オルトゥス・フォーミング
修一は、賢者の消え去った方向を見て呆けている。賢者は、修一を保護する為に強引に取調べ室まで来た。だが、こんな修羅場に修一を放置し、襲撃犯を連れて、さっさと撤収してしまった。修一は、賢者の冷静かつ薄情な言動に、怒ればいいのか、呆れたらいいのか、よく分からず呆然としている。
警察署前は騒然としている。署内は煙が充満し、発砲音まで聞こえてきたのだ。人々は叫び声を上げ、消防車や救急車や警察車両のサイレン音が鳴り響く。そんな喧騒の中、修一を呼ぶ声が微かに聞こえる。
「柊さん……柊さん……柊修一さん」
気がつくと、修一の目前に、スーツ姿の女性がいた。修一と同世代の二十代後半に見える。
「警視庁警備部の滝沢樹です」
周囲を警戒しながら警察手帳を見せる。
「事情聴取ですか。弁護士を呼びたいのですが」
「いえ。私はヴィクターさんの協力者です。警備部内に、非公式ですがオルトゥス担当班があるんですよ。ヴィクターさんに柊さんの情報を伝えてから、私は所轄の近くで待機していたのですが、こんなことになるとは。今はまず避難しましょう」
二人は連れ立って正面玄関から出ていこうとする。空のストレッチャーを押して署内に入ってくる二人の救急隊員とすれ違った。
すれ違った直後、救急隊員の一人が修一に振り返る。そしてスタンガンを手にして修一の背中に向かって押し当てた。
「アガアァ」
修一は呻き声を上げて膝をつく。襲撃者は次に滝沢にスタンガンを当てようと彼女に身体を向けた。だが既に戦闘態勢にあった彼女は、スタンガンを持っている腕を絡め取る。彼女は手首の関節を極め、スタンガンを奪うと、そのまま襲撃者に押し当てた。
「ガアァ」
襲撃者が床に崩れ落ちた。意識を失っている。滝沢が、もう一人の救急隊員を見ると、既に銃を構えていた。手の届く距離ではない。彼女は覚悟を決めて、膝をついて呻いている修一をかばう位置取りをする。
襲撃者の目的は修一の拉致と邪魔者の排除。滝沢に銃口を向けているが、修一と滝沢の距離が近すぎて、即座の発砲は躊躇われた。丁寧に狙いを付けようとする。
(うぅ、ストーンバレット)
修一は痛みに唸りながらも、魔法杖は離さず、射撃魔法を呟いた。
襲撃者の躊躇いが、修一のマナ錬成の時間を生んだ。石弾が襲撃者の胸を穿った。修一が最初に射殺した一人目と全く同じ位置、心臓に直撃している。即死だ。
「柊さん、大丈夫ですか? スタンガンを当てた男は気絶してますが」
「痛みはあるが動けます。ああぁ、また殺ってしまった」
修一は立て続けに射殺してしまった状況に気分が悪くなる。滝沢は、「また」という言葉を受けて、修一が最初に倒した男を見る。
「当てることだけ意識して発動すると、勝手に心臓に当たるんだ」
滝沢の視線をたどった修一は、青い顔をしたまま、誰に言うともなく呟いた。
****
二人はホテルのロビーラウンジに来ていた。警察署から離れて早く落ち着きたい、という修一の希望を聞いて、滝沢がここを選んだ。
「ヴィクターさんから連絡が来ました。尋問は進んでいるようですね。襲撃者の背景が特定できたようです」
滝沢がスマートフォンを見ながら話す。
「そうですか」
修一はむっつりとした表情で、テーブルの上のコーヒーカップを見ている。
「柊さん、元気出して下さい。貴方が私の命を救ってくれたんですよ」
「俺はどうなるんです?」
視線はコーヒーカップに向けたまま、弱々しい声で尋ねる。
「多分、何も。銃の暴発で密入国者二人が死亡、とでも発表されるでしょうね。ヴィクターさんは警察官僚にもマスコミにも大きな影響力がありますから」
「そこまでの力ですか」
「ええ。彼は超法規的存在です。彼と彼の提唱する計画に協力する個人や組織は世界中にいます。警察上層部の立場は、肯定的慎重派ですね。彼の計画には基本的に肯定するし協力もするけれど慎重に進めたい。勿論、反対派も世界中にいます」
「今回の襲撃は反対派が?」
滝沢は、半世紀以上、軍事政権の続いているアジアの小国の名前を上げた。
「この国は、積極的賛成派ですね」
「ん、反対派じゃなくて賛成派なんですか?」
「ええ。自国に迷宮を誘致したがっている。で、断られて実力行使に出た。自国に迷宮を作って、迷宮資源を独占して、行き詰まった経済の起死回生を狙ったのでしょう。でももうあの政権は終わりです」
「というと?」
「ヴィクターさんに目をつけられて無事で済むわけがない」
「まさか一人で国を相手にできるんですか?」
「ヴィクターさん本人は言いませんが、間違いなく精神操作系の魔法が使えますよね。彼と会った各国の要人の半分は、彼の信奉者になっています。彼一人であの国を相手にするんじゃない。ヴィクターさんの敵は世界の敵になる」
