幻夫婦と感動コンサート
「こんな酷い嘘もないわ」
僕に向けて彼女は新聞を投げ捨てた。その一面には、大きな見出しで「西藤夕 感動コンサート」と書かれていた。
僕は、今日少なくとも三度は読んだその記事を、ため息まじりにもう一度読見始めた。
何度読んでも、酷い。
『「俺の奥さんに、挨拶させてください」
先月十五日、人気歌手西藤夕(29)のコンサートが、レオーネスタジアムで行われた。
歌手活動十周年の節目であるこのコンサートで、サプライズがあった。当日会場に来ていた妻、西藤南さんへ、メッセージが送られたのだ。
彼は、愛妻家として知られている。十年、彼によりそった彼女へのメッセージは、多くのファンの胸を打った。
「俺の奥さんは、南って言います。
本当に素敵な人です。優しくて、強くて、芯が通ってる。俺より二つ上で、まぁ姉さん女房で、ほんと、頼りにしっぱなしです。
五年前に、南は病気にかかったよね、ってごめん、もう語りかけちゃっていいかな? みんな、ごめんね、少しだけコンサートの時間をちょうだい。
――それで、南、なんだっけ。そう、南は病気にかかって……死ぬかもしれないってなって、俺もう本当にどうしようかと思った。コンサートがそのときにもあったけど、俺は全部中止にしようとした。そのとき、南は僕の頬を叩いたね。そして、行きなさいって言ったんだ。
あなたを待つ人は、私以外にもたくさんいる。裏切るようなことをしてはいけない。今のあなたは、過去のあなたが夢見た未来を、歩いているんでしょう。だったら、その過去のあなたのためにも、コンサートに行って。
あのとき、俺は、心の底からこの人と結婚してよかった、って思ったよ。ありがとう、君がいなかったら、俺はこの場所には絶対にいなかった」』
はぁ、とここで目をあげる。そんなこともあったなと、僕は懐かしくもなる。
西藤夕の語った通り、彼の妻は五年前に重い病にかかったが、それでも気丈に振る舞った。コンサートをやりきれと、彼の背中を押したそうだ。
それが、彼女と彼の最後のやりとりになった。
彼女は、植物人間になってしまった。ただ、息をする存在になってしまった。彼は、彼女の意識があるうちにもっと一緒にいてあげたかったと、酷く嘆いていたようだ。
悲劇は始まっていた。
彼女に続くように、彼も病気にかかってしまった。
精神の病だ。
彼女の病気が治った、と思うようになってしまった。
彼女の病気は治っていないといくら言っても、信じようとはしなかった。
「だって彼女は俺の隣にいるじゃないか」
と、誰もいない自分の隣を指して言うようになってしまったのだという。
このことは、公にされなかった。
仕事を続けることは、困難と思われたため、理由を公にせず、彼は音楽の世界から姿を消した。突如失踪を遂げた伝説の歌手となってしまったのだ。
彼は、自宅にずっといるようになった。いや、いるようにさせたのだ。外に出して、何か問題が起きたら大変だ。音楽会社がつぶれたから仕事が無くなったと、彼には説明してあった。
彼は、彼女の幻覚と暮らすようになった。
最初はおとなしく暮らしていたが、やがて音楽活動がしたいと求めるようになった。
そして、音楽活動をしているという錯覚まで起こすようになってしまった。
夢の中で見たコンサートを、現実の物と思うようになってしまったのだ。知らない会社の名前を挙げ、また僕の曲を売り出してくれるってと、周りに嬉々として語った。
彼は、重病だった。
治す方法は見あたらなかった。
新聞や雑誌にコンサートの記事がないと、彼は発狂した。そのため、彼のコンサートの記事を作った。
新作のCDがないと怒り狂った。CDのジャケットを作り、売れているというニュースを作った。
嘘に嘘を重ね、五年が経った。
彼は夢の中で、幻想の妻に素敵なサプライズをしてあげたのだ。
「これは、もう明日凄いニュースになるね」
彼がそう言ったので、できた新聞が、僕が持っているこの新聞というわけだ。
彼に、どんなことを言ったかを、それはうまく聞きだした。素晴らしい出来だ。
「彼を見て唯一確信したのは、愛って素敵ってすばらしいってことよ」
彼女は、本心からか、嫌みなのかわからないが、そんなことを言った。
植物状態になった彼女の、妹だった。
「お姉ちゃんは素敵な人と結婚したわ」
何度見たか分からない涙を、また流した。
「羨ましくて、嫌になる」
「――僕の兄も、素敵な人に愛されていると思います」
だから狂っちゃったんです。
僕は、新聞を丁寧に畳むと、机に置いて部屋を出た。廊下で兄とすれ違った。
「素敵な記事だったろ。後で南にも見せてあげるんだ」
と笑う彼に、そう、と答えることしかできなかった。
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テーマ「結婚」




