ちぐはぐな男
二匹の朱狼から少女に向けて放たれた火球は、一つは長剣の男が斬り裂き、一つは修一に当たった。さまにならない修一だったが、それでも少女の盾にはなっている。少女は魔法杖で防御態勢を取っていたので、火球が当たっても耐えられたろう。だが、衝撃でマナ錬成は中断されたはずだ。
少女による中級火魔法「ファイアボルト」のマナ錬成が完成した。火矢が出現し狼に向かう。初級魔法のファイルボールより速度も威力も増しているが、何より追尾性能がある。
――ボシュゥ
火矢は狼の胴体を穿ち、その体が燃え上がった。残り三匹。修一も追撃をする。
「ストーンバレット」
修一の石弾が狼の胴体を貫いた。残り二匹。剣を持った男が、隣りあう二匹の狼に駆け出した。一匹が男に牙を剥いて飛びかかるが――
「シッ」
牙を避けながら、男の剣が朱狼の首半ばまで斬り裂いた。豪快だが隙のない剣術だ。最後になった一匹は踵を返して逃げ出す。男はすぐに追おうとしたが、仲間の少女を修一と共に残していくのが躊躇われて思い留まった。息を整えてから修一に声をかけた。
「オレ達はこの群れを追ってたんだが、今逃げたヤツ以外にもう一匹いたはずなんだ。兄ちゃんは見てねえか?」
「俺がさっきあの屋敷の敷地で倒しました」
「おう、やるじゃねえか。兄ちゃんも冒険者かい?」
「いや。これからなるつもりです」
魔物の討伐や護衛仕事を斡旋する「冒険者ギルド」に所属して、戦闘を生業にする者達をこの世界では「冒険者」と呼んでいる。修一のこの世界での当面の目標は強さの確認とレベル上げだ。その為にまずは、身分と経歴が問われない冒険者になるつもりだった。
修一は改めて二人を見る。男は自分より二回りほど大きい。くすんだ金髪に茶色の瞳、見た目は三十歳くらいで無精髭を少々。がっしりとした身体で、服の下にあるのは無駄のない引き締まった肉体に違いない。先ほどの戦いといい、まさに熟練冒険者の風格が漂っている。
もう一人の十代後半くらいの少女。ローブ姿で、杖の長さは少女の胸の高さ。朱髪のセミロングで、きりりとした表情がかわいい。身長は修一より一回り低いか。ローブがスタイルを隠しているが、胸の双丘はしっかりと女性らしさを主張している。
「ほう、じゃあオレ達の後輩になるんだな。コーエン辺境領冒険者ギルド所属のアシュレイだ。こっちはプリシラだ。まだ冒険者じゃないなら今は何者なのか聞いてもいいかい?」
「修一です。ええと、実は記憶が混乱していまして……」
修一はここで言葉を濁した。どこまで正直に話すべきだろうか。だが、何を話そうが結局上手くいく根拠なんてないのだから、なるようになれ、と腹をくくる。
「日本という国の出身で、サラリーマン、いや、商会の使用人だったはずですが、魔法使いだった記憶も断片的にあるんです」
「記憶喪失で日本出身ねぇ。聞いたことねえ国だな。どこにあるんだい?」
「この国との位置関係も分かりません。どうやってここに来たのかも曖昧なんです。転移魔法陣って知ってますか? それに乗った記憶が微かにあるんですが、気がついたらあの高台の屋敷で」
「ヴィクター様のお屋敷跡に転移ですって? 関係者なんですか!」
「彼と行動を共にした記憶はあります。だけど現実感のない記憶で、本当に知り合いだったのか自信がありません」
「そうですか……」
「さっきの戦いで、兄ちゃんが魔法使いなのは分かったが、なんで剣を振ってたんだ? 最初はオレと同じく武技使いの剣士だと思っちまったよ」
「魔法は連射できないから、剣も構えておいただけですよ?」
「普通の魔法使いなら、剣は鞘に納めてもマナ錬成時に金属干渉が気になるので、鞄の奥にしまいますよ。勿論私もです」
プリシラが怪訝な表情で指摘する。オルトゥスでは魔法使いの装いは、ローブと魔法杖が一般的で、それ以外の防具や金属製の武器は身に着けていない。マナ錬成時に干渉するからだ。
「武技は使えなかったが、火球を斬った時の剣速も構えも熟練剣士並みだったよな? そこまで剣に習熟してる魔法使いは見たことねえ」
