奪還、迷宮コア
――迷宮コア盗難から九ヶ月後。ハノイ、ベトナム
ホテルの一室。朝のまどろみの中、修一は、樹の背中にある傷跡を、人差し指で優しく何度もなぞる。
「傷跡、目立つかな?」
裸身の樹はまぶたを閉じたまま、修一に問う。
「おはよう。近づけば、薄っすらと筋が見えるだけだよ。でもそれがとても色っぽい」
「女の傷跡見て興奮しているの?」
目を開けた樹は呆れた表情で修一を睨んだ。
「うん、興奮している」
「ばか。朝からしないわよ。シャワー浴びて来なさい」
「傷跡以外に樹との絆が欲しいな。子供を作ろう」
「はぁ、修一は変わったわね。自分に正直になったというか図々しくなったというか」
「ああ、体面や世間体を気にしている余裕はもうないからね」
「でも答えはノーです。避妊はするわよ。父なし子にはさせたくないもの。無茶ばかりして」
「無茶をするのは今回の任務で最後のはずだよ」
「だといいけれど。気をつけてね」
この一ヶ月、迷宮コアの情報を求めて、ヴィクターと修一は東南アジア諸国を回っていた。滝沢樹は警視庁所属であるが、日本の政府機関との連絡役としてヴィクター達と行動を共にしている。
そして昨夜、迷宮コアが中国南西部の研究施設にあるとの情報を得たヴィクターは、中国とベトナム両国の要人の協力を得て、軍用機による目標施設上空までの往路を手配した。時間がないので現地協力者の援護は得られず、復路も確保できていない。片道切符である。
施設への侵入方法は高度一万メートルからの高高度落下。ただしパラシュートは使わず、上級風魔法フライを使う。マナの希薄な地球では空を飛び回ることはできないが、落下速度の調整やパラシュート並の方向制御はできる。
「減圧を開始します。本当に酸素マスク要らないんですか?」
機内の兵士から声がかかる。
「やっぱり俺だけでも着けようかな」
修一は少し不安げに呟く。この半年、ヴィクターの無茶に散々付き合って来たが、今回もまた格別な無茶ぶりである。何しろ、非公式には関係当局より支援を受けているが、公式には違法入国しての破壊活動だ。しかも真っ昼間に。
「必要ない。修一もレベル二十になったんだ。自分の身体能力を信じなさい。それに飛行魔法発動中はエアシールドも展開される。かえって快適だぞ」
二人とも高高度の気温と気圧に対応した装備ではない。それでも修一は耳当て付き帽子と手袋を着けた多少の防寒装備をしているが、ヴィクターはそれさえもない。ローブと魔法杖のいつもの格好である。
修一もローブ姿である。野田との死闘以降、ヴィクターから、短剣、ローブ、魔法杖、マジックポーチを借り受けている。どれもがヴィクターの予備品とはいえ、オルトゥス産の最高級品だ。
兵士がハーネスの確認をしてくれた。飛行魔法を使うヴィクターが、身体の前面に修一を抱え、二人をハーネスで繋げる。
「位置に着いて下さい。ハッチ開きます」
兵士がハッチの操作をし、カウントを始める。
「……スリー、ツー、ワン、グッドラック」
「うおああぁぁぁ……早くフライ魔法おぉぉぉ」
修一の悲鳴が高度一万メートルの空に響いた。
****
「ウグゥ」
施設屋上を巡回警備しているイェは、後ろを歩いているはずの同僚の呻き声を聞いて振り返った。そこに胸から血を流して倒れている同僚を見て、慌てて小銃を構えた。近くに人の気配はない。だが今度は自分の背後に何かが落ちた音がする。振り向くと二人のローブ姿の男が見えたが、イェの意識はそこで途切れた。
「……驚いた。マナ覚醒者が五十人前後いるとは聞いていたが、その殆ど全員から、レベル十以上のマナ量を感じる。さらにレベル二十前後の者も……十人はいるな」
ヴィクターは着地してすぐに敷地内に対して詳細なマナ探知を始めた。
「魔法は使えなくても兵士としては最精鋭の集団てことですよね。手強そうだ」
「手強くはない。私と修一が組めば問題なく制圧できる。ここにいるのは最高でもレベル二十半ばだ。修一の射撃速度には反応できんよ」
「はは、まあ防御はよろしくお願いします」
修一は、いつものヴィクターの自信ある言動に苦笑いしながら、帽子を外してフードを被った。
「まだ警報は鳴っていないが直ぐに気付かれるだろうな」
ヴィクターは中級土魔法アースシールドを唱える。すると透明な大盾が空中に浮かび上がる。大盾は人間の身体が隠れるほどの大きさ。術者はこの盾を、自分を中心に半径二メートルほどの範囲で上下左右自在に動かせる。
