破壊衝動
やってみたらどうなるのか気になる、でも行動には移せない。
こういうことをよく思いつく。
人との会話中に突然顔を殴ってみるとか。
授業中や会議中に、何の脈絡もなく奇声をあげてみるとか。
階段で、いきなり前の人の背中を蹴飛ばしてみるとか。
友達の家にお邪魔するとき、あえてドアを突き破って侵入してみるとか。
……なんだか、極悪な例えばかりになってしまったが、ともかく、誰しも一度は似たようなことを考えたことがあるだろう。
かくいう僕もそのうちの一人だ。
いや、むしろそういうことを妄想する人間の代表、といった方がいいかもしれない。
「やってはいけないこと」が頭をよぎる頻度がべらぼうに高いからだ。
毎日とかいうレベルではない。
家にいようが外にいようが、おかまいなしだ。
周りのすべてが、僕に「やってはいけない」誘惑を与えてくる。
この前も、夕方に街を歩いていたら、下校中と思われる小学生の集団に遭遇したのだが、「ドンキーコングのモノマネをしながら追いかけ回したい」という衝動に駆られて仕方なかった。
幸いその時は、手近にあったゴミ箱の中身をすべて側溝にぶちまける、という方法で雑念を振り払い、何を逃れることができた。
しかし、衝動を衝動で相殺するというのは、自分でもどこかで収拾がつかなくなりそうに思えてとても恐ろしい。
もはや生活に支障をきたすレベルだ。
その数々の衝動の中で、特に僕を悩ませるのが、破壊衝動。
もっとも原始的で、もっとも安直な禁断である。
ガラスとか花瓶とか、つい割ってみたくなる。
電柱なんか、折るために存在しているようなものじゃないか?
思うに、物を壊す時の爽快感だとか、壊した後の虚無感だとか、僕はなんてことをしてしまったんだ、といった絶望感みたいなものを味わってみたいというのが理由だろう。
もしかしたら、自分の奥底に破滅願望的なものがあるのかもしれない。
つくづく難儀な性格である。
そして今日、かつてない破壊衝動が僕を襲った。
学校からの帰路、気まぐれでいつもと違うルートを選んだのだが、今思えば、これが悲劇の始まりだったのだろう。
見知らぬ住宅街に差し掛かったときである。
見るからに高所得者が住んでいそうな家を見つけた。
周りの家よりも敷地がひとまわり広く、家自体も大きい。
また、門の向こうに覗く庭には、ふかふかの芝生が敷き詰められており、その上で白い毛の大型犬がうたた寝していた。
なんという優雅な風景。あくまで外観しかわからないが、人が住むという点において、一切の隙もない素晴らしい住居である。
だからこそ、僕は思う。
……壊したい!
この完璧な高級住宅を、完膚なきまでに破壊し尽くしてしまいたい!
だから壊す。
もう無理だ、もはや自分を律することは不可能、過去最高のこの破壊衝動に身を任せてしまおう。
今までの蓄積がついに爆発してしまった。
我慢の限界、というやつである。
まず、手始めに門だ。
ガシャア!
バギ、ガアアアアン!
ドン、ドン、バガア!
……破壊活動を始めて十五分ほど経った頃だろうか、パトカーが来た。
当たり前だ。住宅街の中でこれだけの破壊音が鳴り響いていたら、そりゃあ誰かが通報する。
僕が破壊した家には人がいなかったようだが、おそらく近所の住人が警察に知らせたのだろう。
やらかした。破壊衝動に理性が吹っ飛ばされていて、通報されることなど全く考えていなかった。
これで僕ももう、社会的に終了である。
これからの人生に思いを馳せ、悲しみに暮れていると、男の警官二人組みがパトカーから降りてきた。
が、すぐ足が止まる。
無理からぬことだ。二人の目の前に広がるのは、瓦礫の山、捻れた金属塊、半分ほどが抉れたように砕けた家、狂ったように鳴く大型犬。
要するに地獄絵図である。
警察の片割れがすぐさまパトカーに戻り、無線を相手に大声を張り上げていた。
応援を呼んでいるのだろう。
もう片方は足をガクガク震わせながら僕に銃を突きつけ、動くなと叫ぶ。
僕の方はといえば、もう警察が来た時点で観念しているので、両手を上げて無抵抗をアピールするしかない。
何もしないから早く捕まえて欲しい。
集まってきたギャラリーの視線が痛いのだ。
抵抗の意思がないとわかると、二人がかりで取り押さえられ、手錠をかけられる。
パトカーまで連行される途中、僕はどこか清々しい気分だった。
何しろ家を壊したのだ。もうお腹いっぱい。
これでもう、破壊衝動に襲われることなど当分ないだろう。
ふう、と息をついて目線を下に向けた時、あるものが目に入った。
手錠だ。
そういえば初めて見た。
そう思った途端、じわりとアレが来た。やばい。
バキイ!
ダメだった。やってしまった。
一回タガが外れると、制御できなくなるのかもしれない。破壊衝動というのは。
あーあ。
手錠まで壊してしまったことだし、なんかもうすべてどうでもよくなってしまった。
次は、隣にいる警察でも壊してみよう。