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賢者の悲願

 世界の趨勢はオルトゥス計画の凍結に傾いている。とはいえ、ヴィクターの信奉者もまだ多い。その一人であるマフディが、国内の意見をまとめあげ、廃鉱山を含む一帯を迷宮区画として整備した。そして、ヴィクター師弟はオルトゥス研究所のスタッフと共に、廃鉱山の最奥にある広間に迷宮コア設置作業を終えた。


 迷宮にマナが満ちた時、ヴィクターはいよいよ世界間転移魔法を発動できる。繰り返される魔物の大氾濫(スタンピード)によって、オルトゥスでの人類の生存圏はゆっくりとだが確実に後退しつつあった。通信技術が発達していない世界で、人類の衰退する様を詳細に知っているのはヴィクター達一部の高レベル魔法使いだけだ。そして異世界の技術を持ち帰り、オルトゥス文明を救うことこそヴィクターの悲願であった。



「計測機器の設置が完了しました。施設外に退避します。退避完了したら連絡しますので、コア起動はそれまでお待ちください」


 スタッフの一人が、計測機器を迷宮コアの隣に設置する。そしてヴィクター達に声をかけて出て行った。念のためにコア起動時には、高レベルの修一とヴィクター以外のスタッフは鉱山の外に退避することになっている。


「これでオルトゥスを救うことができる。これを見てくれ。オルトゥスで再現可能な地球の技術を収録している。ははっ、オルトゥス人からしたら、賢者の石版といったところだな」


 そう言いながら、ポーチから出したタブレット型コンピューターを見せた。普段冷静なヴィクターには珍しく興奮している。


「機械は壊れるから、これは予備に過ぎんがな。本当に必要な知識は全て私の頭に入っているよ」


「ヴィクター、嬉しそうですね。失礼ですが、あまり人の生死に感情的になる人じゃないと思っていました」


「ふん、確かに十万人以上の生死でないと感情は動かないな」


 修一が反応に困った表情でヴィクターを見ると、ヴィクターはニヤリと笑った。


「まさか冗談なんですか? ヴィクターが冗談を言うなんて初めてだ……」


「昔、『私は国家単位でないと感情が動かん』と冗談のつもりで娘に言ったことがあるが、本気にされたよ。冗談だと言える雰囲気じゃなくてそのまま放置した……」


「ははっ。賢者は冗談が下手だとは。子供さんが何人かいるんですよね」


「義理だがな。戦争孤児を引き取った。親らしいことは何もしていない。魔法を教えて飯を食わせただけだ」


 師弟が会話をしていると、樹が広間に入ってきた。


「ヴィクターさん、修一、最後の交渉に来ました。迷宮コアの起動を延期して下さい。人類はまだ魔法文明に適応できません。これは日本だけでなく、世界の総意です」


「延期はできない。拙速なのは認めるが時間が惜しい」


通常人ノーマル、マナ覚醒者エンライテンド、そして高レベルの魔法使い。このままでは人類を分断する新しい階級社会が始まってしまいます。人間の価値は等しいというのが民主主義の原点。魔法使いの存在はそれを否定します」


「馬鹿な。私が地球に来て最も感銘を受けたのは科学技術ではなく、民主主義の歴史と理念だよ。これは君達地球人が長年の血と汗を積み重ねて築いてきたものだ。たかが魔法の才能の有無で、くつがえる訳がないだろうが」


「魔法の力、魔道具の力は凄まじいものです。この力を持つ者が社会の上位者になり、力を持たざる通常人は底辺階級になる」


「核兵器を持つ国が一流国で、銃を持った人間が偉いのか? 魔法は道具に過ぎない。オルトゥスでは殆どがマナ覚醒者だが、愚かな人間は沢山いる。私は核兵器を持たない日本、銃を持たない日本人が好きだ。多くの日本人は、オルトゥス人よりも賢く温厚で隣人に優しい。修一や君が日本人で良かったと思っているよ」


