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迷宮の怪物

「なんだ?」


 修一は気が付くと、薄暗い広間にいた。


「ゴルルゥ」


 うなり声の方に向く。黒光りする肌に、頭には二本の角。手には戦棍メイス。オルトゥス人が「ブラックオーガ」と呼ぶ人型の魔物、二メートル半はあるだろう巨体が、警戒する様子でこちらを見ていた。


 ヴィクターから聞かされていた転移先とは、彼の屋敷近くの迷宮、すなわちコーエン辺境領ノルン村近郊迷宮の最奥部であった。


 修一は魔法杖を握りしめ、射撃魔法を撃とうとした。だがヴィクターを撃った記憶が蘇った。魔法杖を持つ手が震える。心が乱れてマナ錬成が始まらない。魔法を発動できない修一はじりじりと後ずさりをしながら、杖をポーチにしまい、短剣を抜いた。


「ガアアアアアゥ」


 修一の弱気を見てオーガが威嚇する。修一はその咆哮にビクリと身をすくめて足が止まった。オーガは修一との彼我の距離を二歩で埋めて、右手に握ったメイスを振り下ろす。気力の萎えている修一は、それでも生存本能でメイスをかわして、背中に回り込んだ。


(スラッシュ)


 背中に向けて袈裟斬りに武技アーツを放つ。だが武技さえも発動しない。気の抜けた斬撃はオーガの皮一枚さえ斬れなかった。


 半端な攻撃を受けて余計にオーガは荒ぶった。修一に向かって、メイスを振り回して追いかける。魔法も刃も通じずに、修一は逃げ回るしかなかった。心は萎縮していても、レベル四十七の反射神経によって、攻撃をかわし続けることはできる。だがそのことがかえって修一を惨めにさせる。


 自分はレベル四十七になるまで、地球でどれ程の覚醒者を殺してきたのか。信念を持って、時には人を導き、時には戦ってきたつもりだった。ならばヴィクターが亡くなっても、地球に留まってオルトゥス化を進めればよい。あるいはヴィクターの使徒としてオルトゥス世界に地球の技術を広めてもよい。


 しかし自分は、どちらの道を選ぶ気力もなく、ただこの世界に逃げてきた。逃げ出した先の迷宮で、今度は魔物に臆して逃げ惑っている。なんと惨めで滑稽なのか。今や魔法も剣も使えない魔法剣士の抜け殻だ。


「ガアァ」


 メイスを空振ったオーガは、回り込んだ修一に向かって左腕のバックハンドで襲ってくる。


(もういい)


 修一は足を止めた。


 自分のような人間は、迷宮の奥底で人知れず死ねばいい。結局自分はヴィクターがいなくては道を切り開けないのだ。薄っぺらの信念を持った男がヴィクターの威を借りて、世界を救うなどと偉そうな言動をしていただけだった。こんな自分に殺された覚醒者達、そして樹、ヴィクター、彼らの無念を想うとやり切れない。


――ドカァァ


 オーガの拳を顔面に受けた修一は、吹っ飛ばされて転がっていく。


「ガアアアアアゥ」


 オーガがまるで勝ち名乗りのように咆哮した。だが修一のマナ揺動は止まっていない。オーガは追撃せずに用心深く修一を睨みつける。


(もういい、というのに……)


 修一は立ち上がった。唇が切れて出血し、左まぶたが腫れて視界が半分塞がっている。だがダメージはその程度だった。自暴自棄の棒立ち状態で拳を受けたが、飛ばされたことによって、打突の衝撃が緩和された。そしてレベル四十七の身体は簡単には壊れない。


(なぜ俺は立ちあがる?)


 立ちあがった修一にオーガが詰め寄って、またもやメイスを振るう。


 修一は左腕をすっと上げて、掌をメイスに向けた。メイスと掌が接触した瞬間、修一は足首から股関節、背骨、肩、手首、全ての関節を同期して、メイスの衝撃を包み込んだ。そして自身の力も付与してから、メイスの軌道をずらしてその衝撃を後方に解き放った。


――ドスッ


 オーガの手を離れたメイスは、鈍い音をたてて、迷宮の土壁にぶつかった。


 野口流剣術隻腕無刀取り、その無様な応用だった。相手の剣を奪ってそのまま相手を斬るまでが技なのに、武器を飛ばしたら反撃にならない。


(何をやっているんだ俺は)


 修一は中途半端な武術で対抗した自分に苛立つ。


 メイスを飛ばされたオーガはその事実に少し呆けていたが、すぐに怒気を発散する。武器などなくてもオーガの爪自体が刃の硬さを持っている。オーガは一声吠えてから、右手の爪撃を修一に振り下ろす。


 修一はオーガの爪撃を後ろにも横にも躱さず、前に出た。オーガの身体と修一の身体が交差する。修一はそのまま脇を潜ってスルリとオーガをやり過ごすと、身を翻してオーガの背中を注視する。


 オーガの右の二の腕に一筋の赤い線が浮かぶと、その線に沿ってプツプツと血が噴き出した。修一はオーガと交差する刹那に斬撃を放っていた。今度こそは気合の入った斬撃のはず。だが、浅かった。肉を断つつもりが、皮しか切れていない。


