仮定『現代宇宙論』
ロバートソン・ウォーカー計量というものがある。
-{光速×時間}+(スケールファクター){空間}
という形をしている。スケールファクターは時間の関数だ。ここで宇宙が非常に平坦だという観測結果から曲率はゼロとしていて省略している。
これが現代宇宙論としての元だと考える。フリードマン方程式などもこれから導かれるのでここでは言及しない。
このスケールファクターが変化するために宇宙が膨張して後退速度が例え光速を超えていても、後出しの物理的解釈によって空間的に離れているから大丈夫だという。特殊相対論では光速は超えられないにもかかわらず、局所的な光速は超えていないという理由からだ。
固有運動と宇宙膨張による後退速度を分けているため、後退速度自体だけでは計量上空間に静止しているようなものと変わらないと考えられている。
これは宇宙原理という特別な場所というものはないという考え方だ。宇宙原理の4次元的に拡張すると定常宇宙になってしまうが、観測により否定されたため、空間だけに採用されている。
同時刻というものをこれで考えると、宇宙の年齢というものはどこであっても等しいと考えられている。特殊相対論であれば相対速度があると時間の流れが変わるはずなのに、そうではないのだ。
そのため遠方の銀河の赤方偏移というものは運動による光のドップラー効果ではなく、宇宙膨張によって空間が引き延ばされた影響、光を発したときと観測する現在のスケールファクターの差で示されている。
同時刻で宇宙の年齢が等しいならば、同時刻ではそれぞれの銀河から観測できる宇宙の大きさも等しいだろう。これは有限の速さしかない光速で観測するために、宇宙の年齢分しか観測範囲がない所為だ。
そのため138億光年という数字以外に宇宙の大きさで460億光年というものも見かけるのはそれが同時刻における現在の宇宙の大きさというものとなる。
この場合、宇宙の果ては光速を遥かに超える速さで遠ざかっていることになる。
この宇宙の果ての外側には何があるのか、という答えに『無』または『虚無』というものと、『別の宇宙』というものがある。『別の宇宙』という言い方では、同時刻では460億光年の先に更なる宇宙が広がっているというもので、『無』だというようなものは観測上宇宙の果てというものが光速が有限の速さであるために過去を見ているということから、距離が光でも宇宙の年齢以上となる宇宙の果ての外側となると宇宙がまだ誕生していない状態だという理由からだと考えられる。
つまりは観測上時間的に誕生していないから『無』、同時刻では観測できないから『別の宇宙』、という判断であって同じことを別の見方で述べているのだろう。
しかし特殊相対論が時間と空間を纏めて時空としたにも拘らず、時間と空間をぶった切り、ニュートン力学のように絶対時間・絶対空間のように分割したから上記のような説明になるのだ。
次は背理法を使用して、これの矛盾を導こう。