詩人は足音を聞きわけて
私は今、とても後悔をしています。私は、貴方に酷いことを言いました。
貴方のことが大好きなのに、貴方が私の相手をしてくれないのを、苦しく感じてしまったのです。私は、私を中心に貴方を見てしまいました。
貴方の部屋が、とても好きでした。いつでも雑多としていて、詩や短歌、俳句を書きつづったメモの束が六畳半の畳の部屋を埋め尽くし、ふすまを開けるとすぐに、いつでも貴方の背中が見えました。ぼさぼさ頭の貴方は、机にかじりついて、いつだって言葉と戯れていました。
「美香」
なぜ、貴方は入ってくる人を見ずに、その人を言いあてられるのでしょう。香りでしょうか、ふすまの開け方かもしれません。私はいつも、不思議で仕方がありませんでした。
私が、貴方に会いに行った、あの日。雨のせいでしょうか、私は随分とふさぎこんでいました。助けてもらいたいと思っていたのかもしれません。傘をさして、貴方の元へと行きました。
「こんな日にしか書けない詩があるんですよ」
そう言いながら、こちらを見もせずに、ぽいとメモを投げる。いつもは、そんなまっすぐな貴方が愛おしく感じていましたが、あの日は違いました。世界が、私を中心に大きく回転し始めたのです。
「どうして、そんなに、詩がお好きなのですか」
「意味が分からないからですよ」
貴方は、すぐに答えました。それは、貴方の中ですでに出ていた結論だったのでしょう。しかし、私には理解できませんでした。
「意味が、分からない?」
「はい。これだけ真摯に向き合っても、次々と言葉は溢れてくる。果てが無い。組み合わせも変幻自在です。それをね、連ねて連ねて、小説にすることもできるでしょう。でもね、僕は、短い中にぎゅっと詰めるのが好きなんです。日本人は、短い言葉が好きなんだと思います。俳句も短歌も、そういう心から生まれた詩でしょう。素敵だとは、思いませんか?」
「………………」
私は、本当に酷いことを言いました。
「でも、お金にはならないではないですか」
言って、すぐに、いけないと思いました。私は走って、逃げました。
本当は、美しいと思っていたのです。お金よりも大切なものを見つけた、誇り高き、詩人の貴方。
でも、私の方を少しでも向いてほしかった。
「美香さん、お客さまよ。もう、何日そうしているつもりなの」
下から、母の声がしました。私は貴方に酷いことを言ってしまってから、ずっとずっと、部屋にこもって、窓の外を眺める日々を過ごしていたのです。
「どなたですか」
「敬一郎さんよ」
どうして! 私はいやいやと首を振りました。どうして貴方が、来るのです。とんとんとん、と階段をのぼる音がします。開いたふすまの向こうには、貴方がひょろりと立っていました。
貴方は、私の前に座り「これを」と紙束を差し出しました。
「……何ですの?」
「いいですから、早く」
言われて、私は紙束に目を落としました。そこには、小さな文字で詩が書かれていました。題名は「足音」。貴女の足音だけ、他とは違って輝いていると、書いてありました。
「全て、読んでくださいますか」
私は、詩を読んだ後に、黙って紙をめくりました。次は、短歌です。また、足音という言葉が入っています。その次の紙には俳句。その次も俳句。その次は少し長い詩。
いくつもいくつも連ねられた言葉を見て、私は途中で泣いてしまいました。
どれもこれも、皆、私について書いてあったのです。
「お許しください……あんなことを言って」
頭を下げると、貴方は私の肩を持って、私の身体を起こしてくださいました。
「やめてください。僕がいけなかった。貴女に、その……僕の正直な気持ちを、最高の作品で伝えようと、そこにばかり集中して、貴女の気持ちを考えなかった。あれから、いろいろ考えたのですが、もう全てを読んでいただこうと思ったのです。そうして今日、恥を承知で、愚作を手に、ここに参りました。
僕は、言葉と戯れるのが好きな変な輩です。でも、そんな私に会いに来てくださる貴女がもっと好きです。そこにたくさん書きましたが、貴女の足音だけ分かるほどに、大好きなのです。
しっかりと、貴女を苦労させないほどに稼ごうと、思っております。でも、その前に作品をひとつ、貴女に差し上げたかった。そんな僕を、許して下さい」
私はもう、みっともないほどに泣いていました。
「頂いても、よろしいですか」
そう言うのが、精いっぱいでした。
「もちろん」と貴方は言いました。
「これからも、書きます。受けとっていただけますか」
「もちろんです」と私は言いました。
貴方は、私を強く抱きしめてくださいました。
「こんなに素敵な詩集、見たことがございません」
言うと、貴方は少し照れた声で、もっと素敵な作品を作りますと、言ってくださったのでした。
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テーマ「詩人」