隻腕の狂人
三ヶ月が経った。ヴィクターは盗まれた迷宮コアの手掛かりを追ったが、未だ行方は掴めない。既にコアは盗難した国家にはなく、別組織が横取りして入手していた。そこまでは分かったが、それ以上の追跡はできなかった。
修一は、横領と放火の容疑は解けたが復職はせず、オルトゥス協会の専任研究員となって、日本支部での事業を手伝っている。ヴィクターが日本にいるときは魔法や武技を教わり、空いた時間は滝沢が紹介してくれた古武術を彼女と共に習っている。
「この三ヶ月で一通りの小太刀の扱いと柔法は教えた。主なら、儂と戦こうて、十に一つは勝てるやろ」
修一と滝沢は、真剣の小太刀を使った型稽古を終えて、道場の床に坐って休みながら、師範の野田重信の話を聞いている。
野田は修一より二回りも小さな老人である。若い頃、剣術と柔術を一通り修めた後、武者修行に南米に渡った。そこでは散々に無茶をして、人も殺し、片腕も失った。帰国してからは隻腕に特化した武術を編み出した。
剣は小太刀、柔法は片手でできる立ち関節、投げ技を工夫した。これが隻腕武術として一部では有名となり、警察関係者にも乞われるままに教えてきた。先生と呼ばれるようになって久しいが、その本質は、齢七十五にして未だ己の強さを追い求める、隻腕の狂人である。
「この間、ヴィクターさんと模擬刀で軽く立ち合ったが、まるで敵わんかった。虎と戦うているようなもんや。剣技は儂が上だったのに悔しゅうてなあ」
「ヴィクター先生の身体能力は凄まじいですからね。相当な高レベルなのでしょう」
「ヴィクターさんの導きで、儂がマナに覚醒したのが二年前や。五つは若返ったな。ありがたいことやが、おかげで欲が出たわ。もっとレベルを上げてもっと強うなりたい」
「レベル十くらいまでは訓練だけでレベルが上がるけれど、それ以上になるには、魔物を倒さないといけませんからね。俺は、これ以上レベルアップできそうにないです」
「儂は訓練だけじゃ今のレベル四が限界や。だがな、魔物を倒すより簡単にレベルアップする方法があると思うてる。ヴィクターさんは言わんけどな」
「どういう意味ですか」
「魔物はマナ生物や。マナ生物を倒してマナを取り込んで、レベルが上がる。だがな、マナ生物は魔物だけやない」
「まさか……」
「マナ覚醒者。これは半分人間で半分魔物みたいなもんやろ。もう気付いている組織も多いんちゃうか。同輩の覚醒者を殺すのがレベルアップの近道やと」
「まさかマナ覚醒者同士で殺し合いが始まると?」
「もう始まっとるやろ。なあ、滝沢さん?」
「この一年で、行方不明、事故死したマナ覚醒者が相当に増えているのは事実です」
「ま、殺し合い言うても、近接戦闘でないとマナを取り込めんからな。遠くから銃や弓矢で襲われない分、マシや」
「二十一世紀の現代で、魔法や剣で襲われることになるのか……」
「魔法といえば儂もな、若い頃は気功やら催眠術やらかじって、魔法まがいのことはできるんやで」
野口はそう言うと一度だけ大きく呼吸をする。
「喝!」
一喝した。修一と滝沢、二人の身体に波動が通り抜けた。
「うおっ、なんですこれ?」
「金縛りの術よ。術のかかり具合にムラがあるから、実践では使えんがな。滝沢さんにはかかったようやな。気絶はしとらん。動けないだけや」
そう言いながら野口は小太刀を手に立ち上がり、滝沢に向かう。そして彼女の背後に立つと、片腕だけで器用に抜刀した。
「フシュ」
短く息を吐いて、背中に向かって袈裟斬り。彼女の道着がはらりと斬れた。肌も斬られてプツプツと血が滴り落ちている。ここまでされても金縛りは解けない。滝沢は表情を強張らせたまま、声も上げられない。
「何を!?」
「皮膚を斬っただけや。大したことあらへん。人質や。これ以上、このお嬢さんを傷つけられたくなかったら、儂と真剣で死合うてくれんかね?」
「本気ですか?」
「海外逃亡の準備は出来とる。世界中でマナ覚醒者を倒して回ったるで。マナ覚醒者十万人のバトルロイヤルや。ワクワクするなぁ」
「狂ってるな」
修一は小太刀を持って立ち上がると、スラリと鞘から刃を抜いた。抜いたが迷いがある。
滝沢とは親しくしているが恋人関係ではない。滝沢を見捨てて逃げようか? だが、修一は三ヶ月前、警察署でスタンガンを当てられた自分をかばって、銃口の前に立った滝沢の姿を思い出した。そして自分が射殺した二人の襲撃者のことも。
