9-3
「わたし、その……未来から来たんです、多分……」
放課後、わたしはすぐに教室を出ました。
すると、廊下で既にアキナさんが待ち受けていました。わたしのクラスよりもホームルームが早く終わったようでした。
「どっかの空き教室でやろう」
廊下も教室も、まだ帰ろうとする生徒や部活へ向かう生徒でいっぱいで、空いている教室を探すのは難しく見えました。
「違う違う、これを使うんだよ」
アキナさんは制服のポケットから赤い宝石のついた鍵を取り出しました。
「話すだけなのに、『インガの裏側』に行くの?」
と、そこへキミちゃんがやってきました。
「ちょい遅かったかな」
「別に。そんな待ってない」
キミちゃんはわたしの方に励ますような笑顔を向けてくれました。
「で、ホントに『インガの裏側』へ行く気?」
「行かないよ」
知らないのか、などと言いながら、アキナさんは四組の教室のある方へ歩き出しました。
「『ホーキー』ってさ、鍵だったら何でも開けられるんだよ」
「え、そうなの?」
わたしとキミちゃんは顔を見合わせました。アキナさんの話では、かんぬきで閉めるような鍵穴のない扉でも開くことができるそうです。
「初耳よ。てか、何でそんなこと知ってるの?」
ん、いや、まあ、とアキナさんは言葉を濁します。どこかで試したりしたのでしょうか。
「とにかくさ、六組の向こうに、鍵のかかった教室あるだろ。あそこで話そうぜ」
鱶ヶ渕中学は、一学年六クラスで、三階建ての校舎に上から三年二年一年の順にホームルームが収まっています。
昔はもっとクラス数が多かったそうで、その時使われていた教室は、文化部の活動場所になっているところもありましたが、多くは机置き場のようになっていました。
アキナさんは「ホーキー」で教室の後ろ側の戸を開くと、わたしとキミちゃんを入れると、中から鍵をかけました。
教室の中は机の上に机が積まれていたりするせいか、何だか狭く感じました。また、少々ホコリっぽくキミちゃんは一つ咳をしました。
「で、どうしたんだミリカ?」
アキナさんは机の上に腰かけて尋ねました。
「ランと何かあった?」
わたしは首を横に振りました。
キミちゃんの方をちらりとうかがうと、どことなく気だるげに机にもたれていました。わたしの口からどんな内容が出てくるのか、品定めするような目付きに思えて、昼のこともあって少し胸がちくりとします。
「じゃあどうした?」
言ってみ、とアキナさんに促されて、わたしは考え考え話し出しました。
「あまり、その、信じてもらえないかもしれないんですけど……」
うんうん、とアキナさんはうなずき、キミちゃんは眉を少しひそめました。
教室の片隅の狭く圧迫感のある空間は一つの閉じた世界で、わたしはその中で全部の視線を集めて話しているような感覚がして、胸がドクドクと波打っていました。
「わたし、その……未来から来たんです、多分……」
今度眉をひそめたのはアキナさんでした。キミちゃんはむしろ、何だか納得したみたいな様子でした。
「え、あの、未来って、どれくらい?」
いやよく分からんのだけど、とアキナさんは何をどう尋ねていいか分からない様子でした。
わたしも何をどう話したものか決めきれていませんでした。朝から放課後までたっぷり時間はあったのに。丸っきりわたしらしい間抜けっぷり、知恵のなさです。
「え、その、ちが、違うんです……」
何も違わないのですが、そう言ってしまいがちでした。
「え、違うの?」
「いえ、その、お、オリエ先輩が、いや、あの……えう……」
アキナさんが首をかしげて、わたしはますます追い込まれていく気分でした。
そこへ、そっと肩に暖かいものが触れました。
「落ち着いて」
キミちゃんでした。優しく、耳許で囁いてくれます。
「ほら、深呼吸して」
わたしはキミちゃんと一緒に深く吸って、長い息を吐きました。背中に当たる感覚が柔らかく、眠り込んでしまいたくなるほど、安心できました。
「大丈夫?」
わたしは一つこっくりしました。
「じゃあ、順番に話してみて。ゆっくりでいいからね……」
わたしはどうにか、ぽつぽつとですが、語り始めることができました。
今朝、目が覚めると自分のいた時から見て過去にいたこと。
未来では鱶ヶ渕が滅んでしまったこと。
その原因は――少し迷いましたが、オリエ先輩が発動させた計画にあるということにしました。
わたし自身、オリエ先輩の計画を百パーセント理解しているわけではないので、結局伝えられたのはオリエ先輩が世界改変を企み、スミレや水島を利用したがとん挫したという程度のことでしたが。
「ディストキーパー」の体の仕組みについても、オリエ先輩の説明を完全に理解できていないので、省くことにしました。ショッキングな内容でしたし、中途半端なことを言って混乱させたくなかったのです。
ここを曖昧にしたために、オリエ先輩が世界改変を企んだ動機が不明瞭になってしまいましたが、もともとよく分かっていなかったので、結果的には変わらなかっただろうと内心で言い訳できました。分からないことは、伝えられるはずもないのです。
みんな死んでしまうことも伝えましたが、わたしがその内二人を手にかけたことは言い出せませんでした。何せその内の片方は目の前にいるのですから。
