どうして
彼は褒められるべきなのだ。
当たり前だ。
彼は当たり前のことをした。当たり前に仕事をし、その報告をしに来ただけなのだ。
私は彼を褒めるべきなのだ。
分かっている、分かってはいるが、彼からその報告を受けて数秒、私は言葉を失ってしまった。嘘だろ、という言葉を慌てて飲み込んだ、そのとっさの判断に、頭の片隅で称賛をおくりながら、しかし頭の大部分は混乱していた。
彼は今、殺したと言ったか。
「いったい……」
彼は言う。単純に疑問なのだろう。私が眉をひそめ、黙っていることが。いったい、どうしたのです、とでも言いたいのだろう。
「いや」
私は、彼の言葉を遮った。反射的な私の行動に、彼は少し恐怖したようで、小さく体をびくつかせた。
「……驚いてね、すまない」
とっさに口をついた私の言葉に、彼は納得したようだった。ああ、と少しはにかむその笑顔は、あなたも稀に、人間のような一面を見せるのですね、とでも言いたげだった。
私はなんとか、言葉をつなごうとする。
「そうか……よく……」
見つけてくれたな、と続ければ、それは怨みの言葉にもなりそうだった。よくも、よくも見つけてくれたな。
私は「もういい」と投げやりに言った。彼は、私がショックを受けていることを察したようで、失礼しますと言って静かに部屋から出ていった。
彼は褒められるべきなのに、褒められたいと思っているはずなのに。立派な人間だ、と思う。
「褒められなければ、人間、動かないものよ」
彼女の、キャシーの声がして、私は慌てて振り返った。そこには、ぼんやりとした暗闇があるだけだった。
「キャシー?」
暗闇に問う。彼女はそこにいるのかもしれないと思った。幽霊として。幽霊として? 自分の思考に、私はしかし、混乱する。
彼はキャシーを殺したと言った。
私の部下であるキャシーを、殺したと言った。
キャシーは立派なスパイだった、私がスパイを派遣する会社を作りたいという馬鹿みたいな夢につきあってくれた、実際に成功した、キャシーはみんなの先頭に立って仕事をしてくれた、優秀なスパイでしょと笑っていた、その笑顔が好きだった、私の隣で助言してくれるのはいつだってキャシーだった、辛いときに彼女は優しいキスをくれた、何度抱き合ったろう、何度甘い言葉を囁きあっただろう、私たちは心が通じ合っていると思っていた、それこそ私は、いつ結婚を申し込もうかと思っていたほどなのに、なのにキャシー、キャシー、キャシー、キャシー、キャシー、愛しい愛しい私のキャシー、
「仕事先で恋に落ちたようでしてね、裏切りですよ。最近の彼女、どうもおかしいと思っていたので……勘でね。しばらくつけていましたら、私の勘が当たっていたことが判明しました。裏切りには死を。彼女を先ほど、殺しました」
キャシー!
キャシーは、私を裏切って殺された。
キャシー。
キャシー。
キャシー、どうして。
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テーマ「私を愛したスパイ」