「ストーンバレットはオリジナル魔法ですよね? ストーンボールの改良魔法でしょうか。錬成時間から察するに初級魔法、なのに照準性能が並外れてますよね。しかも魔法杖もなくてあの威力」
「マナ保有量から察するに、もしかしてオレよりレベル高いんじゃねえか?」
「アシュレイよりレベルの高い人なんて、この国じゃ宮廷魔法士しかいませんよ……」
アシュレイとプリシラは、修一のレベルが高いわりにちぐはぐな戦いぶりに困惑している。
「はは、参ったな。ええと。俺の場合、剣を持ってもマナ錬成は阻害されませんね。でも魔法杖を握ると錬成が阻害されるので使ってません。理由は分かりません。俺のレベルが高いのは射撃魔法が得意なので、遠距離、中距離から安全確実に戦闘経験を積めたからですかね。魔法も剣技も賢者ヴィクターから習った記憶があるけれど、習ってる過程は覚えていません。あと、ストーンバレットがオリジナルとは知りませんでした」
「得意魔法に独自の工夫を加えてオリジナル魔法として新たに名付ける方はたまにいますね。こちらから質問ばかりで申し訳ありません」
「いえ。あの、俺からも質問いいですかね。他人のマナ量が分かるんですか? そんな魔法ありましたっけ」
「いや、魔法じゃねえ。魔法発動前のマナ錬成は意識せずとも感知するよな? 人間も魔物も、生きてる限り常にマナ揺動しているから、集中すれば、揺動のパターンや大きさが分かるってだけだ。才能と練習で精度も変わる。俺達は、ヴァーミリオンウルフの群れをマナ探知しながら追ってきたんだ。村に被害がでないうちに討伐したくてな」
「なるほど。ちょっと俺も試させて下さい」
修一は狼の逃げた方向に身体を向けて半眼になって集中する。そういえばムービーシーンでマナ探知をしていたなと思い出した。
「あぁ、多分探知できたと思う。村に近いですよ、急ぎましょう」
修一は二人の応えを待たずに駆け出した。二人は慌てて追いかける。
「見えた!」
レベル四十七の身体を持つ修一の視力で、数百メートル先の木立の中に朱狼の半身を捉えることができた。追いついた二人に修一が質問する。
「あの朱狼のマナ感知範囲はどの位ですかね?」
「この距離ならマナ錬成を始めても気付かんだろう。中級射撃魔法を使えるか? それなら届くんじゃないか」
「ストーンバレット」
アシュレイの質問に修一は魔法詠唱で応えた。初級射撃魔法で届く確信がある。詠唱から一拍おいて射出された石弾は、木々の隙間から見える狼の胴体に直撃すると、その場で狼は崩れ落ちた。
「はは、まいったな」
アシュレイは苦笑いしながら感嘆した。だが内心は苦笑いどころではない。初級射撃魔法でこの射程と威力。中級射撃魔法ならどれほどなのか。そして修一が中級射撃魔法を撃てるのはほぼ間違いない。
アシュレイの頭には「要人暗殺」という言葉が浮かんでいる。修一なら暗殺者として適任だろう。プリシラは冒険者だが、貴族令嬢でもある。父親はコーエン辺境伯爵。アシュレイは辺境伯に多大な恩がある。辺境領に突如現われたこの男はコーエン父娘にとって危険過ぎる、そう判断を下した。
アシュレイは片手にだらりと剣を下げたまま、修一にさり気なく近づく。剣の間合いまで一歩のところで止まった。ほんの一言、ほんの一挙動でいい、修一が敵対的な言動を僅かでもみせたら斬ろう、そう覚悟する。だが殺気は表に出さずに、友好的な態度は崩さない。長い冒険者生活、そのくらいの腹芸はできる。
修一はアシュレイの覚悟に気付いていない。だが「シュウイチ」は、アシュレイの深奥に生まれた殺気に感応した。呼吸を沈めて、身体全体の緊張を解く。視線をアシュレイの胸元に向けつつ、彼の細部の挙動と全身を同時に「視る」。ここに至って修一は、自分の身体が戦闘態勢に入ったことを自覚した。修一の顔から表情が消える。
修一の表情が消えたのを見たアシュレイの顔からもまた表情が消える。隠す必要のなくなった殺気がじわりと漏れ出した。