【社畜の終わりと始まり】
粗雑な作品になると思いますが読んでいただけると幸いです
毎日の様に続く残業の嵐を乗り切った俺は、疲れのせいでかフラフラとしながらも寒空の下を歩いていた。
夜は深く、もう一刻もすれば日が昇る頃合だ。
明日が…いや今日の数時間後に出勤であれば深い絶望を感じているだろうが、今は違う。
なんと嬉しい事に今日は三週間ぶりの休みなのだ。
この快感は、子供の頃限界まで我慢した尿意を開放する時と同等かもしれない。
まぁ、そんな訳で今日は久方ぶりに休日を満喫出来ると言う事だ。
と言っても、家に帰れば誰かが帰りを待っていてくれる訳でもないし、急に休みが決まった為特に予定がある訳でもない。
どうせ、三週間前の休日と同じで一日中睡眠を取って終了となるだろう。
そう思うと何だか複雑な気分となる。
今日は久方ぶりの休日で嬉しいはずなのに、口からは憂鬱な溜息しか漏れてこない。
どうしたものか、と残業疲れで殆ど働かない頭で思案していると、とある物が目に入る。
【湖畔の夢】
それは暗闇と街灯、自宅までの帰り道に続く白と黒のコントラストの中に突如として現れた鮮やかな色合いの看板であった。
湖畔の夢とはどうも店の名前の様で、側に書かれている文字によるとバーであるらしい。
お酒…か、思えば成人式で友人に勧められて飲んだのが最初で最後だな。
そこまで考えた所で一つ閃く。
今日は折角の休みなのだし、少しくらい普段しない事をしてみても良いのでは無いだろうか。
そこまで考えた時には既に店のドアに手が掛かっていた。
「いらっしゃいませ」
ドアを引き店内に入れば、軽やかな鈴の音と共にそんな声が掛けられた。
「あ、ああ、こんばんは。もう遅いが大丈夫だろうか?」
こういった店には初めて立ち寄った為、少し戸惑いがちな返事が出てしまった。
「えぇ、問題ありません」
その返事に俺は少し安堵する。
声の方を見れば四十代前後と思われる、若干彫りの深い男性がグラスを拭いていた。
その堂に入った姿を見て思わず「おぉ」と感嘆の声を漏らしそうになったが、何とか堪える。
何となくカウンター席に着き、店内を見る。
どうも店内には俺以外の客は居ない様で、ゆったりとした知らない曲が流れている以外に音は無い。
何だか知らないが非常に落ち着く。
「お客様、御注文は何になさいますか?」
いつの間にか俺の席の向かいに来ていた店員。
いや、バーでは店員の事はバーテンダーだったか?
まぁ、どっちでも良いか。
店内をぼーっと眺めていた為、注文の事など何一つ考えていなかった。
「あー…すまないが、こういうお店は初めてなんだ」
「なるほど…では、私にお任せ下さい」
店員からすれば、さも迷惑な話であろうが彼は優秀なのか顔色一つ変えず頷いて見せた。
少しでも予習して来るんだった、と恥ずかしさを感じていると店員はカウンターの奥から一本の酒瓶を持って来くる。
「こちらは先日入ったばかりの物で御座いまして、これといった癖もなく、非常に口当たりも良いのでお客様でも御安心して飲めるかと」
「へぇ、ならそれを下さい」
「はい」
店員はそう言うとグラスを取り出し、氷を入れ酒を注ぐ。
店員の持つ酒瓶は変わった形状をしていた。それは全くと言っていい程対称的な形状をしておらず、一言で表すなら『歪』と言った感じだ。
瓶には、この酒の名前は書かれておらず疑問に思ったが、店員によってグラスが差し出されたので思考を中断するとグラスを手に取り酒を一口嚥下する。
「おぉ…美味しい」
俺には酒に関する知識は余りないので、そんな感想しか出て来ない。
言えるなら、風味がどうだとか、喉に染み渡るこの…等と粋な感想を述べてみたいものである。
が、美味しいという事以外さっぱりな俺がそんな事を言った所で恥をかくのが精々と言った所だ。
「お客様、こちらも合わせてどうぞ」
「あぁ、ありがとう」
店員はいつの間に取ってきたのか、酒の肴を提供してくれる。
皿には乾燥した肉の様な物と、何かを揚げた物、後はピーナッツやアーモンド等の豆類が綺麗に盛られている。
肴の味が濃いかった事と、お酒の飲みやすさも相まって、気が付けば既に三杯目のグラスを手にしていた。
「お客様、お味は如何でしょうか?」
「凄く美味しいよ。このツマミも美味いが、この酒はもっと美味しい。そういえば、この酒はなんて名前なんだ?」
ふと、気になっていた事を思い出して聞いてみれば店員は微笑し言った。
「そのお酒は、"異世界"に御座います」
「へぇ~そうなのか。ありがとう」
「いえ、お気になさらず」
俺はお酒って変わった名前の物が多いな。なんて事を考えつつ異世界という名の酒を楽しむ。
こんなにも美味しいお酒があるのなら自宅にも何本か買っておいて、暇を見て飲むのも良いかもしれないな。