「怖いですね」
「怖いですよ。だから柊さん、ヴィクターさんのやることを慎重に見極めて下さい。とは言っても、疑心暗鬼になる必要はありません。ヴィクターさんの言動自体は、極めて理性的です。あの国だって、国が滅ぶ訳じゃなくて、民主化が進むでしょう。だからこそ私達も協力している訳です」
「そもそも迷宮コアって、何なんですかね?」
「破壊検査までしたのですが不明ですね。オルトゥスでも、未起動状態のコアは滅多に見つかるものではないそうで、地球に持ち込んだのは二つ。一つは破壊検査をしてしまったので、盗まれたのはもう一つの方です」
「迷宮コアを地球に持ち込んだということは、管理迷宮を作って資源採取するという計画なんですよね?」
「迷宮コアを起動すると迷宮が生成されます。迷宮は深層ほどマナ濃度が高い。そしてマナ溜りには魔物が湧く。魔物から素材や魔石が取れる。マナ濃度が増せばヴィクターさんは異世界間転移魔法を発動できる。異世界との交流が始まります。もっとも転移できるのはヴィクターさん一人だけだそうですが」
「オルトゥスでは、魔石から着火や明かり等の生活用魔道具を作っていると聞きました。そういう品々も流通するのかな」
「地球の技術を魔道具に応用することでオルトゥス以上の魔道具ができました。最近、ヴィクターさんが持ち込んだ小さな魔石を使った魔導エンジンの試作品が完成しました。普通自動車に積んで千キロ走りましたよ」
「凄い。魔石は大量に取れるのかな」
「取れるそうです。地球の軍事技術なら、魔物の氾濫状態を維持したまま管理できるだろうとの見通しです」
「魔道具によるエネルギー革命が起きますね」
「ただし魔道具を操作できるのはマナ覚醒者だけです。正直、修一さんが羨ましいですね。私はマナとの親和性はないと判定されましたから」
「この魔法杖を持つまでは魔法の凄さには無自覚でした。今までは石弾を飛ばしても空気銃並の威力だったし」
「マナ覚醒者はレベルが高いほど身体能力が高くなります。集中力も増すので、知識や技術の習得が容易になる。柊さんだってマナ覚醒してからの三年、言語や資格の三つくらいはマスターしているのでしょう?」
「いやあ、確かに体力と集中力はついたんですが、その分、仕事をどんどん増やされてしまって。忙しくて家に帰って寝るだけの三年間でした」
「柊さんにとって、その仕事はとても意義があったのでしょうね」
「いや、そういう訳ではないけど。流れにまかせて日々を送っていただけです。意識高い一部の人以外、殆どの日本人なんてそうでしょ?」
「飼い馴らされてる……。あ、すいません。大変失礼なことを」
滝沢は小さく呟いた直後、我に返って、謝罪をした。
「全然。俺はご指摘の通り社畜でしたよ。滝沢さんは警察の仕事に誇りがあるんでしょうね。俺をかばって銃口の前に立ったのを見ていました」
「結局、柊さんに助けてもらったのだから恥ずかしいです。でも今の仕事に誇りを持っているのはその通りです。それに危険な目に合ったけれど、逆にチャンスでもありますしね」
「チャンス?」
「ヴィクターさんの設立したオルトゥス協会、こことパイプが一番太い役所は文科省でした。でも今後も危険な状況が続くと予想されますから、情報は全て警視庁に通してもらうことになります」
「つまり?」
「今後、協会と日本政府との窓口は実質的に警備局オルトゥス担当班が仕切ることになりますね。世界を変える仕事の最前線です。こうなると私がマナ適性がないのも良かったかもしれません」
「何故?」
「魔法使いになってしまえば協会側の人間と見なされますから」
「なるほどねえ。滝沢さんて野心的ですね」
「あ……。初対面なのにこんなことまで話して恥ずかしい」
「あんな銃撃戦があったんだ。いくら滝沢さんでも冷静じゃいられない、ということかな。物腰は丁寧だけど、話の中身はかなりぶっちゃけてますよね?」
「ああぁ、興奮してますね、私。はぁ。今やっと自覚しました」
「ふふ。お陰で自分は逆に落ち着きましたよ。そういえば、滝沢さん、襲撃者からスタンガンを奪って行動不能にしたけど、あれも格好良かったなあ。合気道ですか?」
「基本は警察の逮捕術ですね。それから警備局の有志で、古流柔術の達人を招いて習っています」
「その方に興味ありますね。柔術って、人を傷つけずに制する技なんでしょ? 射撃魔法は強力過ぎて使うのが怖いですから」
「お望みなら、紹介しましょう。物腰の柔らかい方で、教え方も上手いです。でも底冷えのするような眼差しなんです。達人ってそういうものなんでしょうね」
滝沢樹の理解は間違っている。その底冷えする眼差しは、達人だからではない。人殺しだからだ。