だから、アキナさんの「あたしはどうやって死んだ?」という問いには曖昧な答えしか返せませんでした。嘘をつくことすらできないことに消えてしまいたくなりましたが、「その場にいなかったからよく分からない」という答えでも納得してくれたようでした。
それでも、他人の罪を暴いてしまうのがわたしです。キミちゃんに「じゃあわたしは?」と尋ねられて、スミレに殺されてしまうと答えてしまいました。言い訳をするならば、キミちゃんに同じように死んでほしくないから、スミレに気を付けてほしいと伝えたかったのです。
他人の罪といえばもう一つ、それは近々明らかになるはずのことを、つい言ってしまいました。
そう、アキナさんの「世直し」のことです。
これを口にした時、アキナさんは珍しく怯えた色を目に浮かべました。アキナさんのこんな顔を見たのは、あの砂漠で体の大部分が塵に変わり、立ち上がれずにいる状態でも、尚こちらを見上げて戦う意思を示したあの時以来でした。
一方、キミちゃんはじろりとアキナさんをにらみます。明らかに怒っていました。わたしが経験した「世直し」のことが露見した夜と同じ反応です。
「ねえ、それ本当?」
平時と変わらぬ風向きの声に聞こえましたが、強さが恐ろしいことになっていました。
「あ、あの、それは、わたしの未来では、だから……」
フォローしようとしたのですが、さすがわたしというべきか、まったく意味のない音の羅列になってしまいました。
「確かに……してるよ」
重苦しい口調でアキナさんはうなずきました。
「何であんたそんなこと……!」
キミちゃんはそう詰め寄りましたが、アキナさんは身を固くしてうつむいています。
わたしの記憶では、アキナさんが開き直ったことで、キミちゃんが更に怒った印象だったのですが、今回アキナさんはそうしませんでした。
多分、あの時は一五人ばかり殺した直後で気が立っていたのでしょう。
キミちゃんも、アキナさんが「悪いことしてる」と自覚した態度なのを見てか、はたまたわたしの不安を感じてくれたのか、「……今は、これに引っ掛かってる場合じゃなかったね」と矛を収めてくれました。
ただ、それは「一旦」ということらしく、「このことに関しては、後でたっぷり話し合うとして……」と釘を刺すのを忘れませんでした。
アキナさんはホッとしたように大きく息をつきました。わたしも、口を滑らせてしまったことが、とりあえずこの場では大事にいたらず、胸を撫で下ろします。
「あたしにも、言い分はあるんだけどな」
とは言え、アキナさんも簡単には引かない人なので、これだけはとばかりに言い添えてはいましたが。
「そいつはまあ、置いといてだ」
ミリカ、とアキナさんは改まった調子でわたしに向き直りました。
「正直さ、タイムスリップだなんて信じられないんだよな」
それはそうでしょう、とわたしは妙に納得してしまいました。わたしが打ち明けられる側だったら、確かに信じられません。
「オリエさんがそんな計画立ててるなんて、あたしは付き合い長いけど、そんな素振り見せたことないし」
まあいつも何らか企んでそうな顔をしてるけど、と笑ってからアキナさんは「でもさ」と続けます。
「あたしが誰にも言ってないことを言い当てた」
それでトラブルになるってのは、いかにもありそうだ、暗い笑みをアキナさんは浮かべ、キミちゃんはなんだか複雑な表情を浮かべました。
「だから、信じるよ。お前は未来から来た。理屈は分かんないけど、それはきっとそうなんだ」
未来から来たことと、アキナさんの「世直し」を知っていることは関係ないことのはずです。でも、アキナさんにとってはとても大きなことなのでしょう。
「キミヨはどうだ?」
話を振られてキミちゃんは、わたしに微笑みかけました。
「わたしは信じてるよ、最初からね」
心の重さが、すぅーっと解けるようでした。自然と笑みがこぼれます。
「お前、それずるいぞ」
信じられんって言ったあたしが悪いやつみたいじゃんか。アキナさんは冗談めかして口を尖らせました。キミちゃんは「あはは」と笑って続けます。
「『ディストキーパー』自体が不思議な存在だし、『インガ』いじくるってことから考えたたら、そういうこともパサラとかなら起こせるんじゃないかな」
パサラと連絡とってみた? と尋ねられて、わたしは首を横に振りました。
「何だか、気が進まなくて……」
うーんそうかー、とキミちゃんはどことなく不満そうに見えました。
「意図があるんだったら、パサラから接触してくるんじゃないか?」
アキナさんの言うことはもっともでした。
「パサラ以外が呼んだ可能性もあるけどさ……」
だったら向こうが何か言ってこない限りは、言わない方がいいのかもね、とキミちゃんは納得したようでした。
「それにしても、タイムスリップか……」
どこか遠くを見るような目で、キミちゃんはため息をつきます。
「してみたいの、タイムスリップ?」
ううん、と肩をすくめました。
「ちょっとね、もう何が起こっても不思議じゃないところに、わたし達はいるのかも、って思ってさ」
何が起こっても不思議じゃない。わたしは制服のリボンタイをぎゅっと握りました。
この世が多くの人が望む「インガ」へ傾いているのなら、どうしてこんなに思いもよらないことばかり起きるのでしょう。
「今」すらおぼつかないわたしには、未来を思う資格などないのかもしれません。