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透き通る瞳は宝石、さながらディアの持つ名「クリスタル」の輝きでした。占い師の持つ現在過去未来すべてを識る、神秘の玉でした。
わたしは十和田ディアと一緒に中庭へ降りました。
ディアもお昼がまだだったようで、二人で食べることになりました。
いつだったか、キミちゃんとオリエ先輩と三人でお昼を食べた中庭のベンチに腰掛けて、ディアは顔に似合わない和風なお弁当を広げました。
「ふふ、こうして葉山ミリカと話すのはいつぶりだろうか」
わたしは曖昧にうなずきました。いつぶりどころか、今日初めて会ったのですが。
けれど、心のどこかでは久しぶりだと認識していました。
わたしが初めて「ディストキーパー」として戦った日、アキナさんに巨人型から助けてもらって、そのすぐ後に会ったのが、このディアでした。
何だか長くて大きな角のある蛇のような「ディスト」と戦っていて、アキナさんと二人で加勢に入ったのでした。
(ふむ、かなりの強敵だった。ただのSnakeと見くびったが、Drachenだったようだね)
もったいぶったような、かっこつけたような口調の割にやたらとボロボロだったのが印象的でした。
(『ディストキーパー』としては葉山ミリカ、わたしが君のMeisterにあたるのさ)
妙に「Meister」を強調してきました。どうも師匠という意味らしく、急に出てきていきなり何を言ってるんだ、そんな気になった反面、こういう話をした記憶もあるのです。
(『ディストキーパー』は、スカート丈で得意な戦闘形式が分かる。例えば葉山ミリカ、君のようにスカートが長いものは、離れて戦った方がより力を活かせるだろう)
まるでよそから流し込まれてくるようなこの感覚、どこかで味わったことがありました。あまりいい記憶ではありませんでしたが。
×××××を消した後、あの子のことが思い出されるようなことがあると、存在しないものを身近に感じるような不思議な感覚がします。それはまるでこの世の法則が、一に一を足せば二になるはずが、三や四になるようになってしまったかのような違和感でした。
この十和田ディアという子に感じたのも、まさしく同じ感覚でした。まるで、「インガの改変」によって、この世にねじ込まれてきたかのような。
「今日は君のトーンはどこか鈍い。いつも以上の曇天の中にいるようだ」
妙に詩的な表現をしたがるディアのことはさておいて。
「インガの改変」、頭の中でその言葉がぐるぐる回っていました。
滑り込まされる記憶の一つ一つは、少しずつの違いはあっても、別の人との思い出のはずでした。
大体、わたしはたまご焼きを一つ口の中に入れ、言い知れないわだかまりと一緒に噛み潰しました。
何が「クリスタル」だ。わたしが知っている「光」の「ディストキーパー」は、十和田ディアでも「クリスタル」でもありません。
成田トウコで、「パール」のはずです。
「愁いに満ちた顔も、思慮深く美しいものさ。けれど、やはり我々にはlächeln、笑顔が求められるものだろう?」
わたしは最後に思い出されたその懐かしい名前を握りしめます。
そうです、どうして思い出さなかったのでしょう。
未来から来てしまった、なんてことを相談するのに一番適した人のはずなのに。やり直して、街を滅ぼさないにしたって、きっと頼りになります。
だけど、とわたしは胸が苦しくなります。
こうしてトウコさんのことを思い出しても、どうしてだか想像上のキャラクターにすがってるような気がしてならないのです。それこそ、どうにもならない時に「押し入れに住んでる青いロボットが何とかしてくれたらな」と思うレベルの。
トウコさんが「最初の改編」で自分の想像上のキャラクターを上書きしたからとか、そういうことではなく、実際にこの世にはいないという確信が心を覆っているのです。
「無理やりにでも笑ってみるといい。少しは気分が晴れるんじゃないか?」
どうだろうか、と顔を近づけてくるので、口の端をつり上げながら身を引きました。
「インガの改変」がなされているのなら。それはつまり、トウコさんが存在しないということでした。