「逃げようか迷っとるな。主は、殺した二人の悪夢をよく見ると言ってたやろ? それはな、肝が据わってないままに簡単に殺したからや。今度はな、しっかり殺意を抱いて殺したらええ。儂は強いからな、簡単には殺せへん。もし儂に勝てたら、悪夢は止まるで」
修一は狂人の勝手な言い草を聞きながら、気が付くと、フッと微笑が漏れていた。人殺しの自分が生きるに値する人間なのか、ここで試しても良かろうという気持ちになった。修一は命を捨てることを覚悟した。死中に活を得られれば良し。得られなくとも良し。三年前に死んだ母以外に家族はいない。自分が死んでも悲しむ者はいない。
「ほう、肝が据わったようやな。野口流剣術の免許皆伝を認めたる」
「いらないな」
修一は気負いのない口調で応える。
「我欲にまみれた剣術などいらんか」
そう言いながら小太刀を繰り出す。
修一からすれば、その速度は特段速くはない。野田はマナ覚醒者とはいえ齢七十五、単純な身体能力を比べれば、修一と野口は大人と子供だ。さらに修一は、剣術、柔術もマナ覚醒者の類稀な集中力で、一通り修めている。未見の技はない。
野口が修一に勝っているのは、自分の虚実を読ませず相手の虚実を読む、これだけだ。そしてこれだけあれば本来は百戦百勝である。十に一つの勝ちを修一に認めたのは、修一には、威力が弱いとはいえ、魔法と武技が使えるからだ。
修一は、野口の剣撃動作の起こりが全く読めない。対面しているのに、野口の剣撃の全てが不意打ちの驚きを伴う。一撃一撃が不意打ちとなる斬撃。これを修一は、その高い身体能力で無理やり躱している。
初太刀、二の太刀、三の太刀、三回の斬撃で修一は血まみれになっている。急所は躱しているが、皮膚は切り裂かれ、流れた血の匂いが道場に満ちる。
三の太刀を躱して態勢を大きく崩した修一に、四の太刀が襲う。修一は躱すことができず、自身の小太刀で受けるしかない。カツンと二人の刃がかち合うが、その音は極小だった。野口はこの瞬間を狙っていたし、修一も野口が狙っていることを知っていた。
金属同士の接触のはずが、修一には、自分の小太刀に蛇が巻き付いたような、柔らかくて重い奇妙な感覚が伝わる。咄嗟に小太刀を離す。離さねば、小太刀を通して合気がかかり、修一は投げられていた、そういう技である。
無手となった修一へ五の太刀が襲う。左頸動脈への斬撃。修一は両腕を前に出す。野口からすれば、腕で防がれたら、その腕を斬ってさらに出血量を増やすだけだ。
だが修一は、野口の小太刀に一切構わず、突き出した両腕と共に身体まで野口に投げ出した。野口の小太刀は僅かに狙いが逸れつつも、頸動脈を確かに斬った。
首筋から血飛沫があがる。修一は数分以内に失血死するだろう。だが、斬られたと同時に、修一は左腕を野口の背中に回し、右手で首を掴んでいる。
(ストレングス)
身体全体を一瞬だけ強化する武技。頸動脈を斬らせて野口に勝利を確信させる、この瞬間こそが唯一の勝機。ゼロ距離からの武技発動。
――ゴキリ
野口の頸骨と腰骨が折れた。狂人の眼から光が消えていく。修一が両腕の力を抜くと、生気が抜けて枯れ木となった元老人は床に崩れ落ちた。
やがて、レベルアップ時特有の活力が修一の身体を満たしていく。ヴィクターから聞いた知識があった。戦闘によってレベルアップすると、怪我や疲労が大幅に回復するという。修一はこれに賭けて、野口との相打ちを狙った。
警察署で修一は二人を射殺したが、意図してやった訳ではない。今回、修一は初めて殺意を持って戦った。野口の予想通りなら、今後もレベルアップ目当ての襲撃があるだろう。だが野口を倒した自分は、近接戦闘ならマナ覚醒者の中で一番強いはずだ。ならば――
(襲撃者は全て返り討ちにしてやろう)
そう思った時、身体がぶるりと震えた。武者震いだ。
「うおおおおぉ」
修一は吠えた。魔法剣士誕生の産声であった。
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野口が息絶えたことで滝沢樹の金縛りは解けた。視界の端で戦闘の様子は見ていたので、修一がレベルアップしたことは察した。修一が自分の為に、逃げずに戦ってくれたのをありがたく思う。だが修一の咆哮に、微かな狂気を感じる滝沢だった。




