魔法使いの弟子
ヴィクターが異世界オルトゥスから地球に転移して八年が過ぎた。地球はマナが希薄な為、転移魔法が使えなくなり帰還できなくなっていた。他の魔法は使えるが威力が全くない。
それでも彼の実演する魔法は本物であったし、また彼は世界各都市でマナ講習を行い、受講生の一部は実際に(着火程度だが)魔法が使えるようになった。それによって彼は「オルトゥスの賢者」として名声を高め、各国の要人と親交を築いていった。
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ノックも無く、取調べ室のドアが開いた。ローブ姿の初老の男が入って来る。左手には肩の高さほどの木製の杖。二人の警察官はチラリとドアを見るが、すぐに視線を戻した。
新たな入室者は、浅黒い肌に黒髪黒目。黒髪には白髪が混じっている。彫りの深い顔付きなので、日本人や近隣国のアジア人には見えない。さらにローブ姿と相まって、とても司法関係者に見えない。だが警察官は気にしていない。目も合わせていないし、会釈もしない。取調べを受けている修一だけが、この場にそぐわない侵入者と目が合った。
侵入者は修一に僅かに頷くと、一人の警察官の背後に立ち、その肩に手を置いた。その警察官は手を置かれたことに全く反応を示さない。修一はこの明らかに異様な光景に息を呑んだ。やがて浅く息を吐いた直後に、警察官が机に突っ伏した。
「おい、どうした? しっかりしろ」
同室の警察官が声をかける。その警察官の肩にも手が置かれ、やがて二人目の警察官も床に崩れ落ちた。修一は、この一連の出来事を、呆然と見ているしかなかった。
「久しぶりだな。柊修一君。修一と呼んでもいいかな?」
そう言ってオルトゥスから来た賢者は椅子に腰を下ろした。
「え、はい。お久しぶりですヴィクター先生。彼らに何をしたんですか?」
「認識阻害。周囲の人間が私を認識し難くなる魔法だ。だが君ほどのマナ覚醒者にはあまり効かない。それから警察官には睡眠の魔法をかけた。害はない」
「害はなくても、これは警察署への襲撃ですよ?」
「昨日、研究所から迷宮コアが盗まれた」
「迷宮コアって、迷宮を生成するものですよね。それを地球に持ち込んでいたんですか!?」
「ああ、公表はしていないがな。任意でコアを起動するには、高レベルのマナ覚醒者が必要となる。先ほど該当者全員の安否確認を済ませた。君が最後の一人だ。君はコアを盗んだ組織にさらわれる可能性が高い。日本の警察は対応が後手になるから私が直接、君を保護しに来た」
「俺を欲しくてそこまでするんですか? 瞑想と石投げ魔法が得意なだけの、しがないサラリーマンですよ?」
「君は三年前、母親の事故死もあって、上級マナ講習の途中で辞めてしまった。だが、修了者に匹敵する能力と才能があった。今のレベルはいくつだ?」
「上級マナ講習の時が、レベル九でした。この三年、忙しかったけど、瞑想と石投げ魔法の練習だけは続けていて、今はレベル十一です」
「受講者の中で最高レベルは九だよ。君はずば抜けている。君の方の事情を聞かせてくれないか」
「ええ。十日前に身に覚えのない横領を咎められて会社から懲戒解雇されました。そして今日、警察が家に来て、昨夜会社のビルが放火された件で事情聴取をしたいと」
「フム、君を社会的に追い詰めた後で、誘拐するか、組織に勧誘する計画なのかもしれないな」
――ジリリリ
突然、火災報知器の音が響く。
「私が修一と接触したタイミングで警報か。悪い予感がする」
「ハハッ、まさか先生の他にも、警察署に襲撃する人がいるとか?」
修一は危機感のない態度で苦笑いしている。
「違うかもしれんが備えておこう。ストーンボールは使えるね?」
「部屋の壁にダーツボードを吊るして、それに当てて遊んでますよ。今じゃ、十メートル以内なら飛んでる鳥にも百発百中。なにしろ弾が追尾しますからね。ただし飛ぶ鳥を落とせる威力はありません」
「射撃魔法に相当な適性があるな。だが無意識に威力を抑えている。貫通力を意識してみろ。そして石弾の形は、銃弾をイメージ。材質も状況によって変化させるんだ」
