シャイターン
迷宮コアの存在は秘密だったが、コア奪還と同時に、迷宮の稼働計画がネットに漏れた。この計画を知った世界の人々は、既存の全ての秩序が覆る予感を持った。
予感は熱狂を生み、熱狂は争いを生んだ。国家間、人種間、民族間、難民と国民、富裕層と貧困層、元からあった対立の萌芽は、今や争いとなって結実した。迷宮資源の独占派、慎重派、反対派の三つ巴の争いが、全ての争いを激化させる燃料となっていた。
ヴィクター自身は迷宮の資源開発の非独占積極的賛成派だが、最も勢力が大きい慎重派と連携し、争いの火消しに奔走せざるを得なかった。マナ覚醒者を擁する独占派と戦う機会も増加し、結果として修一のレベルは上がっていった。こうして、コアの奪還から始まる熱狂と対立の時代は丸二年が過ぎ三年目に入ろうとしていた。
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ヴィクターの運転する四輪駆動車は、夕刻になってもまだ強い中東の日差しの下、郊外の一本道を走っている。反政府勢力が支配している街まで半時間ほどだ。
師弟の目的は、反政府勢力の精神的支柱であるマフディと、実際に反乱軍を率いるヘイダル、この二人と会って、和平交渉の根回しをすることだ。今の師弟にとっての最優先事項が、この国の政情を安定させること。何故なら――
「わざわざ、内戦が続くこの国に迷宮を作らなくてもいいでしょうに」
助手席で修一は愚痴を言いながらも、視線に油断はない。国連和平使節団の肩書でこの地に来たが、名目に過ぎないのは本人も交渉先の人間も知っている。
「慎重派に選定を任せたら、五大国が牽制し合って政治的妥協の産物としてこの国になってしまった。私の出した条件は、海も河川もない内陸で広大な無人の土地、ということだけなんだがな」
「オルトゥスでは、海中に迷宮があるせいで水性魔物が産まれて、海上交通が阻害されているんでしたっけ?」
「私の若い頃は、大陸間での行き来があった。その時代を覚えているのは、今や私だけだろう。本来、オルトゥスとは世界の名前ではなく、女神の名前を冠した大陸の名前だ」
「……ヴィクターは、何歳なんですか?」
修一は、迷宮コアの奪還以来、ヴィクターから、名前を呼び捨てにするよう言われている。オルトゥスでの冒険者パーティメンバー同士の慣わしだと教わった。
「百歳を超えて以来、数えるのは止めたよ」
年齢について語るヴィクターの表情は疲れていた。
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街の入口で小銃を持った兵士達に面会の約束を告げると、ある建物に案内された。
「ヴィクター。妖術師が来たか」
「ヘイダル。賢者と呼んでもらいたいな。マフディはどこだ?」
「そこに転がっているぞ。詐欺師に誑かされた男だ」
光が届かない部屋の片隅に、男が倒れている。顔は腫れていて、呼吸が弱々しい。
「マフディが今回の会合の発起人で、君と停戦合意の交渉をする為にここに来たはずだが。彼を餌にして私を殺す為に仕組んだのか? 部下三人に銃を向けさせて、そんなに私が怖いのか、ヘイダル」
「挑発にはのらん。だが話したいことがあれば言うがいい」
「ヘイダル、まずは銃をしまってくれ」
ヘイダルが仲間に頷くと、三人の男達は銃口を下げた。
(ストーンショット)
銃口が逸れたのを確認したヴィクターが初級範囲攻撃魔法を呟く。十個の石弾が小銃を持った三人の心臓を穿ち、さらにヘイダルが手にしていた拳銃を弾き飛ばした。
「貴様!」
ヘイダルは怒りに震えつつも、長年の兵士の経験が、暴力ではヴィクターに敵わないと告げている。
「ヘイダル、私に他意はない。銃に囲まれては落ち着かないから対処しただけだ。君に危害は加えない」
ヴィクターは右掌をヘイダルに向け、左手に持った杖で床をコツンと叩き、小さく「アンフォーカス」と呟いた。
「ヘイダル、マフディから話は聞いているだろう?」
コツ、コツと床を叩く音が一定間隔で響く。
「ヘイダル、君とマフディが組めば、反政府勢力の意見はまとまる。和平を結びたまえ。そして、迷宮という半永久的な資源生成施設をこの地に作るのだ。この国は豊かになる。もう争う必要はない」
コツ、コツ、コツと杖の音とヴィクターの声だけが聞こえる。ヘイダルはヴィクターを睨んでいるが、荒かった呼吸が徐々に静かになっていく。
「ヘイダル、想像したまえ。この国の荒野が、森と湖の地となるのを。子供に銃を持たせる必要はない。子供達に必要なのは温かい食べ物と教育だ。学校を作ろう。学校で子供達は歴史を学ぶだろう。子供達が学ぶのは、ヘイダルとマフディ、この国を再建した英雄の物語だ」
杖の音は止んだ。ヴィクターは満を持してヘイダルに問う。
「ヘイダル、ここに地上の楽園を作ろう。協力してくれるね?」
静まった空間に、ヘイダルの呼吸だけが聞こえる。その呼吸にヴィクターの呼吸が同期している。
「…………悪魔め」
