2 勇者の役割
穿槻優助は高校生だ。
平凡な共働きの両親に愛情深く育てられ、だからと言って、箱息子であったわけでもない。普通に小学校へ通い、中学校での成績も平凡、高校も地元の普通の高校に通っていた。
ただ、そんな平凡な彼にも一つ異常な点があった。それが『ビビリ』――自身の行動の先に損失や不幸があると考えてしまうもの――なのだ。いつからかは記憶にないが、彼は何かと負の考えをしてしまい、行動不能になってしまうというのだ。例えば、高校で、教室に入る時や廊下の角を曲がる時、人が来ていて、今曲がったらぶつかってしまうのではないか? などの考えがふと脳裏をよぎるのだ。その結果、立ち止まって、人が出てくるのを待ってしまう。彼が『学校にもカーブミラーが欲しいと思うのは変だというが、かなりの安全性向上が期待できるのだから、あってもいいだろうに』と考えているのはビビリであるが故であろう。
そんな彼は今、見知らぬ土地で、見知らぬ人物、しかも年齢は明らかに下なのに、身分が遥かに上である人と一緒に、その人物の部屋、つまりは異性の部屋で、多くの侍女に、物珍しいものを見るような、奇異の目に晒されながら、彼女たちが淹れてくれた、見た目紅茶のように見える、よくわからない赤みがかった茶葉で染めたような色の飲み物を見つめている。
「どうぞ、お飲みになってくださいませんか」
彼の態度に、少々不安の表情を浮かばせながらも優助よりも遥かに身分の高い彼女、シェリル=アーノ・アレクス・ミゼフスト=ライネルス、ミゼフスト王国の王女である彼女は優助にただの紅茶を勧めるのであった。
「あ、はい」
彼女の表情に気が付いた彼は、今までの癖で疑ってかかっていた事に後悔をする羽目になった。
彼女の表情は不安。それが何に対する不安なのかはわからない。もしかしたら、自分が薬入りの飲み物を飲まないことへと不安かもしれない。しかし、彼は信じることにした。それはこの歳で王女をしている彼女が身を削ってまでして召喚したという事実がそう思う根拠となっているのだ。それが正解であったかどうかはわからないが、少なくとも奴隷の皆は一秒でもながく生きることが出来るのだ。彼女の行いは結果的に命を救っている事に違いはない。
飲み物を飲むと普通の紅茶の味がした。なんの紅茶かよくわからないが多分紅茶の味だったのは確実だ。善し悪しなんてわからないのだが、なんとなく、普通の紅茶よりも美味しかったように思える。
目を瞑って、紅茶を飲んでいた。シェリルと、名前で呼び合うようにした彼女の部屋はとても広く、ベッドはキングサイズより更に大きく、彼女の趣味なのか可愛らしい人形が棚に飾られていた。しかし、他には真っ白なテーブルとセットのイスがあるのみだ。年頃の女の子の部屋としては飾り気が無さ過ぎるようだ感じたことを思い出して少し恥ずかしくなった。紅茶を一口飲むだけで、こんなにも緊張するものだろうか。目を瞑ったのは格好付けたからではなく、侍女に見られているという事実から目をそらし、紅茶の世界へ逃げ込みたかっただけなのだ。
瞑っていた目を開けると、一番に映ったのはシェリルの顔だ。まだ幼く可愛らしい彼女の顔が少し赤みを帯びて、色気を醸し出していた。その表情に、優助の心臓は鼓動を早める事となった。結果彼はシェリルを見つめていられず、目を逸らしてしまった。
「ど、どうですか?」
聞いているのは、この飲み物のことだろう。感想をそのまま伝えれば、よくわからないが美味しい、だろうが、そんなんじゃダメだろう。もっといい表現をしたほうがいいに決まってる。
「おいしいよ、この世界のことはよくわからないんだけど、少し値が張るんじゃないか?」
「いえいえ、別にそんな高価なものではありませんよ!」
「そう?」
そう言いながら、部屋の隅で待機しているメイドの方へ視線を向ける。
すると、何人かいる中でも、年の近そうなメイドさんが答えてくれた。
「お嬢さまはこうおっしゃられておりますが、そちらはこの世界でも五本の指に入るほどの銘茶であります。故にお値段の方も見合った価値になりますね。……失礼を承知で申し上げるとなると『ぶっちゃけ、この紅茶をお飲みになられている勇者様のこと、羨ましいを越して、恨めしい』と思っております」
そ、そうですか。
澄ました顔で、毒吐いてくるな、このメイドは、名前なんていうか、後で聞いておこう、後ろから刺されたら、たまったもんじゃないからな。
「だ、そうだけど?」
「だとしても、お代は結構です。こうして、ユウスケさんと共に時間を過ごすことが得きるだけで、私は大変嬉しく思います。その価値に比べたら、この紅茶など、端金にもなりません故」
「そう言ってくれるとありがたいよ」
って、なんで、こんなにスラスラ会話できてんのー!! 吃驚だよ!! あいがたいよキリッ……ってなんだよ!!