「うーん、俺はこの三年、ストーンボールばかり練習してきたから、イメージは球体に固定されてますね。大きさは変更できるけど……」
「魔法名を変えてもいいぞ。その方が銃弾型をイメージし易いなら」
「はあ、そうしていいなら、ストーンバレットと名付けますが」
「それでいい。予備の魔法杖を貸そう。手に持って魔法を発動すれば威力が増す」
賢者はポーチから出した指揮棒のような形と大きさの魔法杖を渡す。そして、ヴィクターが指をパチンと鳴らすと警察官達が目を覚まし始めた。
「避難しよう」
二人は部屋を出て、警察署の玄関に向かう。
「煙が結構出ていますね、火事かな」
「ただの火事ならいいが、襲撃者が発煙筒を持ち込んで撹乱しているかもしれない。慌てて私達が警察署から出た途端に、さらうか狙撃されるか」
警察署一階の玄関付近まで着いた二人は、一旦様子をうかがう。
「建物から出る時が危ない。認識阻害のかかっている私が外の様子を見る。修一は顔を出すなよ」
ヴィクターが外をうかがっている間、修一は、署内から人々が避難していく様子をなんとなく眺めていた。
煙の出ている一角から二人の制服警官が修一達の方に歩いて来た。二人は修一をちらりと見てから、しばらく修一の周辺に、目を彷徨わせている。何かを探しているようだ。やがて二人の視線は、ほぼ同時に一点に定まった。二人はホルスターから自動拳銃を取り出した。銃口の先は外をうかがっているヴィクターの背中だ。
修一は二人の動きをぼうっと見ている。警察署内で襲撃されることに現実感がない。二人が手にした拳銃を見ても危機感は覚えず、「お巡りさんの銃って、回転式拳銃じゃないのかな」と疑問に思ったただけだった。
――ガンガンガンガンガンガンガン
二人は銃弾を撃ち尽くす勢いでヴィクターの背中に連射した。弾が尽きた時にはヴィクターはうつ伏せに倒れていた。修一はこの時になってやっと、襲撃という現実を自覚した。
襲撃者の二人は弾倉を交換しながらも、ヴィクターから目を離さない。
(ストーンバレット)
二人が弾の再装填を終えて銃口を再びヴィクターに向けた時、石弾が一人の胸を穿った。胸に空いた穴から血の染みが広がっていく。撃たれた者は表情を凍らせたまま、床に崩れ落ちた。
残ったもう一人の襲撃者は困惑した。警戒していたヴィクターに一切の動きは無かった。死んでなくても気絶はしているはずだった。襲撃者は、魔法の発動元を求めて視線をヴィクターから逸らすと、魔法杖を握りしめた修一が青い顔をして倒れた男を見つめていた。
(こいつが魔法を撃ったのか? それともやはりヴィクターなのか?)
襲撃者が一瞬の逡巡を感じていると、突風が襲った。崩れた態勢を持ち直すと、目の前にローブ姿の男が立っている。
(いつの間に!?)
襲撃者は迷わず引鉄を引く。だが、引いた時には既に手首を捕まれ、銃口は上に逸らされていた。捕まれた手首を振り解こうとするが、逆に万力のような強さでぎりぎりと締め上げられた。そして急激に睡魔が襲ってくる。襲撃者は任務に失敗したことを覚った。意識が遠のいていく。
「修一が一人を倒してくれて助かった。だが、まだ気を抜くなよ」
ヴィクターは男を肩に担ぎ上げる。
「ヴィクター先生、生きてたんですか!」
「ミスリル糸が編み込まれたこのローブは、拳銃弾なら貫通しない。だが撃たれた衝撃で一瞬気絶してしまったよ。これ程の危機に瀕したのは何十年ぶりだろうな」
「俺はあの男を殺してしまいました」
修一は未だ青い顔のまま、殺人者となった衝撃に呆然としている。
「修一、まだ気を抜くなと言っている。次の襲撃があるかもしれない」
ヴィクターが強い口調でたしなめると、修一の眼に少し生気が戻った。
「私はこの男を連れて離脱する。急いで尋問したい。近くで待機している私の協力者が来るだろうから、修一は彼女と共に避難してくれ」
そう言うとヴィクターは男を肩に担いだまま、警察署を出ると、飛び上がって修一の視界から消えてしまった。