 足の親指一つ、その分だけ僅かに踏み込みが浅かった。初めて目にした異世界の鬼、その重厚な存在感に、修一は親指一つ分、臆していた。


「チッ」


 はっきりと舌打ちをした。鬱々とした自問の呟きではない。輪郭のはっきりとした苛立ちだ。


 オーガと戦ううちに、修一の千々に乱れた心に一つの焦点が生まれた。怒りだ。気力の枯れた空洞の心に、怒りという一つの感情が満ちていく。


 怒りの矛先は自分の無様な戦い方。親指一つ分の怯懦きょうだのせいで、自分がこれまで積み上げてきた「武」が霧散しようとしている。この怯懦を直ちに消し去らねばならない、それだけを考えている。自分の薄っぺらな信念もヴィクターも樹のことも頭から消えている。


 背をむけているオーガに追撃はせず、修一は剣を納めて後ろに下がった。怯懦を修正するには、射撃魔法も剣も必要ない。無手になって、剣よりも深く踏み込まねばならない状況に自分を追い込む。そして自分の身体を「武」の化身として精密に仕立て直すのだ。


 オーガは修一と向かい合った。オーガは腕の傷など気にした様子もなく、またも右腕で爪撃を放つ。


(ストレングス)


 修一は今度こそ十分にオーガの懐に踏み込んで、カウンターで正拳突きを撃ちこんだ。無意識に武技を発動していた。


 鈍い打突音と共に衝撃がオーガの下腹部に広がる。オーガの膝から力が抜けた。修一は今度も追撃はせず、オーガが打突の衝撃に固まっている隙に距離を取る。修一は武技を発動できたことを自覚していない。


 下半身に力が入らないオーガが、弱った足取りながらも距離を詰める。そして上半身の膂力で強引に、爪撃を繰り出す。


(ストレングス)


 修一は爪撃を放ってくるオーガの手首に向かって、手刀で迎え撃つ。またも無意識に武技を発動している。ゴン、と鈍器がぶつかり合う音がした。弾かれたのはオーガの腕だった。下半身の支えのない腕力だけの爪撃など、武技の前では無力だ。修一は武技を再び使えるようになったことを自覚した。


 腕を弾かれて体勢を崩しているオーガに追撃をかける。二打、三打と拳を撃ちつけ、最後に蹴りを放った。追撃に武技は使わない。自分の身体を仕立て直すのに魔法もマナも不要。ただただ最速で精密な連撃を放つ、それだけでよい。そして――


 ズウン、と巨体が沈んだ。オーガはうつ伏せに倒れた。それでもさすがに迷宮最下層の魔物であるブラックオーガは、闘志が絶えていない。四肢に力が入らないながらも、唸りながら立ち上がろうとしていた。


 修一は、しばらく残心の構えでその様子を見ていたが、やがて先ほど放り投げたメイスを拾いに行った。そして片手でメイスを持ち上げると、無造作にオーガの頭に投げつけた。


 ゴガン、と大きな衝撃音をたてて額にぶつかる。オーガはやっと意識が途絶えた。死んではいない。角に当たって衝撃が僅かに緩和された。身体再生能力のある竜やトロールでなくても、魔物はマナの濃い場所ならば時間はかかるが、いずれは回復する。だが修一は、オーガとの勝負はついた以上、とどめを刺すことに興味はなかった。そして、倒れ伏しているオーガをしばらく見つめてから、部屋から出ていった。


 修一は襲ってくる魔物だけを相手にしながら、迷宮出口へと向かう。途中で再び射撃魔法を使えるようになっていることも確認できた。迷宮を出ると木々の間から、高台に屋敷が見える。あれがヴィクターの屋敷だと検討をつけてそこに向かった。



****

 屋敷の地下室で、ヴィクターのタブレットをしばらく見つめてから、鞄にしまう。オルトゥスで地球の科学技術を再現するには、貴族や、職人、商人、冒険者等の多くの者の協力が必要だろう。しかし、人々と協力して何かを成し遂げる気力も自信もない。タブレットはヴィクターの鞄ごと、床下に隠した。


 地球では国からも宗教界からも追われ、迷宮コアは破壊され、樹とヴィクターを失い、目的もなくこの世界に逃げてきた。だが、自分には一つだけ確かなものが残っていることをオーガとの戦いで自覚した。


(迷宮で出会った魔物など脅威じゃない。俺が、俺こそが怪物だった)


 隻腕の狂人野口が産み落とし、賢者ヴィクターが育てた近接戦闘の怪物。今や剣速は野口を遥かに超える。さらにはヴィクターでさえ剣を持てば魔法効率が大きく落ちるのに、自分は一切の支障がない。寄らば斬り、寄らずば撃つ。幾多の戦闘を経て練り上げられた己の身体は、間違いなく、魔法剣士の頂点だ。


(この身体だけあればいい)


 修一は精神魔法で自身の記憶を書き換えた。そして、愛も憎しみも大義も理念も、自己嫌悪の牢獄も、全てが溶けて消えた。そして残ったのは、偽の記憶を持つ魔法剣士の身体だけとなった。

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