ただ、彼は気が付いていなかった。目をそらしているのは彼だけでなく、シェリルもまた、同じく顔を真っ赤にして、逸していた事に。
「お嬢様。そろそろ」
さっきのメイドさんから、催促されてしまった。
くだらないこと言ってないでさっさと進めろってことだよな。
彼女もきっと呆れてるんだろうなぁ……あれ?
なんか、うっすら耳が赤くなってるような……?
いや、気の所為だった。
「そ、そうですね!! ユウスケさんにこの世界のことを説明しなくてはですよね!!」
シェリルは少し、慌てた様子で、恥ずかしそうにしていた。なんでかはわからないけど、可愛かったから、落ち着くことが出来た。
「シェリルさん、そもそも、僕はなぜ、この世界に召喚されたのでしょうか」
「えぇ、その話の前に、少し、この国のことをお話しましょうか……」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
勇者と魔王。
むかし、むかし、あるところに、大変凶暴な王様がいました。彼は魔物を引き連れて、人々を襲い、苦しめ、殺していました。そんな彼は魔の王様、つまり、魔王と呼ばれていたのです。
魔王様は多くの民を殺し、楽しんでいました。
そんなある日、一人の少年が立ち上がりました。
その少年は魔王様に両親を殺され、一人、生き延びて、苦しんでいました。
少年は魔王様を大変憎み、敵討ちをすると心に決めていました。
少年は魔王の手下である魔物を殺し、殺して、殺しました。
そうして日々を魔物を殺すことに費やしていた少年はいつの間にか青年になっていました。
青年になった少年は、両親を殺された頃の少年よりも、強く、そして黒くなっていました。
青年はそれでも、魔物を殺しました。
そして、ある日、魔王が死んだという知らせを耳にしました。
魔王は一人の勇者に殺されたそうです。
勇者はこの世界の人間ではなく、魔王を倒すために、異世界から召喚された、異世界人だったのです。
しばらく青年は唖然としました。
魔王は死んだ。
死んだのだ。
敵は討たれたのだ。
もう、終わったんだ。
青年は深い、眠りにつきました。
この物語は子供向けの童話にもなる有名な作品であります。
しかし、これには続きがあるのです。
青年は人生の中で一番深い、眠りにつきました。
青年は全ての終わりを悟りました。
そんなわけ、あるか?
終われると思うか?
両親の敵も討てずにこのまま寿命を終えてもいいと思っているのか?
