よろしくお願いします」と、なんとも間の抜けたひと言で締めくくり、一礼すると、下を向いて再び席にかけ直す。
『ほんとに、よくもまあベラベラと喋るものよね。口下手が聞いてあきれるわ』
「おまえが話せって言ったんじゃないか」
『愚痴を垂れろとは言ってないわよ。でもまあ、とにかく効果はあったようね。少しは緊張が解れてきたんじゃないの?』
たしかに、あちらこちらで思い思いに話す言葉が渦になり、大きなざわめきとなりつつあった。これが、この酒場の本来の空気なのだろう。
「『独言のノエル』だとよ。聞いたことあるか?」
「いや、ねえな。ということは、『雷閃の死神』じゃあねえってことか?」
「噂だと、『死神』はもっと大柄な、壮年の男だという話だぜ。小柄なあいつぁ、どう見ても十代だ」
「よく見ると、顔もおぼこい坊ちゃんじゃねえか」
耳に入ってくる幾つかの会話。その内容から察するに、悲しいかな、この酒場を緊張の渦に突き落とした張本人は、どうやら僕ではないようだ。
「でも、あの恰好は『死神』の噂そのものだぞ。魔杖も持ってやがる」
「『独言』って独り言のことだろ。さっきも一人で何か呟いていやがったが、あいつも悪魔か死神と話してるんじゃねえのか」
「どう見ても『雷閃の死神』ではなさそうだが、やはり用心するに越したことはないな」
「それにしても、二つ名を自分で口にするなんて、恥ずかしくないのかねぇ」
『どうも、恐れられている別の御仁と間違われていたようね。でも、完全に警戒は解かれていないみたいだから、絡まれることもなさそうよ』
なんとも複雑な心境だったが、ようやく、ゆっくり食事ができそうなことに、ささやかな喜びを感じていた。
いつの間にか、相席者の姿が消えていた。若い冒険者風のグループがいたはずだが、僕が演説をぶっていた最中に席を立ったようだ。
まあそれは、至極当然のことだろう。横にこんなに珍妙な格好をして独り言を呟く、怪しげな男がやってきたのだから。
僕の正体が、決して恐れる対象ではないと分かっても、こんな男の側で飲み食いする気にはならないだろう。少なくとも、僕ならば嫌だ。
宴の時間を奪ってしまって、彼らには悪いことをしたようだ。
だが、かさばる装備品を持て余し気味の僕にとって、近くの席が空いたことは幸運だった。せせこましいなかでの、重い装備を身に纏ったままの食事を覚悟していたが、これならば気兼ねなく、ゆったりと過ごせそうだ。
他人が魔杖と呼ぶ小銃を、担いだ肩から下ろしてテーブル脇に立てかける。そして、背中の大きな背嚢も、すぐ左脇の床に下ろす。
両耳を覆っていたヘッドセットごと脱いだヘルメットは、ゴーグルをこちらに向けて、向かいの空席のテーブルに載せる。
額に張り付く蒸れた髪を、タクティカルグローブを外した両手でかき上げると、やっと人心地がついた。あとは料理が届くのを待つばかりだ。