父と子
「樹っ」
修一は樹に駆け寄り、倒れている彼女を抱きしめて、ハイヒールをかける。しかし彼女はぴくりとも動かない。修一は呆然としたまま樹を抱いている。
「折れた魔法杖では魔力増幅効果が予想できない。一撃で確実に倒さねば、私の頭が撃ち抜かれていた可能性があった。まだだ、私はまだ死ぬ訳にはいかない」
ヴィクターが起き上がった。声は弱々しいが、その眼差しは強い。
ヴィクターはふらついた足取りで、修一の魔法杖を探して手に取った。指揮棒型の魔法杖は、ヴィクターの物より小型で軽量のためか、爆風でふき飛ばされていたが壊れてはいない。ヴィクターは自らにハイヒールをかけた。完治はしないが、足取りは確かになった。
「修一、聞いてくれ。修一なら転移できるかもしれない。さあ、これを持ちなさい」
そう言って修一の魔法杖を渡す。修一は呆けたまま、杖を手に取るが、ヴィクターの言葉が耳に入っている様子はない。
「修一、修一、聞くのだ! 魔法陣はまだ待機状態だ。修一なら転移できる。賢者の石版を頼む。転移先は以前に話した場所だが、その場所は我が子達以外には話すなよ」
ヴィクターは、ローブを脱いで、折れた杖と共に鞄に入れ、その鞄を修一に渡す。修一の眼に少し生気が戻った。
「どういうことですか?」
鞄を受け取った修一は、言われるがままに鞄を身につける。
「この部屋のマナ濃度は低いが、体内のマナなら増やす方法がある。レベルアップ直後は身体マナ濃度が急激に高まるのだ。低レベルの者でさえ、一時的だが私を凌ぐマナ保有量となる。その状態で魔法陣に乗れば、転移魔法が発動するはずだ」
そう言ってからヴィクターは厳しい眼差しで修一を見た。
「修一なら、高レベルの私を倒せばレベルアップできる可能性が高い」
「そんな。ヴィクターを殺せと?」
「できないなら、私がお前を殺すまでだ。高レベルの私がレベルアップできる可能性は低いが、修一がやらないなら私がやるしかない」
「ヴィクター、できません。信じていた樹に裏切られた。この上、ヴィクターを失うことはできません」
「彼女は我々を裏切ったのは確かだが、それでも君を愛していたはずだ」
「何で分かるんですか!」
「彼女からマナ適性を感じた」
「マナ適性の有無は、変化しないはずじゃ?」
「彼女ではなく、子供にマナ適性があるということだ。君の子供を身ごもっていたのだろう」
「まさか……まさか……それが分かっていて撃ったのか!」
激昂した修一はヴィクターに詰め寄る。だがヴィクターは足底で修一の腹を蹴り込んだ。その衝撃で修一は数メートルも飛ばされる。
「ガハァ」
「魔法を撃て。やらないと言うなら私がお前を殴り殺す」
ヴィクターは無表情で、修一に向かってくる。吹き飛ばされて膝をついている修一だが、魔法杖は手放していない。立ち上がると同時にヴィクターの右拳が顔面を襲ってきた。
拳が当たった瞬間、修一は首を捻って衝撃を逃がす。そのまま前に出てヴィクターの後ろに回ると、腕を首にかけて頸動脈を締め上げた。
「グウゥ」
ヴィクターは呻きながら、修一の腕を外しにかかる。強引に振りほどいて、修一を突き飛ばした。ヴィクターは、突き飛ばした修一に追撃はせず、足を止めて、手を広げる。
「さあ撃て。私はローブも魔法杖もない。射撃魔法で簡単に倒せるぞ。私は樹を撃ち、身ごもっ――」
「ストーンバレット」
ヴィクターの言葉の途中で魔法を唱えた。
――ガシュ
石弾が発射された。だが、弾はヴィクターの頬をかすめただけだった。
「できない……。できる訳がない」
弱々しく呟く。ヴィクターに向けていた杖を下ろして、うなだれた。
「オルトゥス化計画が潰された以上は、もう地球にマナ覚醒者の居場所はない。オルトゥスへ行け、修一。魔物の氾濫を制して、オルトゥスの英雄となれ。向こうで宮廷魔法士をしている私の子供達を頼ればいい。そしてタブレットの知識を活かして、オルトゥス文明を再興するのだ」
修一は下を向いたまま何も応えない。
「なぜ黙っている修一! 時間がない。お前は何をしたいのだ?」
「オルトゥスにも地球にも俺の居場所はない。母親が死んで天涯孤独になって、俺の居場所はなくなった。でもヴィクターと樹に出会って、二人が俺の居場所になったんだ。俺の望みは二人といることだ。二人がいない世界で俺のやりたいことなんて、ない」
修一は泣きそうな顔で頭を抱えた。ヴィクターは修一の様子を厳しい顔で見つめてから、目を閉じた。しばらくして――
(そういうことだったか)
小さく呟いた。そして長い息を吐いて、表情を緩めた。優しい眼差しで修一に話しかける。
「こんなことに巻き込んで悪かったな。父親を知らない修一が、私に父親像を投影していたのは薄々気付いていた。お前は私の願望をそのまま自分の願望として取り込んだ。だがオルトゥス化はお前自身の真の望みではなかったんだな。いい歳をして父離れができない愚かな息子だ」
頭を抱えていた修一が、ヴィクターを見上げる。ヴィクターの表情は柔らかいままだ。
「そして私は、もっと愚かな父親だ。今、そのことに気が付いたよ。修一、もういい。私の悲願を押し付けるのは止めだ。修一の能力があれば、時間をかければ地球でもマナ覚醒者の居場所を作れるだろう。あるいはオルトゥスに行ってもいい。英雄にならずとも自分一人を守るだけならどちらの世界でも楽に生きていける。最後に父として、お前に選択肢を与えよう」
「選択肢?」
「そうだ。私のことは気にせず選びなさい。悩む時間はないがな。お前と出会えて良かったと思っている。ありがとう修一」
ヴィクターは跪くと、ナイフを取り出し、自分の腹を一文字に割いた。
「ガハァ」
ヴィクターは修一を見て、僅かに口を動かしたが、うめき声にしかならなかった。そしてうつ伏せに倒れた。
「ハイヒール!」
慌てて修一が駆け寄って治療魔法をかける。だが、ここまでの傷では、上級治療魔法でなければ治らない。ヴィクターのマナ揺動が弱まっていく。
「ヴィクター! 貴方を撃ちたくない。俺は、俺はどうすればいいんですか」
修一が悲痛な声でヴィクターにすがるが、反応はない。
「うぅぅ」
修一は顔を伏せて、うめき声を出し続けた。やがてうめき声を止めて顔を上げた。その目は充血して虚ろな眼差しでヴィクターを見ている。そして――
「ストーンバレット」
修一はヴィクターに魔法を撃った。石弾は、うつ伏せになっているヴィクターの背中から心臓を貫いた。
ヴィクターのマナ揺動は止まった。彼のマナが修一に取り込まれていく。レベル四十七。修一は地球で最後のレベルアップをした。
制圧部隊が近づく足音が聞こえる。修一はよろよろと立ち上がった。この世で最も大切な二人を失った修一は、既に思考を停止している。だが何度も死線をくぐった身体が修一を動かす。
一歩、一歩と魔法陣に向かう。オルトゥスで何をすると決めた訳ではない。ただ、生存本能が修一をオルトゥスに導いている。
遂に修一は魔法陣に足を乗せた。青白い魔法陣がマナを吸収して強い緑色に輝く。とたんに修一は激しい目眩に襲われ、目の前が真っ白になった。




