デザートを愛でるヴァリアッテ
魔族定食。
それは庶民の久能にとっては、ヴァリアッテの言う『懐かしい味』ではありませんでした。
牛肉でも、豚肉でも、鶏肉でもない、久能には全くなじみのない肉の煮込みだったのです。
口に合わなかったワケではなく、美味しく食べる事ができましたが、何の肉か教えてもらうまではおっかなびっくり食べていたのです。
「養殖ドラゴンの肉だが、美味しくなかったか?」
見た目が海坊主の店長がそう説明してくれたので、久能はようやく安心できました。
そうは言っても、ドラゴンが食肉になるなどとは思ってもいなかったので、驚いたのは確かです。
「知らず知らずのうちに食べていたというのに分かっていなかったとは愚か者だな」
ヴァリアッテは笑いを押し殺すように口元を手で押さえながら、久能を見つめていました。
ヴァリアッテの目も笑っていたので、久能は気恥ずかしくなりました。
「久能の舌は味が分からぬと見える。調理法が違えば、味と食感が変わるのだよ」
「……すみません」
今まで見せた事のないようなヴァリアッテの表情を見て、久能は心に湧き水がわいたような清涼感を味わいました。
「さて、余は城に戻るとしよう。おやつの時間までに、デザートを持ってくるのだぞ」
ヴァリアッテは定食を優雅に平らげると席を立ちました。
「ヴァリアッテ! 毎日来てもいいんだぜ! 街の奴らはよそよそしいが、俺は料理でいつでも歓迎するぜ! それに、そこの兄ちゃんも大歓迎だ」
海坊主のような店主がそう熱く告げると、ヴァリアッテは返事の代わりに不敵な笑みを向けて、お店を悠然と出て行きました。
「兄ちゃん。あいつの事をよろしく頼むな。あんなヴァリアッテを見るのは初めてだ。ようやくヴァリアッテも分かってきたんだな、良い傾向だ。俺がそばにいるよりも、兄ちゃんがあいつの傍にいる方が適切なんだろうな」
そう言われても、久能は愛想笑いを返すことしかできませんでした。
ヴァリアッテの傍に自分がいるのではなく、自分がヴァリアッテの傍にいるのだと思っているからです。
「ごちそうさまでした」
魔界定食を平らげて、久能は立ち上がりました。
「ヴァリアッテと一緒じゃなくてもいいが、また来いよ、兄ちゃん」
店主の言葉を背中に受けながら、久能は店を出ました。
そして、軽く準備体操をした後、全速力で疾走したのです。
それは、久能にとっては走れメロスのような心境でした。
友のためではなく、ご主人様であるヴァリアッテのためなので、走れメロスの内容とは違いますが、久能本人は走れメロスのように走っていると思っていたのです。
それは、裏切る事はできないという思いが一緒であったからなのかもしれません。
隣町まで10キロだったのですが、実際に走ってみると全然余裕である事に久能は気づきました。
時速25キロ程度で走れば、往復1時間で帰ってこれて、そのままヴァリアッテが待つお城まで行けば、おやつの時間まで十分に間に合う算段でした。
出発してから30分後には、無事にヴァリアッテの指定したお菓子屋にたどり着き、
「あれと、これと、それと、あっちのを10個ください」
美味しいそうなお菓子を見繕い、注文したのですが……。
「……あれ?」
お金を支払おうとして財布を取り出そうとしたのですが、衣服のどこを探しても財布がなかったのです。
何度確認しても見つからなかったため、お店のゴブリンのおばちゃんに不審な目で見られ始めました。
「……落としたのか?」
財布をどこかで落とした事に気づき、久能は途方に暮れてしまいました。
これではデザートを買って、お城に戻るどころではありませんでした。
今から屋敷に戻ってお金を取ってくるのでは、おやつの時間には間に合いません。
デザートを買わずにお城に行くのでは、ヴァリアッテを裏切るような事になりますので、それだけはできませんでした。
そこで久能は機転を利かすことにしたのです。
