第6話 冥府の神のハーデース
先の第九次魔龍戦争は、我がエルナンテ神祖帝国をはじめとした、主要国の正規軍を中核とする人類連合軍と、北極大陸を支配する魔龍族との、五年間にもわたる壮絶な戦いだったと聞く。
そして二年前、人類連合軍は大敗北を喫し、戦争は終結した。連合軍は壊滅的な打撃を被るも、我が帝国講和使節団の自己犠牲を伴う決死の交渉により不可侵協定が交わされ、魔龍族による進駐や支配を受けることもなく、戦前と変わらない平和な日常が戻ってきたのだ。
戦後、各国は崩壊寸前となっていた自国軍の再建に取り組むことになる。多くの国が軍備増強に邁進し、各国の兵器業界は過去に例を見ない好景気を謳歌していた。だが、官民共に兵器の生産調整を行うこともなく、増産に増産を重ねた結果、一年も経たずして、武器や防具は市場に溢れ、その価格は暴落することとなる。
そのような武器不況の下にある現在、ゲルタッシュ城駐屯兵の武器メンテナンスと、ガレイド山脈へ向かう冒険者相手の小売りが、ドルフの主な商売だそうだが、その売り上げは非常に低迷しており、過去の蓄えを切り崩しながら、工房の経営を続けているという。
「今ここで、従来とは全く異なる新機軸の武器を生み出すことができれば、袋小路に入り込んだこの業界に一石を投じることができる。そうすれば、売り上げも以前並に回復し、ユウキに継がせるこの店を、潰さなくてすむだろう。頼む。たとえ、おめえに武器を見せてもらったところで、結局は何も閃かねえかも知れねえ。でも、今後の参考にはなると思うんだ」
「そう言われても――」
「礼ならする。いくらでもとは言えないが、ある程度なら蓄えがあるからな」
『ちょっと、ノエル。アタシに話させて』
後ろに立っていたソニアがそう言って、隣の椅子に腰掛けようとするので、その必要がないにもかかわらず、思わず、椅子を後ろに引いてやった。僕の無意味な動作と誰も座らない椅子を怪訝そうに見るドルフ。
『そこの男よ、心して聞くが良い。我は冥府の神ハーデースなるぞ』
「!?」
ソニアは仰々しく、聞いたこともない神の名を口にした。
ヘルメットのスピーカーから流れる彼女の声は、いつものような僕だけに聞こえるものではなく、部屋全体に響き渡った。それは普段の甲高いものからは想像もできないほど低く、男の声のようにも聞こえる。そして、何故か歪に聞こえるその声は、さらなる禍々しさを演出していた。
果たして、その効果はあったようだ。“神”の声に目を見開いたドルフは、無人の椅子の意味を察したらしく、蹶然として席を立ち、机を回り込むと、椅子を前にひれ伏した。
そして、恐怖のためか一言も喋らず、只々体を小刻みに震わせている。
『我は故あって、この者の守護神として旅に同道しておる。守護神である以上、この者に利さぬ全てを、我は全力を以て排除する。この意味、分かるな』
「は――」
『分かるな!』
「は、はーっ!!」
ドルフのあまりの恐慌ぶりに、少しばかり可哀想になってきた。
床に伏したままのドルフを前に、椅子の上でふんぞり返るソニアの姿は、いつの間にか茄子色の禍々しい妙なマントを羽織り、黄金に光る妙な杖を手にした、神とも悪魔ともつかないものに変わっていた。
その金色の光を放つ瞳は小さく、にやつく口には牙が覗く。そして、地獄の業火のように赤い乱れ髪が、妙に似合う。
もしも、初めて見たソニアの姿がこれだったら、僕は彼女を邪悪な存在と信じて疑わなかっただろう。
『そなた、この者に武器や魔道具を見せよと申したな。そのうえ、いろいろ聞きたいと』
「はっ!」
『魔戦士が武器や戦術を、縁なき者に披露する意味、分かったうえでの申し出か』
「……」
言葉だけを聞くと、なんと畏怖すべき神であろうか。だがその姿は、椅子の上であぐらをかきながら、小指で鼻糞をほじる、奇抜な格好をした妖怪娘なのだ。
気がつくと、ソニアのすぐ脇に、ドルフの息子ユウキが立っていた。なぜかその目はキラキラと輝いており、興味深そうにソニアの顔を見つめている。
『な、何よ……』
「おとちゃん、青い髪のおねーちゃん、急に格好が変わったじゃ。かっこいいじゃ!」
こちらも、小さな人差し指で鼻をほじりながら父親に言うが、ドルフは床に伏したまま無言だった。
まさかこの子、ソニアが見えるのか。そう思った瞬間、ユウキはその小さな鼻孔から引きずり出したとは思えないほど巨大な鼻糞を、ソニアに差し出した。
「あげる!」
『っ!? ヤッ ヤメッ! ヤメテッ!! やめなさいってばっ!!』
幼児の突然の攻撃に、顔を引きつらせて深紅の髪を振り乱すソニアは、自分でスピーカーからの発声を無効にすると、椅子から飛び退き、僕の後ろに隠れた。
その姿はいつの間にか、神の衣装でも戦闘服でもなく、いつもの緑色のシャツと作業ズボンに戻っている。
そして、ユウキ謹製の薄黄色をした鼻糞は、つい今し方までソニアが掛けていた椅子の中央に鎮座していた。
『も、もういいから、アンタが話をまとめなさいよ。アタシは話だけ聞いてるから』
ソニアはそう言って、僕に大まかなプランを教えてくれたあと、ユウキを避けるように僕を盾にする。
「あれぇ、おねーちゃん、また服が替わったじゃ! すごいじゃ!!」
しかし、ドルフは一向に動こうとしない。そんなにソニアが怖いのだろうか。




