ただしさ -中
「お嬢、あんたのことはオリエさんから聞いてたよ」
リビングに通されたスミレとアキナは、勧められるままソファに座った。そこにシイナは、オレンジジュースを入れたコップを三つ運んで来た。
「『計画』の最後の楔、自分の覚悟を固めるための『子羊』なんだと言ってた」
その言葉を聞いたスミレの耳にオリエの声が蘇る。
(あなたは『計画』のための子羊。正しく『計画』が遂行されるための特別な存在なの)
「子羊」というキーワードを知っているということは、アキナの言うように、このシイナは本当にオリエの仲間だったのだろう。
「『子羊』? どういう意味だ?」
「生贄ってことさ」
アキナの問いに、シイナは意味ほどの重さがない口ぶりで答えた。
「お嬢に『計画』の最後に『ディスト』を産ませるってことさね。そいつを暴れさせて、『エクサラント』の支配する旧い世界への手向けにするってさ」
「ミリカが言っていたのは、そういうことか……」
ん、何? とシイナは聞き返す。アキナは少し目を泳がせてから、「ミリカってヤツがいるんだが……」と、少し未来の平行世界から彼女が来た話をした。
「はーっ、あの子がねえ……。にしたって、『エクサラント』も必死だわさ。オリエさんの『計画』を止めるためにそこまでするのかい」
呆れを通り越して感心すらこもった口調でシイナは肩をすくめる。
「結局お前らが来て、有耶無耶になったがな」
「だよねえ。えらくリスクを冒したもんだが……」
少し首を傾げ、シイナはしかし「まあいいや」と座り直した。
「仲間だったのはわかったよ」
オレンジジュースに口をつけず、スミレはその表面をじっと見つめている。
「じゃあさ、何でオリエを殺したの?」
「立場が変わったから、かな」
「立場?」
スミレは顔を上げた。アキナはそれを一瞥すると、ジュースを一口飲んだ。
「そう、立場。仲間『だった』ってことはさ、今は仲間じゃないってことじゃんよ」
「何それ?」
パチリ、とスミレの肩の辺りで何かが弾ける音がした。
「スミレ押さえろ、約束しただろ」
そちらを向かずにアキナはどこか投げやりな口調で言った。
「そんなのおかしいよ!」
「なんでさ」
吠えるスミレを、シイナはニヤニヤと見やる。
「どうおかしいのか言ってみな、お嬢」
「だって、仲間だったんでしょ? それが立場とか、変わったって、殺したりするなんて、そんなの全然正しくないよ!」
違うの!? スミレの吐き出した言葉をいなすように、シイナは首を横に振った。
「やれやれ……。正しいとか正しくないとか、まーだそんなこと言ってんのか。せっかく仇討ちごっこに付き合って、殺されたフリをしてやったのに、首輪は外せないままかい?」
「フリだったから失敗してんじゃないのか」
アキナは、隣のスミレの感情など、どこ吹く風、いや遠雷だとでも思っているかのような口調であった。
「アッキー、あんた今度はあたしに死ねってのかい?」
「お前が必要だと思ってんなら、そうしろよ。命をベッドするから面白いんだろ?」
「他人の人生のために、自分の命は張ってらんないね」
「だけど命も懸けずにさ、誰かの人生を変えようなんてのは、虫のいい話じゃないか?」
そう言って、アキナはジュースを飲み干した。
「あんたの方がよっぽど物騒だよ」
シイナは肩をすくめると、「おかわりはちょっと待っててに」とスミレの方に向き直る。
スミレは拳を固く握って、シイナの方を見ていた。約束約束、と口の中で繰り返している。
「お嬢、例えばだよ? オリエさんの『計画』ってのはさ、『エクサラント』から見たらどう見えるよ?」
「知らない!」
ちゃんと答えな、とシイナは口元から笑みを消した。
「じゃあ質問を変えるよ。毛玉の気持ちなんてわからんって言われたら、それまでだしね」
シイナはアキナの空のコップと、自分の口をつけていないジュースを取り換えた。
「何だよ?」
「ちょっと協力しな、アッキー。あんたの意見も聞かせてくれ」
いいよ、と遠慮なくアキナはコップに口をつける。
「オリエさんね、お嬢のことすごく心配してたんだよ。あたしにそれを教えてくれたのは、そう――ちょうどアッキーが先代の風の『ディストキーパー』のエリりんの彼氏を、駅前で焼き殺した日だった……」
急にそんな話題が出たので、アキナは少しむせた。
「あの時は、すぐにあんたを『ディストキーパー』にして、今の状況から救ってあげたいってそう思ってたんじゃないかねぇ。何せ、当時の風の『ディストキーパー』を殺してでも、って勢いだったからさ」
「だから何?」
スミレは口を尖らせる。
「オリエも仲間を殺そうとしてたから、一緒だってこと? そんなの、す、すい……」
「推測にすぎないねえ」
あたしが言いたいのはそこじゃない、とシイナはアキナに目をやる。
「どうかね、アッキー。『ディストキーパー』にして救ってやるって、どう思うよ?」
「……そこを聞かれるとは思わなかったな」
アキナは頭をかいた。
