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オニギリにさよなら

 数年ぶりの空港に降り立った。仕事で、海外に行くことになったのだ。スーツケースを手に、周りを見渡す。相変わらず、雑多としている。空港独特の懐かしい香りに、顔をゆがめた。

 ふと、思い出す感覚は、何年前のものだったか。



 少女は何度目かの、日本旅立ちの日を迎えた。年はいくつだったか、十歳か、もう少しいっていたか。

 一年半に一度の一時帰国、楽しかった日本での夏休みが終わってしまう。

 空港独特の、腹に響くようなアナウンスが、わんわんと鳴っている。少女には関係の無い国名と、私の知らない言葉が、通り過ぎていく。

 さようなら日本、少女は仕方のないことだと思っていながら、すがりつきたいような気持ちにもなっていた。

 少女は、海外に住んでいた。海の外の国に、帰るのだ。母国から旅立ち、「帰国」する。

うだるような暑さだとテレビで言っていたが、だからなんだ。何が、暮らしにくい国だ。何も知らないのか、近すぎて見えないのか。

 喫茶店の席とりに、自分の荷物を置いていってしまうような国に、少女はまだ残っていたかった。

 知っているのだ、帰れば、友達がいる、楽しい生活が待っている。日本人ばかりが通う学校だ。毎日日本語、正直、学校では、日本と変わらない日々を過ごせている。

 それでも、その国では電車には乗れない。バスにも乗れない。出歩くなんてもってのほかだ。耳に入る言葉は、車のクラクションと同じような雑音になり、珍しいアジア人を眺める視線ばかりが私に注目する。日本も中国も、遠く離れてしまえば差異はないのか、中国人だろうと手を合わせられ、何とも言えない気持ちになるのだ。

 それが無い国、母国日本。

 海外旅行とは訳が違うのだ、生活をするのだ、親の保護下ではありながら、それでも、それでも。

 十歳そこらの子供の胸の奥に、言葉にできない感情がもやを作る。旅行へ行くのだろう、はしゃぐ若者を、無機質な目で見つめる。


 この国は海外に憧れを抱くように、教育されているのだろうか。

 海外にいたことが正義のように、特権のように扱われる。久方ぶりに会った友人の、羨望の眼差しを思い出し、日本にも嫌な視線はあったと、少女は思い出した。それは、日本からの旅立ちを肯定する理由を見つけ出しているようでもあった。

 大人でさえ、一ミリも海外で生活などしたことのない人に限り、あなたは素晴らしい経験をしているのだなんて、分かっているようなことを言うのだ。

 はやく、同志がいる国に、帰らなければ。少女は、何度目かの決意をする。戻る、戻るんだ、前を向いて。

 杖をつく老人が目に入った。見送る祖母の姿が思い出され、少女は慌てて俯いた。


 ラウンジ、空港の、切り離された場所。

 少女はそこが嫌いではなかった。周りにいる人のほとんどは、スーツを着たサラリーマンである。それか、家族づれ、同じ境遇の子ども。

 海外に遊びに行く声は、そこになかなか現れない。

 ソファに腰掛けると、懐かしい香りがした。コーヒーの香り。もう、彼女の気持ちは海の向こうに向いている。ラウンジには、気持ちを切り替えさせる効果があった。ここまできたらもう、逃げられないと言われている気分にもなった。


 少女は、悶々とした気持ちを抱きながら、海を渡る。何時間もかけて。少女は大人になり、母国に住むようになってからもなお、何十回も思い出す。日本が遠くなる、空の上の旅を。

 日本での生活で、何も知らない人々から、海外で生活をしていたというだけで、羨まれ、ときに妬まれたときに、彼女は反芻するようになる。

 あの長さを知らない人に、腹を立ててはいけない。密閉空間の辛さと、いつまでも母国の空港に、私の何処かが置き去りにされた感覚と、思い描かれているような自由などない現実を理解してもらうには、多くの時間が必要なのだと。

 ラウンジには、さようならを告げるように、日本食が並べてあった。少女は、機内食を食べることができなかった。その前に、腹に詰めておかなければならない。

 おにぎりに手を伸ばす。また長いこと会えなくなるそれを、少女はそっと、握りしめた。


 きっと、今でもあの空港の、あのラウンジに私はいるのだと、少女であった女性は思う。

 あそこで、いつまでも、日本にサヨナラを告げているのだ。


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テーマ「空港」

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