しかし、青年はそんな悪魔の囁きを耳にしました。
囁きを聞き、青年は恐れを抱きました。
このまま、自分が違う人物になってしまうのではないかと恐れました。
そこで、青年は、もし自分が悪魔の誘惑に負けて、悪魔になってしまった時の保険として、魔王をも倒した勇者の元へ行きました。
勇者に感謝の意を伝え、自分を殺してくれるように頼みました。
勇者は青年のお願いを快く聞いてくれました。
青年は安堵と共に、一度、生まれ育った故郷へと戻る事に決めました。
故郷の家だった所を周り、両親にお墓参りをし、清々しい気分でした。これなら、自分は悪魔にならなくて済むだろうと思いました。
そうして、青年が故郷を発って、育ての親のいる孤児院、第二の故郷へ戻ると
そこは火の海になっていました。
青年は困惑しました。
なぜ、孤児院が炎で燃えているのか。青年には全くわかりませんでした。
ここで、不運なことに、青年は気が付いてしまいました。
炎が天に昇るように燃えているのではなく、地を這うように横薙ぎに燃えていたのです。
つまり、これは、自然災害ではなく、人為的な放火です、今も尚、術者は炎を放って、家を燃やし尽くしているのです。
青年はこんな芸当ができる人物に心当たりがありました。
それは、
この世界を苦しめて来た元凶――魔王。
又は、それと同等の力を持つ――勇者。
このたったの二人。唯一の二人です。
魔王はこの世にはいないはずです。となれば、勇者しかいません。
それに、勇者にはお願いをする際、この孤児院にいることも話していました。
青年は、炎の中にいるであろう、勇者を探しました。
落ちてくる木材や石煉瓦を粉々に砕き、炎に焼かれながらも、怒りで我を忘れ、必死に勇者を探しました。
勇者は、孤児院の裏にいました。
孤児院の女の子達の裸体を無造作に転がし、椅子にし、首輪を付け、奴隷としていました。
男の子達の姿はありません。
そして、その女の子の中には孤児院の院長の姿ありました。
彼女は年若く、美しい女性でした。加えて、孤児院を建てるような優しい人物だった。
それが今は、勇者の上で生まれたままの姿を晒し、涎を垂らして白目をむいている。
青年は、人生で二度目の絶望を味わった。
青年の心は真っ黒だった。
青年は意識を失った。
気が付けば、勇者の首を持っていた。
自分と同じような表情をした生首を持っていた。
周りを見ると、孤児院の女の子達が怯えていた。
まるで、悪魔を見たかのように怯えていた。
彼は既に、悪魔であった。
勇者を殺す。悪魔であった。
彼は後々、人々から災厄の魔王と呼ばれた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
彼女シェリル=アーノ・アレクス・ミゼフスト=ライネルスはミゼフスト王国の女王だ。なぜ、彼女がその若さで女王をしているのか、その事情は少し、複雑であった。
ミゼフスト王国――この世界における最大国家である。武力も然ることながら、政治的権力も兼ね備えており、その国力は他国から距離を置かれるほどである。それでも国として成り立つことが出来る事を鑑みれば、その国の大きさがわかることだろう。
加えて、この世界ではちょっとしたネタとして、親が子供を叱る時に『ミゼフストが攻めてくるぞ!』というものがあり、子供を叱るのに、そんな戦争ネタ持ちかけんなよと思うのはいたって常識的なことだろう。
そんな国の第六王女であったのが、彼女、シェリル=アーノ・アレクス・ミゼフスト=ライネルスだ。王女であった頃はシェリル=ミレニア・セクストス・ミゼフスト・ライネルスという名であった。王位継承権も順位は六番目。本来なら、彼女が王女になれる確率はかなり低いはずだった。だが、事実、彼女はこの国の女王をしている。それには理由が存在するだろう。
「国王様はどうしたの?」
彼は純粋に質問をした。
「国王は亡くなりました。母も兄姉たちも、先の戦争で命を落とし、帰らぬ人となりましたね」
彼女はなんの思い入れもない、ゴミを捨てた時の話をするかのように、実の父の死を語った。紅茶を一口啜りながら、本当に、なんでもないかのように。
そんな、彼女の一言に恐怖が沸いた。
その恐怖は自身の身を案ずるものではなかった。ユウスケには彼女が強がっているのではない事を肌で感じたのだ。だが、彼女に恐怖したのではない。彼女にその感情を抱かせなかった父に彼は恐れを抱いたのだ。
わけがわからなかった。
怒りを与えるでもなく、悲しみを与えるでもなく、喜びを与えるでもなく、虚無感を抱かせるでもわけない。
何もなかった。まるで『あらそう、ゴミを捨てたのね』という程度。捨てた事への感謝もなければ、捨てた事への痛みもない。ただ、残っているのは、無。無慈悲、無関心、無情。本当の本当に何もない。
「そ、そうか」
ユウスケは何も言えなかった。ただただ、恐ろしくて、何も言えなかった。
