9-1
二つ名を「クリスタル」といいました。
お昼休みになったので、わたしはお弁当を持ってキミちゃんのところへ向かうことにしました。
放課後に話すことでなく、わたしがここから見て未来にあたる時間からやってきたことではなく、もっと何でもない話がしたかったのです。
鞄からお弁当箱を出していると、声をかけてくる者がいました。
「み、ミリカ」
水島ランでした。いつの間に、名前で呼ぶようになったのでしょうか。確か、前もこのくらいのタイミングでそうしてきたような気がします。
水島は二人の取り巻きを後ろに連れていました。取り巻きと言っても、後に水島を追いやる人たちなのですが。この頃は、こんな不本意なところに立たされていたのです。今でさえ、明らかに不満そうな顔で水島のやることを見ています。
「お弁当、キミちゃんのとこに行くの?」
「うん」
応じながら、「ああ」と得心しました。一緒にお弁当食べようとか、そういう話でしょう、真っ平ごめんです。それは前と同じ対応でした。
「じゃあ、行くから……」
誘いの文句を言わせずに、わたしは水島の横を通って教室を出ました。
廊下からちらりと後ろをうかがうと、水島は取り巻き二人に何か言っていました。大方言い訳でしょう。
何を思ってわたしを誘おうとしたのか知りませんが、取り巻き二人は迷惑そうな感じだったので、わたしが引き下がってホッとしたことでしょう。ええ、話せる話題なんてありませんし。
そう言えば水島と戦った時、「あたしのこと、見下したみたいな目をしてる」などと言っていましたが、今のようなことの積み重ねのせいでしょうか。少なくとも上には見ていないので、正解と言うしかないのですが。
あの時は「クラスの連中を皆殺しにした」とも言っていましたが、あの二人もこの後殺されるのだなあ、と思うとこちらには同情しないでもありません。
お弁当を手に四組の教室をこっそりのぞきこむと、キミちゃんは友達と自分の席でしゃべっていました。
キミちゃんの席は廊下側に近いので、わたしにもその声が聞こえてきました。
「え、今日もあの子と食べるの?」
あの子、という言葉には鋭いものがありました。刺されてわたしはビクりとします。
「うん。クラスで食べる相手がいないみたいだから」
キミちゃんは相手の言葉の鋭さを包むようでした。それでも、友達らしいその子は再び尖らせます。
「そんなの、そいつの問題じゃないの?」
あの子、よりも更に貫く力が増したようで、わたしはお弁当を取り落とすところでした。
「構う必要ないと思うけど。どんだけお人好しなん?」
たまりませんでした。お弁当を体にぎゅっと寄せて、四組の教室に背を向けました。
もう聞いてなんていられない。キミちゃんはきっとあの友達の言うことを否定してくれるでしょう。わたしの存在に気付いていなかったとしても。そういう子だから、わたしは大好きなのです。
だけど、そんなことをさせてしまうわたしという存在は、それこそ塵になってしまえばいい。あんないい子に迷惑をかけてまで、わたしは居場所にすがりつきたくないのです。
それに、そんな思いを抱えたまま、あの場でお弁当を食べることなんてできません。見つかり、招かれない内に逃げ出すのが一番いいように思いました。
ああ、そう言えば。階段のところまできて、わたしは思い出しました。そっくり同じ経験をかつてしていたことを。
あの時もこうして四組から逃げ出して、そしたら何も言わないのにそれ以降はキミちゃんが三組に来てくれるようになったのでした。
こんなことを忘れていたなんて、やはりわたしに「やり直し」は荷が重いのでしょう。
ただ、一つ困ったことになりました。
これからどこでお弁当を食べればいいのでしょう。
教室には戻れません。水島に得意気な顔をされるに決まっています。やはりこいつは自分より下だ、と決定的な証拠を得たことを喜ぶでしょう。
けれど、他に行くあてはありません。アキナさんのところへ行くのは勇気がいります。きっとたくさんの友達と食べているでしょうから。
スミレやオリエ先輩は問題外です。「ディストキーパー」以外の、ご飯を一緒に食べてくれそうな知り合いもいません。
まだわたしは、砂漠の砂の底にいるかのようでした。すぐ近くにいるはずなのに触れられないというのは、たった一人砂の中でまどろむしかなかったあの時よりも、よほど孤独なもののように思えました。
お弁当を抱えたまま途方に暮れるわたしの背に知らない声がかかりました。
「やあ、葉山ミリカ。そんなところでお弁当を抱えてどうしたんだい?」
振り返って、わたしは一瞬眉をひそめました。
そこに立っていたのは、まったく知らない女の子だったのです。
とても特徴的な容姿をしていました。一度知り合えば、いや知り合わなくても同じ学年や学校にいるだけでその存在を否応なく認識させるでしょう。
それ故に、この見覚えのなさが奇妙でした。
青みがかった白いおかっぱを揺らして、その子は軽く首をかしげました。
「おや、まるで空が落ちてきたかのような顔だ」
おかしな表現を使うこの子のことを、わたしは絶対に知らないはずなのに、何故かその名前を認識していました。まるで誰かに、直接脳内へ書き込まれたかのようでした。
十和田ディア。それがこの子の名前です。
ドイツ人と日本人のハーフで、白い髪は自前。気さくで明るい、二年二組の有名人。
そして――この鱶ヶ渕の光の属性の「ディストキーパー」です。
二つ名を「クリスタル」といいました。