トウコさんのことを思うと、×××××のことを思い出したのと、同じような感覚に付きまとわれていましたが、それはわたしがトウコさんのことを何故だか嫌いになってしまったのではなくて、単純にトウコさんがこの世の「インガ」から消されてしまっていたのです。
それは、嫌いになるよりももっと悲しいことでした。
頼りになる相談相手であること以上に、わたしはトウコさんのことが好きだったのです。
急激に、このディアが信用ならなくなってきました。芝居がかった態度もセリフも、全部鼻持ちならないものに感じられます。
記憶はディアへの信用を訴えてきますが、わたしはそれを飲み込まずにいました。
わたしの知る過去で、ここだけが違う。どんな些細な嫌なことさえも同じだったのに。警戒しないなんて、できない相談です。
わたしが身を固くしているのをディアも気付いたようでした。
「おや? 何か気に障っただろうか?」
ふと、ディアは形のいい眉を寄せました。声にも険が混じります。
「どうしたんだい、葉山ミリカ。そんな目で見つめられては、まるでわたしが何か取り返しのつかないことをしでかした大罪人のように、思えてくるじゃないか」
見返してくるディアの色素の薄い瞳が、わたしの心を見透かしているかのようでした。
お前のことは知っているぞ。この街を滅ぼし、未来からやってきたのだろう? あの瞳がそう語っている気がするのは、わたしの思い過ごしでしょうか。
ディアは立ち上がってわたしの正面から覆い被さるように顔をのぞき込んできました。
透き通る瞳は宝石、さながらディアの持つ名「クリスタル」の輝きでした。占い師の持つ現在過去未来すべてを識る、神秘の玉でした。
その光に気圧されて、わたしは目線を下に外します。
ディアは尚も詰め寄ってきます。息がかかるほどに近づけてくるので、わたしは顔を背けました。
「見られないようだね、葉山ミリカ。わたしのこの瞳が」
間近で囁かれる声に、背中の毛が逆立ちます。
「また逃げるつもりかい? 君はいつもそうだ」
(ディアは物をはっきり言い過ぎるとこがあるからな)
昨日、アキナさんがそう言っていたことが思い出されます。いや、これも今流し込まれている記憶です。
「伝えるべきことがあるならば、さっさとそうしたまえ。時間はとどまることを知らずに流れる、かくも残酷な『インガ』の奔流なのだから」
わたしはぎゅっと奥歯を噛んで、顔を上げませんでした。上げないのではなく、上げられない。恐ろしいのです。トウコさんに託された拳銃を抱いて走った、あの時と同じくらいに。
「……ふん、いいさ」
頭を振って、ディアは体を離しました。下を向いたままのわたしに、天から響くかのようなディアの声が降ってきます。
「不服そうだね。ならば初めから『やり直し』、わたしに何か訴えてみるかい?」
それは何気なく放たれた問いかもしれません。あるいは、分かって言ったとも思えます。まったくこの人の考えが読めなくて、頭の奥がちりちりするようでした。
「まあ、やり直したとて結果は同じだろうが」
投げ出された冷たいそれは、わたしの胸に深く的確に突き刺さりました。
「もし何かやり直す機会があるのならば」
聞きなよ、葉山ミリカ。水晶の瞳は、また深い色を帯びました。
「まずは頭を使うことだよ。君がどうやり直したいかは、君しか知らないのだから」
天よりも、更に高いところから投げ落とされているかのようでした。
「自分を省みて、Weisheit――知恵をもってやり直してみるんだ」
そこで計ったように予鈴が鳴りました。
「これは、Meisterからの教えとして胸に刻んでおきたまえ」
自分の弁当箱をベンチから取り上げると、「では」と去って行きました。
一体なんだったというのでしょう。十和田ディアという人間が、まったく分かりませんでした。
それに、知恵だなんて。わたしは残ったお弁当を詰め込んで、リスみたいな顔になりながら、必死に食べ終わろうとしました。食べ残すと、お母さんが何を思うか。涙目なのは、口に詰め込んだご飯やおかずのせいだけではないのです。
こんな焦ったその場しのぎの行動ばかりしているのですから、知恵なんて湧いてくるはずないのです。