その後もユウスケのその態度とは無関係に話を進めていた。
「国王である父様も母様も……先の戦争、魔王軍幹部との戦闘において、命を落としております。私はその戦争では辛うじて生き延びることが出来ました。というのも、魔王軍幹部の悪魔が、我国の王である父ストレイ=グレアン・アレクス・ミゼフスト=ライネルスとアーノ=ミレニア・レジナ・ミゼフスト=ライネルス両名の殺害に成功した時点で退いていったのです。残った残党も相当強い魔物ばかりでしたが、何故か、私と少数の医療班だけ生き残ることが出来たのです」
多分、彼女は自覚していない。自分の父が死んだという事実も、対して心に刺さっていない。
メイド達に視線を向けると、彼女達は気味の悪いものを見るような視線をしていた。揃いに揃って同じ顔をしていた。そんな中、一人、彼女だけは違う顔をしていた。それは毒吐きの彼女だ。彼女は顔色一つ変えずに、シェリルを見つめていた。それが当たり前のことであるかのように。ただただ、立っていた。
彼女を見て落ち着いた。
そして、もう一度、シェリルを見直して、一言思ったことを素直に言うことができた。
「おつかれさま」
大して、深い意味はない。ただ、言いたくなっただけだ。
なぜ、おつかれさま、なのかは自分にもよく分からない。でも、言わなければ、後悔するような気がした。
彼には自分でも気がついていない、能力がある。
それは人を不幸にするものかもしれないし、幸福にするものかもしれない。しかし、確実に、人の心に変化をもたらす、不思議な能力だ。それがなんなのか、今の彼は知らない。これから先の未来で彼が知ることはあるのか、ないのか、それすらもまだ、不確定だ。だが、しっかりと、彼に芽生えた能力である。
シェリルは泣いていた。
静かに、目から涙をこぼしていた。
自分でも理解が追いついていないのか、困惑した顔で、頬の上を伝う涙に触れていた。
「お、お嬢様!?」
それまで、表情を崩さなかった毒吐きメイドさんが口元を抑え、涙を流しながら、驚きの表情を浮かべていた。
「えっ? え? な、なんで……泣いてるの? ひっく私……す、すいません! ユウスケさんの前でこんな……ひっ……と、止まらな、止まらないよぉ……ひっ……なんなの? どうしたの私……?」
シェリルの目からはポロポロと涙が溢れ出ていた。手で抑えても、その隙間から溢れ、どうしようにも止まらない。彼女は必死に目を擦って涙を止めようとしているものの、それは逆効果だと言わんばかりに涙はいうことを聞かなかった。
「なんで、なんでよぉ……なんでなの? なんで止まらないの?」
「おい、お前達!! 早く何か、お嬢様にタオルを用意しなさい!!」
他のメイドたちも困惑していた。誰もがあの表情に恐怖していたのだ。それが、彼の一言に涙を零し、溢れさせている。まるで意味がわからなかったであろう。しかし、さすが、毒吐きメイドの言うことにはきちんと反応し、毒吐きメイド以外は直様、行動に移った。肝心の毒吐きメイドは、シェリルの側に寄り添い、ただ、彼女を抱きとめていた。
「お嬢様、お苦しい日々でしたでしょう。もう大丈夫、大丈夫なのですよ、彼が……ユウスケ様が……あの、勇者様が、お助けに来てくださいました……もう、苦しまなくていいのです、お嬢様が感情を消さなくてもいいのですよ……っ!!」
毒吐きメイドさんも泣いていた。涙をこらえるように、唇を噛んでいるのだが、それでも、涙は溢れている。止まらない、止められない。それでも、彼女はシェリルを強く抱きしめていた。
「ニーナっ! ニーナぁッ!! こ、国王様が……お、お、お父様…………お父様がぁぁぁああああ!! ……帰ってこないのです……来れないのです…………母様達と一緒に逝ってしまったのです……ッ!!」
「はい…………はいっ……逝ってしまわれました」
「兄様も姉様もディーノもアレンもジジも皆、みんな、みんな、私を庇って、殺されてしまったのです……」
その時点で、俺はそっと、部屋の外へ出て行った。
あの空気に俺がいてはいけない、と。聞いてはならない、と。もう手遅れかも知れないのだが、あの部屋に居ては俺は元の世界へ帰ることを諦めてしまう。この世界で永遠に彼女の側に居たくなってしまう、見守りたくなってしまう。それは、まだ、心の準備が出来ない。前の世界に残してきたものがあるのかといえば、そうではないが、それでも、俺は、元の世界に戻らなくてはならない。戻る必要があると思う。俺はこの世界の住人ではないのだから。
「ゆ、勇者様っ!!」
部屋から出ると、出て行ったメイド達が戻って来るところだった。
「しばらく、二人っきりにさせてあげてくださいませんか?」
ユウスケは極めて丁寧に、お願いした。出来ることなら、と願いを込めて。
そして、
「少し、外に出ていますね……」
この国最大の城を後にして、彼は城下街の雑踏の中へと消えてゆくのであった。