「動こう。施設内に侵入する」
ヴィクターが大盾を進行方向に浮かして進む。修一はヴィクターと大盾の間に位置取っている。後列のヴィクターがマナ探知による索敵と大盾の制御、前列の修一は攻撃担当だ。二人は塔屋(屋上にある階段室)から、建物内に侵入した。
「通路突き当たり右に覚醒者のマナ反応が三人。そして通常人の生命反応が二人。計五人」
「俺も探知できました。追尾射撃します。ストーンバレット」
右へと曲がる弾道をイメージしながら魔法を発動する。ストーンバレットは自動照準だけでなく、射出後も軌道を変えて追尾するという、中級魔法並の性能を持っている。
――ドスッ
「覚醒者一人反応消失」
「もう一度いきます。ストーンバレット」
修一が魔法を唱えると同時に、兵士が角から半身を出して射撃をしてきたが、修一の前面に浮かぶ大盾が防ぐ。一拍後、修一の石弾が兵士に着弾した。
こうして、ローブ姿にフードを被った二人の魔法使いが、研究施設の蹂躙を続けていった。やがてある部屋の前で二人は止まった。
「この先が実験室だ。情報によると迷宮コアはそこにある」
「この部屋は扉も厚いですね。俺の魔法で壊せるかな」
「私が壊す。扉の向こうに覚醒者四、通常人四の計八人の反応がある。扉の破壊と同時に射撃。私が修一のタイミングに合わせる」
「はい。ストーンショット」
――ゴガアァン
修一が魔法名を唱えると同時にヴィクターが蹴り込むと扉が吹っ飛んでいった。
扉の先の部屋は強化ガラスによって手前と奥の二区画に分かれていた。手前の区画には射撃魔法によって四人が倒れていたが、ガラス越しに見える奥の部屋から、四人の人間がこちらを睨んでいる。実験台らしきものの上に迷宮コアが置いてあり、そこに小銃の銃口を向けていた。
「そこで止まれ。迷宮コアを破壊するぞ」
スピーカーから中国語で警告される。師弟二人は部屋に一歩踏み入れたところで足を止めた。
強化ガラスの厚み程度なら、ガラス越しに射撃魔法を発動できるが、術者本人の身体をガラスに密接させる必要がある。修一がこれ以上ガラスに近づけば、彼らはコアの破壊に踏み切るだろう。修一はヴィクターを見る。
「私はオルトゥスでは転移魔法が得意だったが、マナの希薄な地球ではこの程度のことしかできない」
ヴィクターはアースシールドを解除して、ポーチから閃光手榴弾を取り出す。
一同がヴィクターの手にある手榴弾に注目して数秒、彼の手から手榴弾が消えた。同時に強化ガラスの向こう側に手榴弾が出現。すぐに閃光と爆音が聞こえてきた。修一はガラスの間仕切りまで駆ける。
「ストーンショット」
修一はガラスに手を着けて魔法名を唱えた。十個の石弾はガラスの厚みの向こう側に出現し、四人の身体を貫いた。
****
――ババババッ
薄暮の中、ヘリが一機、施設に向かって飛んで来る。その様子を師弟は屋上から見ている。
「増援は輸送ヘリ一機だけのようだな」
「迷宮コアを入手した派閥の勢力はそれほど大きくないようですね。彼らを倒せば帰りの足が手に入る」
二人は施設内に入った。
研究所敷地に着陸したヘリから十五人ほどの兵士が出てくる。彼らが施設に突入すると、戦闘音が断続的に聞こえてきた。しばらくすると、兵士が五人、施設から出てきた。
施設内で十人が倒されたことで、増援部隊の隊長は撤退を決断した。ヘリに待機している兵士に無線連絡するが応答がない。不審には思うが、怪我人もいるので急いでヘリに向かう。だがヘリは、彼らを待たずに離陸を始めた。隊長が呆然とヘリを見ると、操縦席にはヴィクターがいた。
ヘリのローター音が響く中、隊長は操縦席に銃口を向ける。トリガーを引こうとした時に、隣の隊員が倒れた。驚いて周りを見ると、立っているのは自分だけだった。射撃元を探すと、施設屋上に修一がいる。隊長はすぐに修一に向けて発砲したが、この距離と射角では正確な射撃はできず、着弾点が散らばる。
(何か言ってるのか?)
隊長は、修一の口元が動くのを照準器越しに見た気がした。その一拍後、石弾が彼を貫いて、全ての戦闘は終了した。
「オルトゥスだろうと地球だろうと、撤退判断が遅いのは致命的だな」
ヴィクターはそう呟きながら、ヘリを屋上に向ける。修一が飛び上がって乗り込むと、二人の乗った輸送ヘリは薄暮の空に消えていった。