その事はヴァリアッテに説明しなければならない事を理解し、説明したらしたで必ず怒られる事も当然の帰結でしたが、それしか方法がなかったのです。
「店員さん。財布を落としてしまったようなので支払いができないのですが、この首輪にかけて、必ず明日お金を持ってきますので売ってくれませんか?」
久能はヴァリアッテからもらった魔王の所有物である事が示されている首輪を店員に見せて、そう提案したのです。
「その首輪は魔王ヴァリアッテ様の……」
ゴブリンのおばちゃんの表情に畏怖とも尊敬とも取れる複雑な感情が合わさった影が落ちました。
おばちゃんは腕を組んで、しばらく考えた後、お菓子をもう一袋用意して、こう言いました。
「あんたが地球人なのは噂で聞いているよ。信用していい気がするし、明日、必ずお金を持ってくるんだよ。それと、この袋はあんたの分だ。あんたの分も渡さないと、私がヴァリアッテ様に怒られちゃうかもしれないからね」
そう言って押しつけるように久能に渡したのでした。
「ありがとうございます!!!」
久能は深く深く頭を下げて、お菓子の袋を二つ受け取り、急いでお城へと戻ったのでした。
「このうつけ者が! 余の顔に泥を塗る気か!」
おやつの時間ということもあり、休憩室にいたヴァリアッテにお菓子を届けて、事の次第を説明すると、久能の予想通り、ヴァリアッテは怒気を露わにし、久能の事を足蹴りしました。
「明日必ずお金を払いに行くのだぞ。ただし、久能の分のお菓子代を含めた金額の二倍、いいや、四倍持っていけ。魔王がツケ払いするなどもっての他。余の名を信頼したその者にきちんと礼は尽くせ!」
そして、ヴァリアッテは久能の事をもう一度足蹴をして、この件については不問に付すといった態度になり、久能が持ってきたお菓子を食べ始めました。
「……魔王御用達、と宣伝しても良いと伝えておけ」
ヴァリアッテは美味しさのあまり目を細めて幸せそうにしながら、そんな事をぼそりと言ったのでした。
ヴァリアッテに二回も足蹴された事と、ヴァリアッテの幸福そうな表情を見ただけで、蹴られた痛みなど忘れてしまい、久能は幸福感で心が満たされたのでした。
ヴァリアッテ・スノーホワイトはデザートをまずは目で楽しむようにしています。
お気に入りのお皿の上にのせて、様々な角度から眺めて、まずはデザートを目で愛でます。
その時に、どんな味がするのか、最初の一口目の感触はどうなのか、といった事を想像するのが、ヴァリアッテの楽しみの一つでした。
当然、久能が持ってきたデザートも同じようにお皿の上に載せて目で愛で始めました。
「焼き菓子……か」
久能が頼まれたのは、クッキーに似た焼き菓子でした。
しかし、形が久能が知るクッキーとは異なり、ペンタグラムの形でした。星形かと思ったのですが、微妙に違う事からよくよく見てみると、ペンタグラムだったので驚いたほどです。
どうやら、この惑星ではその形のクッキーが一般的なようでした。
「形状は華麗で、焦げ目もない……なるほど。して、味は……」
見る事に満足したのか、ヴァリアッテはクッキーを一つ手に取り、口へと運びました。
一口かじったとき、カリッと爽快な音がしたように久能は感じました。
「人気になるのも頷ける。ほどよい甘みであるな。甘過ぎなところがなお良い。これならば、いくらでも食べられそうだ」
ヴァリアッテははそう言いながら、一袋のペンタグラムクッキーをペロリと平らげてしまいました。
「ヴァリアッテ、僕の分も食べる?」
食べ足りないのでは、と思ってそう提案すると、ヴァリアッテは久能をギロリと睨み付けました。
「それでは、余が接収したようではないか」
「でも、足りたの?」
「うむ。久能の世界では、腹八分目というのではないか? 余はそれで良いのだ。満足してしまっては、これで終わってしまうのでな」
「なるほどね」
ですが、久能は自分の分を食べずに屋敷に持ち帰り、夕食の時に一緒に出すようにとメイド長・アッサンに渡したのでした。
ヴァリアッテがデザートを愛でる仕草をもう一度見たいと思ったからでした。