「そのように言われて個人的には嬉しいですが、もう状況は切迫しているのです」


「地球人で最も高レベル魔法使いの修一と、通常人ノーマルの樹が、お互いを理解し、尊重しているじゃないか」


「確かに私達はそうですが」


「君達にはいずれ子供もできる。その子が新しい世界の象徴となるだろう」


 ヴィクターは半眼となり掌を樹に向けた。


「ヴィクターさん、あなたの言っていることは理想論に過ぎません」


「そうだとも。私は理想主義者だ。私は半生を懸けて、理想を求め戦い続けてきた。多くの友を失い、多くの敵を殺めてきた。今日、この日のために!」


 そう言うとヴィクターは、迷宮コアに手をかける。ヴィクターから高濃度のマナを取り込んで、コアが白く輝き始めた。周囲にマナが満ちていく。


「コアが起動した。迷宮が形を成すのはまだ先だが、既にマナが満ち始めている。もう少しで転移魔法陣を生成できる」


「遂に起動してしまいましたね。ヴィクターさん、残念です」


 そして樹は、腕時計をちらりと見てから「修一、話があるの」と言って、修一の応答を待たず広間から出ていった。


「樹、待ってくれ」


 修一は樹を追わずに、その場に留まり、共鳴魔法をヴィクターにかける。ヴィクターは修一の共鳴魔法によって増幅された魔力で、上級時空魔法「マジックサークル・ジョウント」を発動した。床面に、青白い光を放つ魔法陣が生成される。


「転移魔法陣が生成されて待機状態となった。後は誰かがこれに乗ることがトリガーとなって、魔法陣が周囲のマナを吸収して転移魔法が発動する。修一、オルトゥスを救ったら必ず戻ってくる。マナ覚醒者の立場は難しくなっているが、十年待ってくれ」


「ええ。こちらのことは心配なく。樹と話をしてきます。見送りしたいので、まだ行かないで下さいよ」

 そう言って修一は広間の出口に向かって駆け出した。


――ドガアアアン


 修一が広間の出口に向かって走り出して数歩、迷宮コア横に設置された計測機器が爆発した。修一は爆風で吹き飛ばされ意識を失った。


「……修一、修一、修一っ」


 修一は樹の叫び声で目を覚ました。身体中が傷むが、大怪我はない。握っていた魔法杖は吹き飛ばされて手元にない。見回すと、頭から血を流し仰向けに倒れているヴィクターと、その側で、ヴィクターの頭に銃口を向けている樹がいた。ヴィクターは気絶していても魔法杖を握っているが、杖は半ばで折れていた。


「時間がないの。貴方達を殺しに制圧部隊が来る。急いでこのマナ撹乱の首輪をヴィクターに付けて。そうすればヴィクターを拘束できる。拘束できれば殺す必要はなくなる。ヴィクターに付けたら修一自身にも付けてね。二人とも監禁されるけど、殺されるよりはマシ」


 樹は右手で銃を持ち、左手には金属製の首輪を二つ握っている。


「なんで爆発した? どうなっているんだよっ。あぁ、コアが壊れてマナが薄れていく。転移魔法が起動できなくなる……」


 樹の指示は無視して、修一が叫ぶ。


「研究所のスタッフ達が機器に爆薬を仕掛けてくれた。マフディも拘束されている。修一とヴィクターにはもう味方はいないわ」


「せめてヴィクターが転移してからコアを破壊すれば良かっただろうが!」


「無理よ。何年か後には、また地球に来るでしょう。また迷宮コアを持ち込む。二人の会話はモニターしていたわ。ヴィクターは信用できない」


「樹っ、お前は誰の味方なんだ! 俺達はずっと樹に騙されてたのかっ」


「修一を愛しているわ。だからずっと二人を止めようとしてきたのよ。今だってぎりぎりまで交渉する時間をもらってきたのに!」


「言い訳か? 白々しく愛してるなんてよく言える」


 修一はそう言って、チラリとヴィクターを見てから樹を睨んだ。


「何で分かってくれないの……」


 樹は絶望的な表情で修一を見た。そして数瞬後――


――ゴシュン


 樹の左目から血が吹き出し、彼女は崩れ落ちた。二人の会話中にヴィクターは意識を戻していた。そして彼の放った石弾は、樹の眼底を穿うがち、頭蓋を貫通して後頭部から抜けていった。

次話は週末投稿予定

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