ヘイダルはそう呟くと、両手を打ち鳴らす。パアンと小気味良い音が部屋に響くと、彼の目に力が入った。ヘイダルは床に落ちた拳銃に飛びつこうとするが、手にする直前にヴィクターに銃を蹴り飛ばされた。ヘイダルは諦めず、今度は倒れている男の持っていた小銃に駆け寄る。
ヘイダルが銃を取ってヴィクターに向けたと同時に、透明な大盾が賢者の前面に浮き上がった。
「撃ってみたまえ。賢者を前にして、抵抗は無意味と知るだろう」
賢者は、魔法の力を見せることで、心理的圧力をかけていく。
「……マフディが皆の心を導き、俺が皆を率いて戦ってきた。俺とマフディは同志だった。ずっと二人で、この国の歪みを正すべく戦ってきたのだ、マフディがお前に誑かされるまではな」
ヘイダルはちらりとマフディに視線を向けてからヴィクターを睨んだ。そして歪んだ笑みを浮かべると、マフディに銃口を向けた。
――ガァァン
銃声が響く。倒れたのはヘイダル、頭を撃たれて即死していた。修一の拾った小銃から硝煙が立ち上っている。
「良くやった修一。ヘイダルへの説得工作は失敗したが、マフディが生きていれば和平への道は閉ざされないだろう」
そう言いながら賢者はシールドを解いてマフディにハイヒールをかけると、彼の顔色が良くなっていく。
「ヘイダルは最後まで説得に抵抗しましたね。マナ覚醒者ではないのに相当な精神力だ」
「ヘイダルには強い信念があったがそれは間違った信念だ。マフディは信念に殉ずるより、和平を望んでいた。私はマフディの和平への思いを強化しただけだ。正しいのはヘイダルではなくマフディだよ」
「学生時代、社会の数だけ正義はあると習ったので、正直、複雑な気持ちです」
「複数の正義に思いを馳せるほど余裕があるとは、日本は良い国だな。だが私達には余裕はない。修一、ここまで来たらもう、迷うな。お前は既に何百人というマナ覚醒者を糧にしてレベルを上げてきた。彼らの業を背負って前に進み続けるしかない。私は何十年もそうしてきた」
「オルトゥスを救うために?」
「そうだ。私は何としても地球の技術をオルトゥスに持ち帰り、オルトゥスを救うつもりだ。その為にも一刻も早く迷宮を稼働したい。迷宮が稼働すればマナが満ちる。マナ濃度が高まれば転移魔法を発動できる」
「ヴィクター百年の悲願ですね」
「転移は私しかできないが、残った修一にもやるべきことはある。地球だって環境問題、宗教対立、貧富の格差、十分に行き詰まっている。お前が地球を救うのだ。お前だけが地球を救える意思と力を持っている」
「はい。困難だけどやり甲斐があると言うものです」
修一は力強く頷いた。
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ホテルの部屋で修一は、日本にいる樹と、ノートパソコンを使ってビデオ通話をする為の準備をしている。迷宮コア奪還以来、落ち着くどころか危険任務が増えて、樹が同行する機会が減っていた。
「ハァ、いつになったら渡せるのか」
修一は独りごちる。ウェブカメラの視界の外に置いた小箱を見て、ため息をついた。プロポーズしようと思って買った指輪だが、ゆっくり会える時間が取れない。
樹との約束の時間になってビデオ通話を開始すると、樹は挨拶もそこそこに状況報告を始めた。
「バチカンとイスラム諸学派が共同声明を出す準備をしているわ。オルトゥス計画の凍結を求めるものよ。そして慎重派も反対派も声明を支持することになった」
「そんな! 宗教家にもヴィクターの信奉者は沢山いるのに」
「迷宮稼働の噂が流れて各地で紛争が激化しているでしょ。信奉者もヴィクターの擁護が出来なくなっているわ。計画を急ぎ過ぎたのよ。迷宮の稼働とマナ覚醒者育成の二つの事業、ともに凍結。もうすぐ正式な勧告がヴィクターさんに届くと思う」
「ヴィクターのやり方は、確かに強引で性急だよ。でも、オルトゥスでは年々、魔物の氾濫の頻度が高まっているんだ。彼の見立てでは、オルトゥス文明は二十年以内に滅びるだろうって。だから焦っている」
「異世界の人々のことは気の毒だとは思うけど、地球の事情を優先しなきゃ。二十年もすれば世論は変わるわ。それまで待ちなさい。修一も事業から離れて数年はゆっくり過ごしたらいいのよ。ねえ、私、警察を辞めてもいい。子供を作って静かな環境で一緒に子育てをしましょうよ」
「……樹と初めて会った時、俺は仕事にやり甲斐なんか感じてなかったし、会社にとって俺は使い捨ての駒だった。だけど今は違う。俺は自分に誇りを持って毎日を生きているんだ。昨日やっと、この国の内戦を止める目処がたったところなのに」
「……修一、私の提案、本気で考えてみて。今日は疲れてるの。また明日ね」
そう言って樹は通話を切った。
「貴方達が思うほど、世界は貴方達を必要としていないのに」
通話の終了したモニターに向かって樹は暗い表情で呟いた。
タイトル変更しました。
これまで毎日更新してきましたが更新頻度が落ちます。週二回程度を目指します。




