賢者の石版
修一達にとっては最悪のタイミングで古代竜に襲われたが、大局的にはアメリアの計画は成功した。王都から来た三人の賢者が迷宮周辺の三箇所で魔物寄せの魔道具を起動すると、古代竜がその一つに居座った。その間に、三人が迷宮の隠し部屋に辿り着き、コアを破壊して未曾有の大氾濫は一応の収束をみせた。
遺跡迷宮一帯はラトレイア王国の実行支配地となり、リアンナ軍は勝利宣言をして王都に引き上げている。国力でいえばヘルティア帝国の方が圧倒的に上だが、王国には六賢者がいるので、帝国は迂闊には攻め込めない。だがラトレイア王国内の各都市で、帝国のものと思われる破壊工作が頻繁するようになった。賢者達はその対応に追われている。王国の体力が徐々に削られていく日々が過ぎていく。
アメリアとプリシラは、修一を領都マータックの辺境伯別邸で療養させることにした。アメリアは再生魔法を、先ずは胴体部と頭部に集中的にかけて、修一の意識を回復させた。その後もアメリアは、賢者として忙しくしつつも、三日に一度は訪れて、炭化した四肢に再生魔法をかけている。
修一は人間として死んだだけでなく、マナ生物の観点からも死んでいた。マナ揺動が止まって一日経った修一は、体内細胞の全てからマナが抜けた。ゲーム的な表現をすれば、レベルは一にリセットされた状態で、初級魔法さえ使えない。
修一の身体は順調に回復しているが、地球で最も大切な二人との死別を思い出したことで、自己嫌悪で鬱々とした療養の日々を送っていた。
修一と対照的に、プリシラは生き生きと修一の看護をしている。血も涙も汗もよだれも、その他のあらゆる体液を流しながら、修一の名前を一晩中唱え続けている姿を見られては、今さら恥も外聞もない。貴族として、また冒険者として、様々な優越感も劣等感もあったが、全て脱ぎ捨てた。その代わりに彼女は、修一と家族の命さえあればそれで良し、というシンプルな人生哲学と、タフな精神を身につけた。
修一はプリシラに看護をされながら、ぽつりぽつりと、地球での出来事とその時の感情を話していった。命もレベルも失った修一は、見栄も矜持もない、思い出す限りのことを、隠すことなくそのまま口にする。プリシラと仲間達に一通りの過去を語り終えた頃には、療養の日々も終わろうとしていた。
まだ走れはしないが、歩くことも指先の細かい動きもできるようになり、いよいよヴィクターに託された品々を披露する。修一が屋敷に隠したヴィクターの鞄は、アシュレイ達が無事に回収している。部屋には、アメリア、プリシラ、アシュレイ、ゴルバス、ニールの五人がいる。
「これが賢者の石版だ。異世界地球の知識が収められている」
ヴィクターの鞄から、タブレット型コンピュータを取り出した。
「使い方を説明した文章もあるはず。ええと、これだ。石版は今は動力切れだから動力補充機器の説明も書いてあるな」
アルファベットとよく似たオルトゥス語のフォントで印刷された紙束を出す。
「その石版の加工精度の緻密さには驚くが、結局、なにができるんだ?」
アシュレイが問う。
「石版の中身は確認していない。でも幾つかの魔道具の試作品を見ているから想像はつく。要は魔物対策の魔道具の作り方が収められているはずだ。この知識に基づいて魔道具を作ればオルトゥスは救われる。これを賢者様に引き渡して俺の役目は終わりだ」
「引退するみたいな言い方だな」
「実際、俺はもう必要ないしな。俺自身は、初級魔法が使えるくらいにはレベルを上げてから、土魔法が得意だから土木系の仕事でもやって食べていくよ」
修一は一同を見渡して続ける。
「皆には、せっかく命懸けで助けてもらって申し訳ないけど、もう戦いの世界からは足を洗いたいんだ。すまない」
「辺境の英雄、プリシラの守護騎士は引退か。お嬢がそれでいいなら、俺から言うことはないぜ」
アシュレイがプリシラに顔を向ける。
「構いませんよ。これからは私が修一を護りますから。落ち着いたら、迷宮の中層にレベル上げに行きましょう。できれば中級土魔法まで使えるようになるといいですね。ずっとこの家を使って頂いて構いませんが、気になるなら、二人で部屋を借りましょうか。私個人の蓄えもありますから二、三年は暮らせるでしょう。仕事や部屋のことは、ギルドマスターに相談ですね。それから――」
プリシラは「二人の」今後の生活設計について、思いつくまま話し始める。
「プリシラ、プリシラ、ちょっと待ってくれ。もう俺と一緒にいる必要はない。予言された未来は変わったんだ。賢者の石版があれば、古代竜さえ対処できるだろうし」