「そうだなあ……。あたしが戦った、お前ら『カオスブリンガー』の仲間、竹原ヒカリが言ってたんだが……」
「ペリちん――ペリドットだね」
アキナは「確かそう名乗ってたか」とうなずいて続ける。
「あいつはあたしが不幸になるように、って願って、『ディストキーパー』になったんだってよ。だからあたしが復讐されたのは、あいつの願いだったんだよ」
怖いよな。苦笑混じりにアキナはつぶやく。
「その人、オリエとは真逆だね」
呆れたようなスミレの言葉に、アキナは首を横に振った。
「そうかな? あたしには同じに見えるよ」
「同じ?」
「オリエが、スミレの不幸をとりのぞくために『ディストキーパー』にするって方法をとったのは、自分の『計画』のためじゃないか」
結果的に不幸は一時取り除かれたのだろう。けれど、そのために「ディストキーパー」として戦うことになってしまった、とアキナは指摘する。
「しなくていい戦いに巻き込んで『救った』なんて、おかしいだろ」
スミレは「でも……」と言いかけて、しかし二の句が継げない。
「最初の改変」で、スミレの不幸はなくなっただろうか。もしそうなら、今学校が楽しくないのは何故だろう。痛い思いをして「ディストキーパー」になったのに、水島ランではないが「割に合わない」と思う。
でも? と聞き返されて、スミレは何とか言葉を探した。
「……アキちゃんは、『ディストキーパー』になるって、正しいことだとは思わないの?」
「いい方法だとは思わないよ」
バッサリとアキナは切り捨てた。
「あたしにしたって、ペ……えーと竹原にしたって、『ディストキーパー』になる必要なんて、どこにもなかった。竹原はスネてないで空手続けりゃよかったし、そしたらあたしにも『ディストキーパー』になる理由は生まれない」
それはお前も同じさ。アキナはスミレの方に体を向けた。
「オリエ先輩が除こうとしたお前の不幸を、あたしは知らないよ。だけどさ、もっと方法があったんじゃないのか?」
今度こそ、スミレは何も言えなかった。心の中起こった渦巻きの形を、ぴったり言い当てられてしまったから。
唇を噛むスミレを見てか、シイナが口を挟んだ。
「そいつは強者の論理だぜ、アッキー」
アキナはシイナに顔を向けた。
「それこそペリちん、ペリドットはこんなこと言ってたよ」
(『ディストキーパー』なんて所詮は負け犬だ。誰かに願いを叶えてもらおうなんて負けた側の――弱者の論理だ)
あたしもそう思う、とシイナは目を閉じる。閉じたまま、「じゃあさあ」と続けた。
「強者が選ぶ正しいものだけが、この世にあっていいものなのかい? 強いものだけが正しく、この世で幅を利かせていいのかい? そんな世の中、今以上の地獄だともあたしは思うがね」
強いことは、正しいこと。そうなのだろうか。スミレは俯いたまま考えを巡らせる。正しいものは強いとは思っていた。正しいから、強いのだと。それは自分のことで、オリエのことだった。正しくないもの――例えばランとか、往時のミリカとか――は、必ず滅ぼされる脆いものだとも思っていた。
それらが、間違っているが故に。
「『カオスブリンガー』ってのは、強くなるために他の『ディストキーパー』を殺すんだろ? 強さを正しさだと信じてるんじゃないのか?」
アキナの投げかけに、ちょっと違うね、とシイナは目を開く。
「正しいのが強いんじゃない。強くなることが正しいのでもない。もちろん、弱いものが正しいわけでもない」
そもそも――とシイナは大きく息を吐いた。
「『カオスブリンガー』は、正しいかどうかなんて知ったこっちゃないんだよ。特に、自分の外で決められちまうようなそれにはね」
あんたの首に巻きついてるやつさ、とシイナはスミレを指した。
スミレは喉の辺りを触った。たとえ話だというのはわかっているが、太い何かが巻き付いているような感覚があった。
アキナはまた、シイナに相対するように座り直した。
「じゃあ何で、強さを求めるんだよ」
「強ければ、できることが増えるからさ。できることが増えれば、選べることも増えるからさ。色んなことができて、色んな道が選べたら楽しいだろ? だからあたし達は、強くなりたいんだよ」
はーっ、と感心したような、あるいはため息のような、そんな声をアキナは上げた。
「……ま、わからなくはないな」
「でしょ? アッキーならそう言うと思ったよ」
一緒に来る? という問いを、アキナは「バカ言うなよ」と一蹴した。
「ですよねー」
そう笑いながら、シイナはスミレに目を向けた。スミレは、首に巻きついた目に見えないそれを握りしめるように、両拳を喉にあてている。
「あー……首に巻きついてるってのは、もののたとえでさ――」
「ねえ」
言葉の途中で、スミレはシイナの顔を見上げた。
「正しさって、なんなの?」
それは分かっていたことのはずで、結局知らずに口にしていただけのことなのかもしれない。今、それがこの首を絞めているのなのか。スミレは知りたくなっていた。




