第2話 酒場で頼むべきベストな飲み物
『とにかく何か頼んだら? そのためにこの店に入ったんでしょうに。それにしても、アンタにしては、こんな酒場に入るなんて珍しいわね。いつもは絡まれるから嫌だっていうくせに、どういう風の吹き回し?』
「仕方ないだろ、開いてる店が他にないんだから。まあ時間も時間だから仕方がないんだろうけどね。そりゃあ、酒場にはいい思い出がなくて好きじゃないけどさ、歩き詰めで腹が減ってるんだよ」
「開いてるのが、こんな酒場だけでごめんねー。でもこの町は、ほかに食べ物屋がないから、お昼でもウチしかないよ。小さな町だからねー」
酒場が嫌いだという僕の言葉に気分を害する様子も見せず、朗らかに応えるエルフの少女。かなり若く見えるが、長命族のエルフのことだ。結構な年齢なのだろう。もしかしたら百歳以上かもしれない。まあ、今まであまり目にしたことがないから、よく分からないが。
しかし、とにかく空腹で仕方が無かった。何でもいいから腹に入れたい。だが、懐が非常に寒いので、極力節約しなければならない。だから、大抵の店で提供される、安価な定番メニューにすることにしよう。
「あの、揚げパンはありますか?」
「揚げパン? もちろんあるよ。ウチの揚げパン、とってもおいしいよっ。だって、朝はパン屋さんもしてるんだもん、ウチの店。それで売れ残ったり、床に落ちたりして売れなくなったパンを揚げてるんだから、おいしいに決まってるでしょ? はいっ、揚げパンと煮野菜で決まりだね!」
まだ、正式に頼んでもいないのに、なぜか煮野菜まで加わった注文になっていたが、異議を唱える気にもならないのは、少女の明るさ故だろう。しかし、さらりと何か妙なことを口走っていたような気もするが……。
よく通る声で厨房に注文を通したあと、再びエルフは笑顔を向けてくる。
「飲み物はどーする? おにいさん」
僕は酒を飲まない。いや、飲めないのだ。以前一度だけ、どうしても飲まざるを得ない状態に陥ったことがあるが、たった半杯のエールで前後不覚になった。正気に戻り、仲間たちにとんでもない醜態を晒したことを理解したとき、その恥ずかしさと二日酔いに、悶え苦しんだものだ。
しかし、酒が飲めないことを知られると、『人生の半分を損している』だの、『酒のない人生のどこが楽しいのか』だのと、哀れみと蔑みの混じった目で見られることがある。
だが、いつも思うのだ。その半分が酒でしか満たされていない人生こそ、哀れじゃないか、と。
そもそも、僕は十八歳だ。そんな若者が、『人生の半分を――』なんて言われてもねえ。
『飲んだらだめよ。お酒は二十一歳になってから』
「いや、そもそも飲めないこと知ってるだろ」
「え、飲めないんだ?」
エルフが意外そうな顔をする。
僕の一番好きな飲み物は牛乳だ。果汁入りだとなお良い。しかし、この嗜好が、たびたび酒場でのトラブルを引き起こすのだ。
「――ぅにゅう」
「え、何? おにいさん」
「牛乳をお願いします……」
給仕に向けていた視線をテーブルに落として、か細い声で注文する僕の思いを知ってか知らでか、にこやかな笑顔のエルフは、ただでさえよく通る澄んだ美しい声を、より一層、元気に明るく張り上げた。
「はいよー! ミルクいっちょー!!」
僕が酒場でこの注文をすると、必ずと言っていいほどゴロツキが絡んでくるのだ。たとえ暴力沙汰になったとしても、決して負けることはないとはいえ、そのたびに相手をするのが億劫だ。
今夜もまた、絡んでくるやつがいるのだろうかと酒場の様子を窺うが、陽気なエルフのおかげで若干ましになっていたとはいえ、未だに漂う冷たい緊張感以外には、特に変わりはなさそうだ。
ふぅ、取り越し苦労か……。今夜は二つ名のおかげで、なんとか平穏に食事ができそうだ。
「ちょっと、みんな! 黙りこくってなんなのさ! この人がミルクを欲しがったって別にいいじゃない! 馬鹿にしてんの? あんたたちっ!!」
突然の声に見上げると、すぐ脇でエルフが腰に手をあて、静まりかえる酒場の酔客どもに怒りをぶちまけていた。
「なんで、酒場でミルクを頼むといけないのよ! 欲しがる人がいるからメニューにもあるし、いつも用意しているんだからっ! それを、『ここはボーヤが来るところじゃないぜ』とか、『とっとと帰ってママのおっぱいでもしゃぶってな』なんて下品な言葉でからかって、あろう事か、あんなことやこんなことまで! ムキィィィー!!」
腰に当てていた両腕を振り上げてぶん回し、その場で飛び跳ねながら大口を開けて怒り狂う彼女の瞳は、すでに焦点が定まっていないかのようだった。
「えぇ、おい! どうなんだよ、テメエらよ! 失礼極まりないと思わねえのかよ、コラ! この人に謝れってんだよ! おい、そこのテメェ、どういうつもりか聞いてんだよ! 何とか言えよ、この野郎!!」
口調まで怪しくなってきたエルフにいきなり名指しされた、隣のテーブルに座る、かわいそうな強面の髭面が鼻白む。
「お、俺、何も言ってない――」
「いーや、言った。言ってなくても思ってる。思ってるに決まってる。わたしがこの人のことをそう思ってんだから、あんたも思っているのに違いないのよっ!」
いやはや、一番失礼なのは、この娘なんじゃないか。
ひとり興奮するエルフと、たじろぎながらも見守る酔客たち。
その時、視界の隅に動くものを感じた。目を向けると、花柄の前掛けを纏った店主らしき大柄の男が、厨房の奥からつかつかとこちらへやってくる。そして、憤怒の給仕をひょいと抱え上げて肩に担ぐと、無言のまま、禿げた頭を下げてから戻っていった。
嵐は去った。僕の目前には、再び薄暗い酒場の全景が広がっている。だが相変わらず、僕への視線は怯えを孕んだままだった。
『いい加減、この張り詰めた雰囲気をなんとかしなさいよ。みんな、アンタを怖がってるだけなんだろうから、怖くはないってことを言ってやったらいいだけじゃないの?』