「私は啓示と関わりなく修一と共に生きていくつもりです。石版があればもう安心のようですし」
「言い方が悪かった。安心じゃないんだ。スタート地点に立てるだけだ。地球産の魔道具を作るには、何十もの城を作るようなものなんだ。国を挙げての一大事業になる。ここにいる皆も全力で協力しないと魔物の侵攻に間に合わない」
「それなら、修一のレベル上げが一段落したら、一緒に事業に参加しましょう。戦わなくてもできることはあるでしょうから――」
「プリシラ、もういい、もうやめてくれ。悪いけど、君の好意は受け取れない。プリシラと共に生きていくつもりはないんだ。俺は事業には関わらない。一人にして欲しいんだ」
修一はそう言って目を逸らした。
プリシラの表情が固まる。アシュレイがため息をついて、プリシラの肩に手を置く。表情と思考が固まったプリシラに代わって、アシュレイが修一に向かって話す。
「修一よぉ、自分のせいで大切な人を失くした経験はここにいる皆がしているぜ。自分を許せないし、人間関係全てを断ち切りたくなる。お嬢、あの時の話をしていいか?」
アシュレイがプリシラを見ると、彼女は硬い表情のまま頷いた。
「お嬢が十二歳の時だ。その日は母親に叱られて、いじけて部屋に閉じこもっていた。それで魔物の大氾濫からの避難が遅れたんだ。オレ達が駆けつけた時には、弟を抱きしめながら、自分のせいで母親を死なせたと言ってずっと泣いていた」
「そうか……。大変だったんだな。六年かけて立ち直ったんだね」
「立ち直ってはいないだろう。十二歳の自分が引きこもったら、六歳の弟も道連れにしちまう。だから自己嫌悪を抑えこんで無理して歩いてるだけだ。六年経ったが、まだ十八の女の子だぞ。杖にすがって歩いてるんだ。火魔法が得意だった母親の杖だ。でもよ、生きてる人間が支えてやらなきゃダメだろうが。修一が杖になってやれよ」
アシュレイは修一を見るが、修一は目を合わさずうなだれている。
「修一、冒険者を辞めるのは構わん。だがお嬢を拒むな。自分を責め続ければいい、樹のことを想い続ければいい、お嬢と一緒にならなくていい、ただ、仲間の絆は切るなってだけだ。ここは厳しい世界なんだ。だから互いが支え合って生きいくんだよ」
「あ、ああ。ごめん。だけど……」
「ああ、頭では理解しても、感情がついてかないんだろ、それも分かるぜ。オレがそうだったからな。そしたら、ゴルバスにこっぴどくお仕置きされたよ。あれは酷かったな。今でも感謝していいのか、恨んでいいのか分からんくらいだ」
そう言いながらアシュレイはタブレットを手に取る。アシュレイはタブレットを持ちながら、一同を見回す。修一以外が頷いた。
「修一が拒絶しても、お嬢は全てを捨てて修一の側に居続けるだろう。修一が自分を許して立ち上がるまで何年も、ヘタすりゃ十年もな。仲間として、そんな二人を見ちゃいられねえ。だからよ、強制的に立ち直ってもらうぜ。アメリア様、いいですね?」
「私は受け取っていないから、それはまだ修一のものだ。勝手にしろ」
鬱状態の修一は、アシュレイとアメリアのやり取りの意味が分かっていない。アシュレイは、プリシラにタブレットを渡した。受け取ったプリシラはアメリアを見た。アメリアはため息をついてから、もう一度頷いた。
(イグニション)
――ボシュウウゥ
プリシラが手にしているタブレットから煙が出た。
「何したんだよ! タブレットが火を吹いてるじゃないか」
修一は慌てて、プリシラからタブレットを取り上げようとするが、その前に、アシュレイが横取りをした。アシュレイは両手でタブレットを掴む。
「止めてくれ、本当に止めてくれ、オルトゥスの希望なんだよ! ヴィクターの悲願なんだよ! お前ら、なんて酷いことをするんだ!」
アシュレイが何をするか察した修一は必死で説得するが――
バキリ、とアシュレイはタブレットを二つ折りにした。修一は、やっとアシュレイからタブレットを取り返したが、既に残骸となっていた。
「あぁ、やってしまった。酷い、酷い、酷いぞ、アシュレイ!」
さっきまで生気のない眼をしていた修一が、今は憤怒の表情でアシュレイに殴りかかる。アシュレイは避けない。修一はアシュレイの顔面を何度も殴りつけている。
「うあああ、くそ、ああ、くそ、ばかやろう、あああ、くそ、くそ、くそ、あああ」
修一は喚きながら殴り続ける。泣きながら殴り続ける。怒り、悲しみ、後悔、様々な感情がごちゃまぜになったまま殴り続ける。
じっと立ったまま殴られているアシュレイだが、修一とはレベル差があり過ぎて、その打撲箇所は微かに赤くなるだけだった。




